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ブロードバンドはカオスの始まり

まあ考えてみてください。ボクシングとレスリングのリングと相撲の土俵を一緒にして、そこにボクサーもレスラーも力士も登ってきて取っ組み合いをしたら面白いだろうか?

従来のモデムやISDNの数十kbpsに比べて、CATVや衛星、無線、ADSL、光ファイバーによるインターネットは圧縮率の高いmpeg動画が伝送できるようになり、過去のmailから始まったインターネットのすべてと、今アナログからデジタルに転換しつつある放送など、また従来の電話も含めて、デジタルで送れるものは何でも来いのメディアがブロードバンドである。ブロードバンドには何でも載せられるから、あらゆるメディアが時代遅れてはならずとブロードバンドに押しかけようとしている。

しかし以前からTVでキャプテン端末になるとか、文字多重放送、パソコンとTVの一体型など、繰り返し異メディア合体情報機器が開発されたが成功したものはない。それはかつては方式の異なるアナログメディアを強引に合体させる試みであったのが、インターネットというデジタル通信の技術が普遍化して、技術面からメディアの融合はなんとなく出来そうに思えるようになったので、またぞろそのようなことが多く起こりつつある。

WebTVというTV画面を使ってWebも利用できるものがあった。iモードも電話とmailやwebの合体であるともいえる。今度はデジタルという共通の土台が広まっているからメディアの融合は本物といえるだろうか? 確かに長期的にみるとメディアのコンバージェンス(融合)はなされるといえる。

早とちりしてはいけない。今我々の目の前にある情報機器を足しで2で割る式のことがメディアのコンバージェンスではない。今はTVとパソコンとインターネットのさまざまな融合が画策されて、そこにカタログ、雑誌、放送、ビデオ、ゲームその他さまざまのコンテンツが絡み合って、わけのわからない化け物を生む可能性の方が現実には高いだろう。つまりブロードバンドにより、21世紀最初の10年やそこらはデジタルメディアのカンブリア期の始まりになるのではないか。だからこれからメディアビジネスの花が咲くのではなく、おびただしい失敗が始まるように思える。

しかしそれらはやがて収束して、人をとりまく情報環境はかつてないものへと一段階変化するのだろう。それがどのような情報環境であるのかはわからない。だがデジタルの行き着く先としては、やがてコンピュータの存在が意識されないとか、実態としてコンピュータが見えない状況がくるのではないかと思う。

今までコンピュータがパソコンになり、noteになり、palmになり、やがてウェアラブルになり、機能だけ残って形は消えてしまう。それはちょうど動力の変化に似ている。動力の機械化といえば蒸気機関の発明当時であるが、よく昔の工場の内部の様子を描いたものに、天井に大きなシャフトが通っていて、その一つの大きな回転力をベルトで小分けして、個々の紡績機の部分などを動かしていた絵を見たことがあるだろう。

ところがその後は動力源は分散的に使われるように変った。モーターはどんどん小さいものが非常に多数製造されるようになり、携帯電話のブルブル振動モータのよう小指の先ほどのものまで、あらゆるところにゆきわたった。1970年代にマイクロプロセサが誕生し、ありとあらゆるモノに搭載されるようになったのもそれと似ている。

その能力もちょっと前の汎用コンピュータを超えるようになったのだが、だからといって汎用コンピュータのOSやアプリケーションがどんどん使われるようになったわけではなかった。 かつてコンピュータが多く使われだすとソフトウェア開発が追いつかないという「ソフトウェアクライシス」がまことしやかに問題視されたこともあったが、クライシスは起らず、しかも汎用機のプログラマが増えたわけでもなかった。

汎用機とは全く畑違いのintelやMicrosoftが出てきて、パソコンやそのOSやアプリの主要な部分をおさえるようになってしまった。これからのメディアの業界地図やその中の序列というのも、今までの様相がちょっと変るという程度ではなく、パソコンのアナロジーが適応できるような革命的なものになる可能性は高い。

つまり旧メディアで将来とも安泰の明るいものはないように思えるので、ブロードバンド時代にメディアコンバージェンスを潜り抜ける中で、新たなプレイヤーによってメディア業界が再編成されるという結果になるのだろう。

2001/05/06 00:00:00


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