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印刷業界の変革をリードするJAGATへ [その2]40年間の歩みと今後

JAGAT40年の歩みを振り返る中で、時代の変化に対応して新たなビジネスモデルを確立してきたこと、さらに「印刷新世紀宣言」に至るJAGATが果たしてきた役割の変化と今後の方向性を紹介したい。


JAGAT40年の歩み

社団法人日本印刷技術協会(Japan Association of Graphic Arts Technology;JAGAT、ジャガット)は、印刷に関する技術の開発・向上により、印刷および関連産業の発展、貢献を目的として1967年に創立された経済産業省(旧通商産業省)認可による公益法人である。

JAGATの事業所は、東京本社(教育開発部、研究調査部、メディア開発部、経営推進部、戦略企画室)と西部支社(大阪)の2カ所にあり、研究調査、セミナー、コンサルティング、通信教育、出版、PAGEイベント、DTPエキスパート認証制度などの事業を行っている。日本の印刷産業・同関連産業を代表する有力な企業1127社を会員としている(2005年度期末現在)。

JAGATの基盤は、まだ足元が定まらない時期から寄せられた会員企業の暖かい支援と将来への期待によって築かれた。その上で、各種の事業活動を通じて多くの外部専門家の協力を得、その人的ネットワークを含めた内部蓄積によって今日に至っている。

現在のJAGATの機能と運営方式は、日本の数多くある公益法人の中でも、また、世界の印刷業界における同様の機関と比較しても非常にユニークなものと言えるだろう。この特質は創立当初からのものではなく、印刷業界、会員企業に対して果たすべき役割を模索する中で作り上げられたものである。

JAGATの活動と役割をより深く理解してもらうために、過去40年間のJAGATの活動とその変身の経緯を、「模索期」「内部蓄積期」「事業多様化・活性化期」、そして現在に至る「シンクタンクとしてのビジネスモデル確立期」の4つの時期に分けて紹介したい。

第1期:模索の時代

第1期は1967年の設立から1970年代前半で、主な活動は、通信教育事業と、現在では全く行っていない種類の研究活動だった。研究活動では、紙粉テスターの開発など、現場的なテーマを取り上げていた。基本的には米国のGATFを目標として、その活動を模擬しつつ模索するものだった。

教育事業では、中小印刷業での取り組みが少なかったコダックのマスキング法、コールドタイプへの移行に沿った凸版印刷機械オペレーターの平版印刷機オペレーターへの転換のための実技研修会も始めた。1970年代に入ると、「営業教育」のニーズが高まり、通信講座およびセミナーの全国開催など、業界のニーズにこたえて営業担当者関連の教育事業を拡大した。 この時期の運営体制は、会員企業の代表者および学識経験者から成る研究委員会、教育委員会によって活動を審議、決定していく形を取っていた。

第2期:方向転換期

第2期は1970年代後半で、研究調査活動を大きく転換しつつ内部蓄積をする時期だった。

1970年代後半から研究活動は大きく方向を変えた。現場的なテーマの研究・開発を行ってきたが、評価に値するほどの成果を出すことができなかった。人材面では素人集団であり金銭的な面からもおのずと限界は明らかだった。そこで、活動の主体を、経営面を含めた情報提供のための調査中心に大きく転換した。PMP(印刷業利益管理)システムの理論化や印刷産業経営力アンケート調査、印刷業毎月観測アンケートなど、現在につながる経営分野の基本的な調査を開始した。

この転換は機を得たものだった。世界的に著名な研究機関は、従来型の研究活動を継続していたが、目立った研究成果を上げることはできなかった。技術が高度化し、一研究機関が成し得ることは、業界が満足できるものにはなり得なくなったからである。 教育事業関係では、1977年に現在の印刷営業士の原点となる営業マン大学が開講された。この開講にあたって、JAGATは教育カリキュラム作成から携わり、その実施においても全印工連への支援を積極的に行った。

この時期はまだ財政的には不安定だったが、将来の国際交流に備えてという塚田益男元会長の考えから、職員3名を半年間米国に語学留学に派遣するといった思い切った人への投資をしていただいた。

第3期:自立期

第3期は1980年代前半から1990年の少し手前までで、第2期までの各種事業活動を通じて得たさまざまな内部蓄積を元に、JAGAT役職員独自の企画による多様な事業展開を行うことができるようになった。また、業界各団体から各種委員会への委員派遣の要望も得るようになった。そこで、教育委員会は1977年、研究委員会は1979年に終了し、日常の事業企画はJAGATの役職員に全面的に任せてもらえるようになった。JAGATが、事務局ではなく専門家集団として自立し始めたのがこの時期だ。

1984年のニューメディア研究会発足は、会費で賄い切れない人件費を含む調査活動資金を、補助金ではなく自前で得る手段として始めた最初の事業で、以降の調査活動を支える事業モデルの先駆けとなった。プリプレスの技術がコンピュータを基盤としたものとなり、現場をもたないJAGATでも、調査力と分析力によって有用な情報を業界に提供できるようになったことが、研究会活動で役立てるようになったことの背景にある。

この研究会活動は、設立当初の研究活動とは全く異質のものだが、「場」の性格に合った活動を行わなければ成果も出ないということを明確に自覚させられた。

教育事業では、コンピュータ関連のセミナーなど、時代の変化に沿って新たなメニューを拡大できた。この時期には、外部のさまざまな分野の専門家に、積極的にJAGAT事業に協力いただけるようになった。JAGATの重要な財産である人的ネットワークができた時期でもある。

第4期:ビジネスモデル確立期

第4期は、1990年代の少し手前からのビジネスモデル確立期だ。この時点で、JAGATは次の3つの使命を明確にした。

  1. 業界の将来を展望し、その方向を示唆すること。
  2. 示唆した方向を具現化するための施策を講ずること。
  3. これらが現場に定着するための教育を行うこと。

1988年のPAGE開催は、JAGATにとっても大きなエポックだった。「JAGATの3つの使命」の有機的結合による事業展開という現在のビジネスモデル確立の機会になったからだ。

調査活動では、現在のテキスト&グラフィックス研究会の前身であるページ研究会、カラーグラフィックス研究会を発足、さらにモリサワ基金を財源として「21世紀委員会」も発足して、デジタル化に向かう技術とそれに伴う印刷業界の変化を先見的に調査、情報提供を行いJAGATの第1の使命を果たすことができた。この活動に対して多くの会員からの支持を得ることができた。その後、デジタル化に関わる第2の使命である具現化事業としてDTPエキスパート認証制度を1994年に立ち上げ、同時に第3の使命である定着事業である教育事業を各事業分野で幅広く展開した。性格の全く異なる3つの使命の連動によって総合的に業界の役に立つという現在のJAGATのビジネスモデルが確立し、財政的にも安定した運営ができるようになった。

現時点において、JAGATはかなり多様な事業を行っているが、役職員50名強の組織であり、印刷業界の要望のすべてを満たすことは到底できないと強く自覚している。従って、JAGATとして満たせない多様なニーズについては、日印産連全印工連を始めとする経営者団体、あるいは印刷学会、プリンティングアカデミーなどとの連携でこたえていくべきだと考えているし、すべてではないがそのようにやってきた。

転換期の印刷業界に応えるJAGATに変身

現在、印刷業界は大きな転換期にある。これからの数年間は、JAGATにとっても新時代を迎えた印刷業界に新たな役立ちをしていけるようチャレンジすべき時期であると考えている。

調査活動では、紙媒体を含む多様な情報媒体それぞれの特長を生かして、より効果的な情報発信をするクロスメディアを見極めるための活動を強化していく。そして、クロスメディアビジネスのキーとなる人材育成のために、クロスメディアエキスパート認証制度を始め、さまざま教育事業を行っていく。印刷業界のIT化、CIM化促進の支援も行う。

教育事業に関しては、既に開発した印刷業向け職務分掌・職能資格基準書モデルを起点として、各企業の体系的人材育成の企画から実行までを支援する各種ツールの開発・提供を行うとともに、この分野の専門家の確保、育成によってコンサルティングサービスも提供していく。また、会員企業の要望をより的確に把握し迅速に対応していくための内部改革も同時に進めていきたい。

上記のような活動、改革によって、より多くの皆様にご満足をいただけるJAGATに変身していきたいと考えているので、今後とも会員の皆様の暖かいご支援をいただきたい。

(山内亮一)

印刷業界の変革をリードするJAGATへ

・その1:40年間の業界変化
・その2:40年間の歩みと今後

2007/01/09 00:00:00


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