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どうして肌色は、気がかりなのか?

テレビであれ、印刷であれ、写真であれ、また今ではパソコンの画面やプリンタにおいても、画像の再現をするところでは肌色が大きな問題である。写真やプリンタのテレビコマーシャルなどを思い出してもらいたい。また印刷の仕事で色校正で気を使うところを考えてもよい。素人向けのプリクラでも肌の色がくすまないようにということが優先していた。私の母が死んで納棺した時の写真でさえ、プリントに出すと肌色はピンクぽく仕上がっていた。

一方で色鉛筆やクレヨンなどでは、昔「肌色」と呼んでいた色は「うすオレンジ色」とか「ペールオレンジ」「ライトオレンジ」などに変えられたものが多い。このことは肌色を特定の色に固定するのが相応しくない考えから来ているのだが、そんなことは自明なのに今まであえて「肌色」とつけていたのは、肌色にまつわる理想形が暗黙としてあったからである。確かに肌の色に「最も好ましい」から順番に等級をつけるのはおかしい。今では花嫁はメリケン粉をまぶしたような真白が常識ではないように、「好ましい肌色」は文化的なもので、時代や条件によって変わるものである。

同じ白人が住んでいる欧米においても肌色の嗜好の違いはある。一般にヨーロッパではタングステン灯下のような黄ばんだ肌の印刷仕上がりが多かったが、デジタルカメラの普及でホワイトバランスしたような画像も増えている。人間が製版でレタッチをしていた時代の方が、「こうあるべき」という色再現の規範が強く感じられていたのが、今は再現は次第に現実に合わせる方向に進んでいるように見える。

日本でも同様の傾向はみられる。では肌色は多様化するので表現上で手を加えることは不要だろうか? 誰もそうは思わないだろう。人を視覚的に表現する上で、肌の色が表す情報は非常に多いからだ。聖書ではイスラエル人が荒野をさまよう時に、医者も病院もないところで善し悪しを判断するのを肌の色で見分けるようなことが初期の律法で書かれている。我々が日常使う言葉でも、赤恥をかくとか、顔面蒼白とか、頬を赤らめる、土気色など、顔面の変化でその人の生理的心理的な様子を表現することは非常に多くある。

つまり人の表現を演出するにはどうしても微妙な肌の色のコントロールをしなければならないことになる。しかしもともと個人差のある肌色だから、どのように演出するから、どんないろにすればよいという解があるわけではない。これからは冒頭のような十羽一からげの肌色演出ではなく、目的に応じて肌の色を調整できる能力が求められるが、そのためには皮膚の仕組みから、実際の肌の色の計測データ、そのばらつきや時代と共にどのように遷移しているのか、人々の好む肌色とはどのようなものか、またカラーデバイスで肌の色の再現が難しいのはなぜか、など現実を理解しなければならないことが多くある。

2007年1月24日に開催される「肌色シンポジウム」は、そのような疑問に挑戦するために行われるもので、いままで肌の色に関する調査研究に携わってこられて、さまざまなデータをお持ちの異分野の方々に集まっていただいて、プレゼンテーションとディスカッションを行う予定である。色の再現や管理の技術が進む中で、被写体に対する理解が伴わないと、技術の有効な活用はできないはずだ。画像再現や画像処理開発に取り組む方々の参加をお待ちしています。

JAGAT テキスト&グラフィックス研究会

2006/11/25 00:00:00


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