PAGE2007の朝の基調講演「21世紀のメディア環境はこうなる」において、3DCGと実写合成で見事な質感を描き出す浅岡肇氏のことを、基調講演報告で書いたが、CGという言い方だけではもうひとつ伝わりにくい気もする。人々はCGというと何を想像するだろう。CADのような3Dデータからフォトリアリスティックにレンダリングされた、プラスチックのような像を思い浮かべるかもしれない。それはそれで存在しないものが視覚化できるという大きな特徴があり、実際に工業製品の完成前にグラフィックスとして処理されて日常見慣れたものになっている。しかしただそれだけではデザイナの感性は入っていないと浅岡氏は言っていた。
午後のCGが変える写真の世界では、ストックフォトでお馴染みのアマナの進藤博信社長が登壇し、やはりCGは絵としては完成していて完全にクリアでありすぎるので、ノイズを入れるようにクリエイティブをしていく話をした。例えば3DCGの自動車などには周囲の景観を写りこませるようなことを指す。アナログ(ポジの撮影からスタートするもの)では完成度を高めることに努力したが、CGではその逆のベクトルになる。こういう作業のためのツールがいろいろあって、写りこみの元画像を撮るための360度回転するカメラとか紹介された。そういえばパノラマ撮影をつなげて360度画像にするソフトがあったことも思い出した。また、撮影の小道具である雑貨や花瓶、カップなどもCG化したデータベースがあって、それを使いまわす話があった。浅岡氏も、自然な凹凸のある壁材データを自分で作っておられて、それを使いまわしている例を挙げておられた。
アマナの仕事でデジタルカメラで撮っただけのものは無く、すべて何らかの合成で、主体は写真同士の組み合わせであるという話があった。つまり写真はパーツであるという。浅岡氏の作例でもモデルさんの写真の前に3D透明物体を置いてレンダリングした雑誌用のものがあった。このような話を聞くと、シンセサイザ音楽のサンプリングに実際の楽曲を音源として使うのと似たものに思える。基調講演報告ではタレントの顔を3D化して、その上に本人の皮膚画像を貼った例のことを挙げたが、そのうちトップモデルさんの肌データも「素材」として売られて、肌色再現問題はなくなってしまうかもしれない。CGによる自然な質感表現アルゴリズムが20数年コツコツと積み重ねられて今日に至ったように、「真夏のサンゴ礁の海の砂浜」などというように、これから実際にあるもののサンプルデータもデジタルとして蓄積されていって、将来のCG表現をより豊かに、リアルにしていく可能性がある。
これはどういうことを意味しているのだろうか。描こうとするイメージを言葉で表現すると、その素材を自動的にパレットに並べるくらいは出来るかもしれない。しかし構図やディテール表現は最終的にクリエータのイメージがないとできない。朝の基調講演で浅岡氏は、デジタルで出来ないものは無いと言い切った。アナログ写真からのスキャンは意外に拡大に耐えないもので、4倍くらいが限度であるが、CGならいくらでも拡大できる。アナログ写真には味があるという人もいるが、そういった味付けはphotoshopでもできる。実際に浅岡氏はアナログ写真の粒状性をCGにかぶせて、実写合成の際になじませておられた。浅岡氏によるとクリエイティブの9割は根気の問題で、同じようなCGを使っていてもプアな仕事というのは手抜きだという。これは逆にデジタルのよいところとして、いくらでも手を加えていける奥深さをあらわしている。
CGは確かにロケ撮影などもかなり省略できて経済性も高いが、アナログの領域をすべてカバーするし、アナログ素材を部品として使うこともできるという意味でもCGの方が土台になるものである。画像はアナログには戻らないといいきれるのに、いつまでもカラーフィルムを土台として製版を考えていては、その世界は減少する一方である。反面アマナが700名近くを有する画像ビジネスグループになったように、デジタル原画作成には躍進のチャンスがあるといえる。
2007/02/09 00:00:00