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変わる会社統治の仕組み

塚田益男 プロフィール

2002/3/8

カオスの中の印刷経営(T)その4 (その1 その2 その3 )

4.コーポレート・ガバナンス(会社統治の仕組み)

この言葉の概念については私の著書「カオスからの脱出」の中でも述べておいたから、ご理解頂いていると思う。この1月に会社法の改正案がまとめられ、いよいよ会社の概念が変ってきたので、会社経営のパラダイムについて、私たちも意識を変えなくてはならなくなった。

ジャパンタイム(1月17日)に「U.S.モデルに近づく会社」と題して、次のような記事をのせていた。要点のみを紹介しよう。

1) 日本の取締役会は扱い難いし、弾力性もないということで、この10年以上、非難の的だった。その取締役会は通常、米国と比べて役員数も多いし、全部が会社のインサイダーばかりだ。米国のCEO(Chief Executive Officer)に該当するものは、日本ではCOO(Chief Operating Officer)(執役役員、社長)というものだ。

2) 改定会社法の下では、取締役会は広範囲な重要案件につき、選任された執行役員に対し権限を代表することになる。

3) もしU.S.スタイルの役員構成を採用することを会社が選んだ場合には、1人以上の社外役員を選任し、取締役会に加えなくてはならない。これは株主の利益を守るため、会社運営を監督するのに必要な大きな力を取締役会に与えようとするものだ。

4) 執行役員は新株や社債の募集を指示する力を与えられる。また、執行役員は株配当や利益留保金のような形で、毎年の純利益を処分する方法(利益金処分案)を取締役会に提案する力も持っている。勿論、取締役会はその提案を是認したり、否決する権限を持っている。現在の会社法の下では、利益金処分に関する提案は株主総会で是認されなければならないことになっている。

5) この役員構成を採用する資格を持つ会社とは、資本金5億円以上の大会社だけである。また、現在の会社法による役員構成を維持することも自由である。

6)取締役会は次の三つの委員会を持つ。
監査委員会、役員任命委員会、報酬委員会(取締役および執行役員の報酬レベルを決定する)

7)各委員会は3人以上の役員で構成されなければならないし、その過半数は外部役員でなければならない。

この会社法改正は大会社だけのことだが、会社運営の精神や思想は中小企業においても同じものだ。そこでもう一度、コーポレート・ガバナンス(会社統治の仕組み)について考え方をまとめておこう。

●stake holder(利害関係者)

10年近く前までの古いパラダイムでは、会社は誰のものと問われたら、利害関係者みんなのものと答えるのが常識であった。会社の利害関係者とは、従業員、得意先、経営者、銀行および金融機関、取引先資材納入業者、生産および流通協力会社、会社周辺の住民および事業所、株主(出資者)などである。これらの利害関係者を、会社経営の関心度の強さに応じて順位をつければ次のようになっていた。

従業員、銀行、得意先、経営者、株主

a)従業員 古いパラダイムの社会とは経済が慢性的に右肩上りの社会だから、常時、労働力が不足しており、その中で終身雇用、年功序列型賃金体系、企業別労働組合などという慣習が定着した。そこでは会社と従業員は意識の上でも、生活実感の上でも一体となり、いわゆる会社人間とか金太郎アメ型社員が通常のパターンとなる。会社としても従業員教育と生活の安定に努力し、会社全体が一つになって、企業中心社会というパラダイムの核になれるように努めた。その意味で、従業員対策は一番強い関心事であった。

b)取引銀行 古い金融のパラダイムは間接金融であった。設備資金など長期事業資金の調達は、土地を担保とする銀行からの借入金によるものが大勢であった。地価は右肩上りで上昇を続けるというのが常識だったから、銀行は土地担保さえ十分にあれば、事業による利益水準は低くても貸出しに応じてくれた。そこで経営者にとっては事業継続のためには銀行は重要な存在となるので、正月の挨拶廻りなどは得意先より先に銀行に行くことになる。こうして土地本位制の日本型金融パラダイムが完成し、いびつな日本型金融資本主義が、その後のバブル経済の温床を作った。いづれにしろ、銀行は従業員に次ぐ重要な存在であった。

c)得意先 「お客様は神様です」という発想は今日でも生きている。特に印刷業のように法人中心の受注産業においては、一件当りの受注金額が大きくなるので、この発想は大切になる。しかし主要得意先であっても発注担当者が変ることが多いので、7〜8年で変動があるし、その他の得意先なら3年以内に30%以上が変ってしまうだろう。すなわち営業マンは常に新規得意先の開拓に努力していなくてはならないということだ。

d)経営者 経営者の任務は社会発展の中では本来、重要なものである。しかるに日本的資本主義という半分、社会主義的な古いパラダイムの中では、国の政治思想も一億総中産階級化であり、米国におけるベンチャー経営者が体得するようなアメリカンドリームは認めないというものであった。すなわち過酷な累進課税が行われ、社長の給与であっても、経験も学力もない新卒社員の給与の名目で10倍程度であり、税引き後なら4〜5倍程度である。まして一般役員や上級職員なら、その差はもっと小さくなる。その中で家族を養い、上司としての権威と社交費用を賄うことになるのだが、土台が無理な話である。そこで社用族も生れるのだが、当然の流れというべきだ。

その上、過去の経済は右肩上りだったから、下手にベンチャー精神やフロンティアースピリットを発揮し、リスクを負うような事業計画を行うよりは、社会の流れに順応して行った方がうまく行くという風潮になっていった。そうした後向きの流れの中で、経営者の位置づけは予想外に低くなってしまった。街の小さな商店主であっても社長であり、奥さんが専務という社会風俗も生れてしまった。国の政治思想が基本的には変っていないから、今日でも税体系は変らないし、経営者意識も低いままだ。これでは新しい日本の経済社会は良くならない。

e)株主 株式会社にとって株式保有者であり、出資者である株主は一番大切な存在なのに、古いパラダイムでは何時の間にか経営関心度の中では最下位に落ちてしまった。事実、資本主義が成熟期を迎えるのに従い、株式は金融商品となり、会社の経営から遊離してしまった。すなわち株主は株式市場の売買の中で株価が上下するというキャピタルゲインを追求することに夢中になり。会社の社長の名前も知らず、事業内容についても株価を左右するものについてのみ関心があるだけで、事業結果の配当の多少については関心を示さない。事実、多くの株価が額面価格の数十倍になっているのだから、小さな配当金より、市場価格の上下を追う方が合理的でさえある。

その結果、会社は一般株主を無視することになり、適当な配当率を出すだけで、残りは社内留保に廻すことになる。バブルに迷わされず真面目に社業を貫いた会社は、この社内留保の累積により立派は会社に成長することができた。それは一面では株主軽視というものであった。

●Share holder(株主)中心の経営

バブル経済が壊れ、地価や株価が暴落し、土地本位制の日本型資本主義が崩壊し、企業中心社会のパラダイムも、間接金融のパラダイムも消失した。新しい金融パラダイムは増資、社債発行、利益留保という直接金融のシステムである。そこでは株主の地位が逆転する。

株式会社は誰のものと問われたら、即座に株主のものと答えることになる。そこで、もう一度、最近の社会における会社経営の関心項目を重要度に応じて並べ変えてみよう。

株主、経営者、得意先、銀行、従業員

全く古いパラダイムの時とは逆になる。

a)株主 今日では「土地のような金のなる樹」は会社にとっても、社会にとっても存在しない。新しい事業資金はどこの会社も自分で調達しなくてはならない。すなわち直接金融である。リスクのある事業資金であるから、出資者である株主には相応の報酬があるべきで、銀行の金利に少々上乗せした位のものであっては増資などできるものではない。そのリスクを承知の上で増資に応じてくれた株主は正に神様と称すべきものだ。

前述の会社法の改正も、正にそうしたパラダイムシフトを意識してのもので、株主の地位を最優先に強化しようとするものだ。しかし法改正は何か恐がりながら行っているように見える。現実の世界ではすでに銀行の権威は地に落ちているし、貸出し機能も小さくなっている。いやでも会社は直接金融の道を歩まざるを得ないし、それができない会社は発展をあきらめざるを得ない。法適用の範囲を大企業だけに絞らず、法改正をさらに緩めて中小企業にも適用できるようにすべきだと思う。現実の経営環境はすでに株主こそ神様という意識が定着しつつある。

b)経営者 会社の取締役会は株主対策のために存在するのだが、日常の会社運営は執行役員会に一任される。この執行役員である経営者は一段と任務が重くなる。会社法改正案の中でも、その位置づけは明記されている。土地という金のなる樹がなくなり、直接金融パラダイムになり。経済はゼロサム、従って事業はリスキーになる。だまっていても真面目にしていれば会社は成長するものだという時代は終えてしまった。会社の維持発展、そして株主からの信頼は、執行役員の経営力にすべてを負うことになる。当然のことだが、経営者の重要度は株主の次に来る。

c)得意先 この重要度は前述の通りで中位にあるものだ。

d)銀行 銀行の主たる業務は通貨の円滑な流通にある。預金業務、交換業務、送金業務、短期貸出し業務、為替業務などである。土地のような金のなる樹がなくなり、絶対安全と思われた土地担保がなくなった今日では、リスクのある事業に対して、長期貸出しをするような業務はできなくなった。従って、一般会社にとって銀行の重要度が低くなるのは当然だ。しかし、最近では窓口業務も広がってきて、私募債発行の窓口機能も果せるようになっているので、間接金融時代のようなオールマイティの機能は無くなってきたが、それでも会社にとっては信用の窓口であり、経営のチェック機能を持つものとして、大切な組織だと考えなくてはなるまい。

e)従業員 従業員の地位は最下位になってしまった。本当に最下位に考えて良いのだろうか? このことについては労務管理の新しいパラダイムとして別項で記述しなくてはなるまい。問題は新しいパラダイムとして、ここで記述している従業員の概念は、企業中心社会という古いパラダイムの中で論じてきた、終身雇用制の従業員の概念とは異なるということだ。

古いパラダイムの従業員というのは、従業員という名称より、一律に社員という名称であった。大正時代には社員とは出資社員のことをいい、一般従業員の身分は安定していなかった。昭和の初期に入ると出資社員でなくても正規社員なら社員と呼ばれるようになったが、一般従業員は雇員、嘱託などと呼ばれて区分されていた。昭和20年以後、次第に従業員はすべて社員と呼ばれるようになり、終身雇用型の企業中心社会が定着するようになった。

それも1980年代の末期には、高度成長経済が成熟化し、バブル経済に突入すると、労働力不足が顕著になり、地方からの出稼ぎ労働者、フリーターという学卒労働者、婦人の社会進出が目立つようになった。そうした労働力不足が今日では少子高齢化社会の中で、新しい顔を見せるようになり、平成大不況で失業者が増加しているというのに、労働力の多様化は定着することになった。すなわち、パートタイマー、アルバイト、嘱託、派遣社員、外国人労働者などと呼ばれる人たちである。

こうした非正規社員という人達は今日でもどんどん増加しているし、流通業や飲食業などでは従業員の65%以上が非正規社員だという。サービス経済化がまだまだ進行する社会にあっては、こうした非正規社員の比率はますます増加するだろう。そして、その人たちの社会的地位についても、法的に考慮する必要が生じてきた。新しいパラダイムの経営関心度として従業員を最下位においているのは、そうした非正規社員のことだと理解して欲しい。一方、こうした非正規社員の会社への依存度や愛社精神も極めて低いものだ。

●「資本と経営の分離と統合」そしてコーポレートガバナンス

資本と経営の分離が経営者の心得として説かれるようになったのは、1945年以後すなわち敗戦後の企業中心社会がパラダイムとして定着しはじめた頃のものだ。それ以前の社会は低成長社会であり、資本調達は直接金融であった。資本主義初期段階の社会システムで、株主というより資本家による経営管理が一般的であり、自由、公正、公平が守られない社会だった。

私が大学を出る頃(昭和26年)には企業中心社会が芽を吹き出し、会社経営は利害関係者(stake holder)を中心に行われるべきものという思想が普及しだした。株主(share holder)は一歩も二歩も経営面から後退し、利益金処分案さえ形骸化したシャンシャン総会の中で決定されて、実質的な参加は閉め出された。経営陣は経営のプロという意識の中でテクノクラートになり、サラリーマン化した。こうして経営テクノクラートである利害関係者(stake holder)の代弁者、すなわち経営取締役と株主(share holder)とは全く分離することになった。そして、それこそが近代化社会の経営思想として賞揚されたのである。

しかし、中小企業の経営者は多くの場合、その会社にとっては唯一の大株主であり、一人の人格の中に2つの機能、株主と利害関係者の代弁者という機能を持たざるを得ない。しかるに戦後の労働運動、資金調達、技術革新の洗礼を受ける中で、いやでも自ら大株主という人格と権利を否認し、利害関係者の代弁者としての機能を大きくせざるを得えなかった。その結果は、当然受けるべき配当もとらず、ひたすら一人の役員として、働き続けるのだった。

そうした分離思想すなわち株主機能を経営から分離した、利害関係者中心の経営思想であっても、右肩上りの経済、間接金融の資金調達の時代なら、何とか矛盾を表面化することなく、コーポレートガバナンス(会社統治の仕組み)をうまく機能させることができた。問題はこれからのニューパラダイムの中では、この分離思想は役立たないということだ。

会社は拡大のための新投資をしなくても、少くも維持するためには技術変化に対応するための投資活動はしなくてはならない。そして、その投資額は単純再生産だからといって減価償却額だけで間に合うものではない。まして現在の印刷業のように技術変化がはげしく続けば、それに最低限でも対応するための投資額はそれなりに大きくなる。その資金調達は銀行に頼れなくなった以上、増資、社債発行以外にはないし、たとえ銀行が窓口になったとしても、出資者を満足させられるような利益確保が約束されなくてはならない。

経営思想が昔のままで、競争思想も価格競争のことしか知らない印刷界にあっては、利益保証の資金調達などできるわけがない。利益確保の経営のためには、先ず何よりも正規社員が経営のパートナーとしての機能を発揮しなくてはならないし、会社はそのインセンティブを引出すような組織作りもしなくてはならない。その上、これからの経営では、公害問題は避けて通れないし、グローバルな競争環境、技術革新に対応する情報ネットワーク、得意先とのコラボレーション、協力会社とのネットワークなどなど社員をはじめとして多くの利害関係者との関係は益々密度が濃くなる一方だ。それでいて株主(share holder)を無視しては会社の経営は全く不可能になる。

新パラダイムの経営の仕組み(コーポレートガバナンス)は資本と経営の分離ではなく、二つの機能を極限まで大きくしながら統合するという、難しい局面を迎えることになる。会社法の改正案が、取締役会の機能と執行役員会の機能とに二分したのも、従来、分離といいながら利害関係者の代弁者の機能に片寄っていたコーポレートガバナンスを、本当の意味で分離し、その上で一つの会社の中で統合しようというものだ。

2002/03/17 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会