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グラフィックスの今日的テーマ

「PAGE2008」コンファレンスに向けて

PAGE2007では「脱3原色」と「CG」を取り挙げた。人間の特性から考えると、グラフィックアーツは人間の可能性とともに際限なく可能性があるのではないか。今日、この分野の部分的なプロセスを見ると「ここまで来た」ということがあるかもしれないが、もう少し引いてみると、次の目標が見えてくる。PAGE2008コンファレンスのグラフィックストラックで予定されている今日的テーマの企画主旨を語り合った。


カラーはいまだにフロンティア

小笠原 画像表現は、今まであまりにもリバーサルフィルムで捉えた像からスタートすることにこだわり過ぎていたが、今はリバーサルフィルムという枷(かせ)が外れ、新たな写真の世界が開けたので、もう少しいろいろなことに気づく時代に入ってきたような気がする。

郡司 そう思う。

小笠原 しかし、専門家であればあるほど、リバーサルフィルムをベースにしたものがしっかり意識の中に残っている。振り返ってみると、ナショナルジオグラフィックソサエティーのマガジンは100年以上の歴史があるが、ある時期から非常に写真を多用するようになってグラフィック化した。その写真の質も、アメリカの印刷物では高いと言われるものになった。

質が高いのは印刷だけでなく写真そのものもだが、そのきっかけはコダクロームである。35mmカラーフィルムができた時に写真重視の方向へいくのだと決意したのが『ナショナルジオグラフィック』だったし、後に『タイム』『ライフ』になり、カラー画像がたくさん使われる時代に入っていった。 それがちょうど1930年代なので、CIEの活動と時期が同じである。そのころにベースができ上がって、それを発展させてきたのが今までの歴史だと思う。

郡司 コダクロームそのほか今までの有名なフィルムがあるが、材料や技術にメディアが付いて行くところがけっこうあった。私はスキャナの設計をしてきて、色のマスキングをしてきて、粒状性の面ではコダクロームは確かに良かったが、色再現では、色の深みとかはあったが、決してはいいものではなかった。 それからまた別のリバーサルの世界ができた。 デジタルは、これからまた別の意味の表現方法や、全く別のメディアを作る可能性がある。

小笠原 いわゆるカラーフィルムは、3層構造や外式内式現像がベースだったが、そこをもう一回考え直すことは、アナログの世界ではなかなかできなかった。デジタルではそういう制約がないので、白紙でいろいろなことが考えられる時代だと思う。

フィルムができなかったことを総括してみるのが必要なのだろう。フィルムが、過去作ったものが人類の資産として今後もアーカイブか何かに使うことはあるにしても、これから新たにコンテンツを作る人にとって、何が必要かを考えてみる価値はある。

また不思議に思うのは、フィルムのタイプごとに一種の味や特徴があって、ファンもいたし、その使い方、ノウハウもできてくるが、デジタルカメラになっても、カメラメーカーは「わが社の絵作り」とか言って、フィルムの世界のことを引きずっているように見える。

全くニュートラルな像とは何か、つまり絵作りなどに左右されない画像とは何かというテーマがあるのではないか。要するに、忠実再現と絵作りとは少しギャップがあるのではないか。

郡司 忠実再現は、もっともっとできる可能性はある。フィルム時代、アナログ時代は、忠実再現は初めから無理だったので、変に色演出にこだわったが、今はできる。分光で6バンドのカメラでいろいろテストをしているが、あれにもう一つフィルターを入れて9バンドにすると、かなり忠実度が上がる。AdobeRGBよりも少し大きい色域が出る。人間の視覚に本当に近いところがかなり出る。

小笠原 色域というのもあいまいな話である。広いに越したことはないが、その中で、例えば「ここの色は人間は非常にセンシティブだ」ということがちゃんと捉えられているかどうかと言うと、実はよく分からない。

郡司 XY色度図の色域で見てしまうと分からない。AdobeRGBよりも、赤のところはもう少し広いほうがいいというイメージである。分光で考えてみると、380〜780nmのスペクトルをきっちり再現した時に、色域的にはどれくらいあるかは何とも言えない。けっこう赤がはみ出したりしている。しかし、それと人間の目が見ているものとスペクトル再現と色域とはきっと違う。

小笠原 人間の目は、まだ分からない要素がいろいろあるが、目の研究は進歩しているので、そこからいろいろヒントになることはある。そういうヒントをベースに積み重ねていくべきものが出てくると思う。

スペクトルそのものだけで色再現が十分かと言うと、そうではないが、人間の特性がいろいろ分かってくると、ほかの手段や情報を組み合わせてだんだん積み上がってくる。色再現技術のベースは分光で、という形になるのではないか。

郡司 分光は一つの手段だと思う。今まではアナログ時代なので、色再現のうんぬんはとにかく大きく再現しなければいけないと言われていた。もう一つは、アナログなのでメディアがふらついてしまうことで、ふらついてもいいような再現技術、ノウハウが必要だった。

それがデジタルになって、かなり正確に安定して再現できることになると、よりきっちり再現するという話になる。そうすると、RGBではどういうところが問題だったのかがより浮き彫りにされてきて、その限界が見えてきたので、分光ということになった。今度は分光でいった場合の具体的な問題点がより浮き彫りにされてくる。

小笠原 分光は単純に言うと虹の色だが、虹の色は均等色空間のようなものではなく、色の変化の仕方が、人間が見るといびつに見える。それを単純に一定間隔のバンドに切ってみると、色のつながりがおかしいところも生じる可能性がある。

郡司 われわれにとって一番分かりやすいのは、マンセルの表色系という色相環である。あれをスペクトルの380〜780nmで考えたら、何であれが輪になっているのかは非常に不思議な話である。

小笠原 反対色の説明のように、何となく合うというような考え方がある。われわれも色の講習をして、従来はRGBが何かのベースであるかのように言っていたし、それは否定すべきことではなく、そのやり方がスタンダードなやり方としてあるが、人間の目がRGBなのだという誤解も生んでいる。視細胞の分光感度が明らかになっているので、目がRGBという考え方は修正しなければならない。

郡司 全く天動説、地動説のような話だと思う。天動説から地動説は宗教観のような話だけで何とかなるが、地動説から「本当は天動説が正しかったんだ」に戻るのは大変なことだと思う。それがRGBにも言えると思う。これもかなり地動説に近いものがある。

しかし、ここのところ面白いと思うのは、昔はCIEに関する説明でもあっさりRGBという言い方をしていたが、今はLMS(長中短)などという表記で、後出しジャンケンだなと思うところがある。

デジカメなら、CCDでフォビオン(Foveon)というのがある。3回露光すればきっちり画素が合う。それが見てて気持ちいい。今のCCDのように、よそからRGBの画素を取ってきて一つの画素を作ると、何か色のモアレや偽色が発生する。あれはおかしいということでフォビオンのような技術が出てきたが、人間の目を考えたら、実は今のCCDのほうが正しい。

色素の考え方も、なるほど、本当に人間の目はロボットのようになっているのだ、機械のようだという話が面白い。しかし、なぜRGBかと言うと、よくよく人間の目を考えると、やはり心というか、人間の中で勝手にデータを作っている。そのあたりのメカニズムがかなり分かってきた。

小笠原 DTPエキスパートで色に関して上位資格を準備しているのは、その辺を今日的に整理してもう一回勉強してみようということである。 郡司 単純に科学ではない。そこを研究することイコール、今までの情緒的なノウハウのような話である。

小笠原 意外に正しかったことが理論付けられる、実証されるものが出てくる。例えば赤などの微妙なところが分かるのは、赤も緑もほとんど人間の分光特性が重なっているから、その2つのセンサーの差で、赤のあたりは区別ができるのだろうということは分かる。

郡司 本当に技術というか、その辺をきっちり理解することが、実は今まで言われていた色のノウハウ、情緒的なノウハウにかなり重なっている。

小笠原 いろいろなネタ、情報はあるが、一度それを総括する時代にだんだんきている。

郡司 RGBが、物理的に見ていると正しくないのはだんだん分かってきたが、心理的というか、今の要素で見ていくと、人間がどう知覚しているかはRGBかもしれないし、まんざら外れでなないという話である。


PAGEハイライトに続く

(『JAGAT info』11月号より)

2007/11/26 00:00:00


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