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リアルワールドがメディア技術を取捨選択している

技術の進歩は自然発生的に起こるものではなく、そこに投入された努力や金額に左右される。そして新たなメディアが社会に根付くにはそれなりの時間がかかる。戦後TVが夜のお茶の間(アメリカではリビング)の情報の主役になったが、その陰で新聞の夕刊が減っていった。しかしアメリカで夕刊が朝刊よりも少なくなったのは1980年代であり、今でも夕刊の発行は続いている。Webが登場して、新聞に影響が表われたのではないといわれるまでに数年かかっている。

新たなメディアには文化の創造にかけるような相当の投入が行われないと、市民権を得られるところまではいかない。だから、あるメディアに特別に入れ込む社会の性質とか文化そのものがメディアの性質ともいえる。アメリカは飛びぬけてTVコマーシャルに金をかけていた国で、それによってTVの娯楽性も高まっていった。日本もTVの娯楽文化にどっぷり浸かっているようだが、TV広告の比率はアメリカよりもずっと低い。

アメリカから見れば、日本の新聞折込チラシの多さは、新聞広告やTV広告の市場を削っていると思うかもしれないが、日本人は何の不思議も感じないのは文化差といえる。結局メディアの技術は普遍的なものであって世界的に影響を与えるが、メディアの活用度合いは基盤となる文化の影響を受けている。

携帯電話は世界的に普及したが、日本では黙々と親指を動かすのに「携帯電話」を使っているのも外国から見れば不思議かもしれない。韓国製品では「携帯電話」でTVを見るようなもののデモも見たことがある。そしてブロードバンドとともにインターネットでTVを見るというのも普通になっている。それぞれの文化の中で特異に発達する技術もあるが、またそれは世界に飛び出していって異なる発展の元となる。

日本では普及しなかったが、VCDは中国・韓国で普及し、アニメのmpeg1化と共に主題歌をデジタルで取り出して交換するために、mpeg1レイヤー3(mp3)がポピュラーなものとなった。これは中国・韓国ではそのような情報交換に対する著作権管理が緩かったから可能になったのだろう。しかしその技術が欧米先進国では大きな問題となった。リアルワールドがメディア技術を取捨選択しているのが今日の状況である。

■出典:通信&メディア研究会 会報「VEHICLE」163号(巻頭言)

2002/12/10 00:00:00


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