印刷文化展の標語だったか、「印刷あり、文化あり」という言葉があったが、一般の印刷の需要やビジネスはそれぞれ固有の文化の上に成り立っている。技術は印刷であれデジタルであれ、固有の文化を越えて普遍的に適用できるものであるし、文化の垣根を越えて継承発展することで、文化的な変化よりも遥かに速く進んでしまう。技術の変化を印刷ビジネスに反映させるときにいつも問題になる点である。
結果的にいうと文化の中に技術を潜り込ませて成功した例はわかり易い。日本では江戸時代の浮世絵など重ね摺りをして複雑な色を出していたが、色を重ねていくというのは、水彩画の世界にはあっても、油絵にはない。ではなぜ日本では微妙な色を重ね摺りをすることが当たり前のように行われていたのだろうか。そうすれば日本人が求める色合い、日本人がセンシティブな色合いが出るからである。日本人の好みは、日本の文化の問題であり、それを色再現の技術が追いかけているだけで、色再現という点で目標とすべきは技術ではなく文化なのである。
ヨーロッパのカラー印刷物をみると、中間より上にどっと比重があって、全体としてコントラストの低い、眠い調子とか、人の肌がやけに黄色っぽいあるいは薄茶ぽいものなどが意図的に作られていることがわかる。同じ製版機器を使っていても、日本で肌色はこうあるべしとか、シャープネスをギンギンに効かしたメリハリ画像作りに躍起になっているのとは対照的である。Photoshopのようなツールはどちらもできるようにするのだが、利用技術としてはそれぞれの文化差にあったものが望まれるのだろう。
視覚に関する文化差はそれぞれの風土が産んだものであろうから、文化のビジュアル特性を捉えるには、主としてメディアで再現する対象物について、その風土に由来するものを追いかけるという考えがある。青空のスペクトルも地域で異なるとか、夕焼けの色、風景の色、代表的動植物に関する記憶色などの調査はそれなりにされていると思う。
ところが自然画の分光スペクトルと、人間が見た目の良し悪しとは、まだ大きな乖離がある。つまり対象物のスペクトル分布に合わせてレタッチすれば、良い画像になるというものでもない。文化の色をパラメータ化するという作業と、好ましい画像の分析という両方向からのアプローチは、いつ出会うのだろうか。
好ましい画像を作るアルゴリズムは途方もない道のようだが、デジタルカメラの出現で少し道は見えてきたのではないかと思う。デジタルカメラとインクジェットプリンタの関係は次第にクローズドループのようになり、感材や製版などの中間の変動要因がないので、デジタルカメラの画質評価をソフト的に行うことが進めば、色の文化的味付けというのもオーディオのトーンコントロールのような簡単な調整でできるものになるかもしれない。
テキスト&グラフィックス研究会会報 Text&Graphics 185号より
2002/08/03 00:00:00