もともとは写植やCEPSなどのプリプレス専用システムを、オープンなパソコンやワークステーションのプラットフォームに移したものがDTPで、狭義には紙面データの記述をPostScriptで行っていたものを指していた。写植やCEPSが主流であった時のDTPの定義は以上のようなものでもはっきりしていたが、今日ではDTPが主流で写植やCEPSが傍流になり、それらもDTPとのインタフェースをもって、連携して使えるようになると、DTPの意味自体もぼやけてくる。
またDTPのPは、英語ではpublishingを出版だけではなく、出版制作まで含んで使っていた。それは欧米では出版社がキーボード作業まで行う例が多かったからで、事実電算写植も出版社に多く入っていた。つまり編集から版下まではもともと一連の作業であった。これらに特別なソフトハードを必要としていた時は、代わってDTPがその機能を提供するものであったので、DTPの意義は明確であったが、今日の出版制作に必要な要素はDTPを意識せずとも、どのパソコンにも備えられている。
このパソコンのpublishing制作機能はDTPよりもむしろホームページ作りに広範に使われるようになった。Adobeの売上も2〜3年前まではMacとWindowsが半々であったようだが、今はWindows版がぐっと増えたのは、DTP人口ではなくWEB制作人口の増加による。AdobeはWEB専用のフォトレタッチソフトを出すまでになったほどだ。
DTPが登場したときには、専門家を介することなくDTPによって誰でも出版できるようになるという出版民主主義の青写真が描かれたことがあったのだが、実際の出版民主主義はWEBに代表されるように紙に出さずに出版するという形で広まった。DTPが底辺まで普及することはなく、デザイン・編集や写植・CEPSといった以前からの専門職がDTPの主ユーザになったのである。
情報技術が進展してコンテンツ供給が促進される中で、publishingのプロは増えたかというと、プロの役割は効率化なのでDTPで人数を増やすよりも、コンテンツをデータベースで管理して、自動レイアウトするとか、WEBでもPDFでもサーバで処理して自動送信するとか、プリントオンデマンドで紙にも出せるようにするなど、むしろ情報処理系のプロがpublishingで活躍する局面が増えてきた。
かつてDTPのPostScriptは、スケーラブルなベクターグラフィックス・フォントなどWEBに対して技術的な優位性をもっていて、オンライン配信用にPDFを使うという考えであったが、WEBの技術的なハンディもなくなりつつある。
デジカメやカラーのプリント環境やWEBシステムはどこでも当たり前になった今、DTPの独自の領域は紙への高精細出力に最適という点だけなのか? 結論としてDTPは固有技術を守りきれず、それらは一般のパソコンの世界に広くゆきわたってしまい、むしろDTPはデジタル技術とは一線を画した印刷物作りのノウハウ体系として残ると考えられる。
2001/09/14 00:00:00