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印刷産業は21世紀も健全か?

塚田益男 プロフィール

2001/6/7

Print Ecology(印刷業の生態学) 過去の掲載分のindex

4. 印刷需要のベクトルをつかもう!

4-1 21世紀の印刷

経営戦略を作るといっても、今後の印刷業がどのように変態するのかが分らなくては戦略の立てようがない。最近アメリカのPIAがvision 21というレポートを出したし、日印産連がPrinting Frontier 21というレポートを出した。全印工連は2005計画という運動方針を出した。いづれも情報化社会におけるIT革命をどう捕らえるのか、環境問題への対処の心得、メディアの多様化対策など、21世紀初頭の社会変化に対する諸問題と印刷界の経営姿勢について論述している。私はこうしたレポートは大変良くできているので多くを加える必要はないと思っている。しかし、このレポートを読んで、自分の会社の経営戦略について具体的な方向を書ける人は少ないと思う。そこで私は戦略作りのお手伝いをするという観点から自分の意見をまとめて見ることにする。

●印刷産業は21世紀も健全か?

私たち印刷人はいつも「ペーパーレス社会が来る」という言葉に脅かされてきた。コンピュータが普及したらビジネスフォーム印刷がなくなるというのが10年前の最初の脅かしだった。結果はコンピュータ普及と共にBF印刷は急成長し、一時は大変なブームになった。しかし今日ではコンピュータがネットワーク化し、ディスクも大容量になったので、一転してBFもペーパーレスの方向へ動き出した。

現在、みんなが不安に思っているものはe-book だろう。アメリカでは将来、本屋の機能はPOD(Print On Demand)センターの機能になるだろうと言っている。現在のように沢山の本を店頭や棚に並べている本屋の姿は変り、インターネットやDMなどで本の情報をとった読者は、POD本屋へ行って希望する本をパーソナルに紙に出力して製本してもらうことになる。そうなれば、本を店頭に並べると言う非効率もなくなるし、一番頭の痛い返品問題と倉庫管理の問題も解決するという。さらに話が進んで、e-paper が普及するかも知れない。何も紙にPODで出力してもらう必要はない。PODセンターでディスクにダウンロードしてもらえば自分のポケットモニター(e-paper)で本を見ることができる。

もっと大きな問題は同じ系統の話だが、新聞、雑誌の不要論である。社会の情報インフラはITの国家戦略の中でどんどん進化する。ブロードバンド(広帯域大容量情報伝達)の普及は5年以内に行われるだろう。ニュースの伝達はどう考えてもインターネットやTVの方が新聞や雑誌より早い。しかし新聞や雑誌の価値は今日でもニュース伝達機能にあるのではない。解説記事や論説などに重心が移っている。従って新聞や雑誌がなくなるということは考えられない。それにしても現在のように紙に印刷する必要があるだろうか。本と同じように、駅の売店で当日のニュース解説を自分専用のモニターに有料でダウンロードしてもらえば良いということになるだろう。

話はまだ続く。次は広告の話だ。ブロードバンドになれば、テレビも多チャンネル時代になるし、その上、広告の媒体はテレビだけでなく、インターネット、iモード、Lモード、CDなど多様化する。媒体が分散し、多様化すれば広告の効果が小さくなるから価値も小さくなる。そのために広告収入が減って経営ができなくなる新聞や雑誌もでてくるだろう。

ブロードバンドの普及と共に、この様な予測がどんどん膨らむと、チラシ不要論、カタログCD代替論などが現実的な話になる。そこまで話が進めば印刷産業不要論ということになる。私たちはこの30数年の間に印刷産業の中でも沢山の仲間の業種が不要になって消失したのを見てきた。今度はいよいよ印刷かという不安は消えはしない。まだ不確実だから社会の誰も口に出さない。しかし良く考えて見ると、残るにしろ、消えるにしろ、答えを出すのは他の社会人ではなく、印刷人だけである。自分のことを一番よく知っている印刷人が答えを出さなければ、他の産業人が分るわけがない。

そこで印刷物の訴求価値をもう一度考え直してみよう。他の電子媒体と比べて、印刷物の優位性は何かということだ。優位性については多くの識者が語っているが、ここでは私の長い間の持論について語ってみたい。そして、その上で私は印刷産業は永遠に続くと確信している。勿論、印刷物が長い間持っていた情報伝達機能や記録保存機能などは、他の電子媒体にかなりの部分が移行するだろうから、印刷産業の地位は相対的に低くなるだろう。それでも印刷物は他の媒体では代替できない機能を持っているので大きなダメージを受けることなく21世紀も生き続けると信じている。

1)静止画と動画像
 動画像はCG(コンピュータグラフィックス)の技術がどんどん導入され、何でもできる世界になってきた。米国を中心にCGソフトが沢山開発され、蓄積されているので、娯楽映画だけでなく学術的に医学、工学、天文学などあらゆる分野に応用されている。それでは静止画像は不要かというとどうも不要にはならないようだ。もし不要だとしたら、絵画も、ポスターも、カレンダーも不要になってしまう。そんな人間社会は考えられない。静止画は、人間社会の生活を彩る上で必需品である。但し、その静止画は30年前にモノクロの印刷物からカラー印刷物に需要性向が変ったように、21世紀はさらに美しいものを要求するだろう。従来の印刷技術で満足していた4色印刷技術はもっと高級印刷物に変身するだろう。土台、技術の多様化ということは、一つ一つの技術の価値が小さくなることを意味するのだから、静止画の印刷物も、動画の品質にはないいくつかの技術をミックスし総動員することになるだろう。

2)一覧性
 最近の電子情報のモニターは高画質になったし、検索機能も早くなった。従って求めるカラー画像の呼出しも早くなり、いらいらすることも少なくなった。だからといってモニターの一覧性機能が紙媒体に勝るようになったわけではない。印刷物なら新聞紙で分るように、情報検索の一覧性は非常に重要な機能だ。同じくA4判のカタログや雑誌の見開きの中に20点近い商品や店舗情報をのせているのを見ると、この機能は矢張り紙媒体でなくてはできないものだと安堵する。紙媒体に一覧性があるということは、定められたページスペースの中に、可視状態で沢山の情報が入れられるということを意味する。そのことは印刷物の解像度が電子モニターよりはるかに高いということ、すなわち印刷技術の高い機能と優位性を顕示しているのだと思っている。この一覧性の優位性は私たちの日常生活の中で代えるものがない重要なものだと思っている。

3)行間思考
 単行本を読む時、ストーリーが簡単なら一気に読み下すことができる。しかし、その文章に何らかの思想が書かれている時は一行でも飛ばして読むことができない。著者の文章が上手下手もあるが、著者の思想が高く、抽象的表現が多くなればなるほど一行づつの重みが増してくる。すなわち一行の価値が増してくる。

小説本であっても、実用書であっても、書籍で必要な機能は著者と読者との対話である。男性にとって面白い本でも、女性にとってはつまらない本もあるし、人生経験豊かな中高年令層に求められる本であっても、若い人には興味がない本もある。そしてその逆もある。私のこの文章にしても印刷人以外の人にとっては無意味なものだと思っている。私の友人達は私の何冊かの本を読んで、君の本は印刷の所を外せば、すべて一般社会人に有用な思想だから、印刷の専門的な所を外して出版したらどうだという。しかし私はいつも次のように答えている。例え私の思想が一般的に有用だったとしても、それはわたしが印刷人として努力し、その結果が社会的に評価されたので、私はそのこと自体を有難く思うが、それは印刷人としての感謝であり、誇りだと思っている。従って、私は印刷人以外の社会人と対話するために本を出版したいとは思わない。

本は読む人によって価値は変るのである。ところが映画や動画は文字を読むのではなく、絵そのものを見ているので、しかも早く動いてしまうので、思考の入る余地はない。パソコンの場合なら文字を読む時もクリックしながら文字を追い、情報をとることに目的があり、求める長文の思想の入った文章をサーチできたら、それをプリンターで出力するのが普通である。

このように書物は読者との対話機能が必要条件である。著者と読者との対話とは、読者の社会生活、経験、知識、知恵と著者とが対話するのである。従って、著者の記述、描写、思想などは、それを読む読者の受取り方によって、少々の偏向はあって当然だし、それ故に読者によって本の評価も異なるのだと思っている。それこそ行間を読むことであり、読書の楽しさは電子メディアでは得られないものだ。それだからこそ、書籍は文化財なのだと思っている。

4)携帯性(Portablity)
 長い間、印刷物の機能の中で第一にあげられたものは何といってもポータブルであることであった。しかし今日ではその地位を携帯電話に譲ることになった。道路を歩いていても老いも若きも耳に電話機を当てて話をしている。電車の中では話しを禁じられているが、若い女の子はEメールという親指ゲームを楽しんでいる。僅かこの5年以内に世界中どこへ行っても移動体通信が溢れてしまった。そのために出版不況になってしまったが、出版が不要になったわけではなく、書籍購入費という教養費が通信費の増額のために削られてしまっただけだ。通信費はいづれ安くなるから心配していないし、電話という情報交換機能でも人間の情報量には限度があるから、携帯電話がサチュレートしたらそれ以上は増えないだろう。

残りはEメールという親指ゲームが読書時間をどれだけ削るかということだろう。私はブームが去ればまた人々は読書に返ってくると信じている。それにしても21世紀の本はポータブルでなければならない。もう本箱や応接室の飾り物としての書籍は不用になった。情報が激しく動く時代に、百科事典の飾り物は陳腐でしかない。書物の携帯性はいよいよ重要になる。その時、矢張り重要なものはコンテンツそのものであり、コンテンツの行間思考の文化性、読者との対話機能、さらには高解像度の美しさ、そして一覧性というものであり、そうした書籍そのものに求められる諸機能だということになる。

2001/06/07 00:00:00


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