先史学者か、民俗学者か、人類学者か? アンドレ・ルロワ=グーラン氏が情報やコミュニケーションを論じているのを以前TVで見た。電話の会話やTVの映像と、文字情報の比較をしていた。昔からコミュニケーションとインフォメーションの違いとか、文字を読むことの持つ意味と映像の伝えるものの違いとか、いろいろ比較・議論されてきたテーマではあるが、ルロア氏はバッサリ整理していた。
飛躍した例えになるが文字組版してページになって、それを束ねて本という様式をとり、本は本屋とか図書館に納まるなど、様式とか社会の装置になることで文化の継承の役割を果たす。あるいは文化とはそういう装置化されたもので引き継がれるものという。そもそも人間は脳にメモリされた内容を覚えてるとかそれに基づいて行動するのではなく、外在化したものが人をたびたび触発しながら文化の伝承がされるという。
別の人だが情報様式論というものもあった。これらはちょうど印刷文化とは何かを考える時だったので非常に役に立った。本というのをじっくり考えると、それが今日まで継承された本の様式とか、本としての扱いや評価を受けてこそ本であるのであって、本のテキストだけを取り出して本と等価に考えるわけにはいかないのは納得できる。
その意味では電子ブックは有り得ないことになるが、いいかえると電子ブックは別の文化を創ると考えればいいのである。これは電子ブックという商品を単独で作っても仕方がない。本を読んで育った子供のうちの幾人かがそのうち著者になるだけでなく、本好きが編集者にもなれば、古本屋もすれば図書館で働くようになって、本を読むこと自体が定着し再生産するという、生物の生殖・生態系の循環のようなものが電子ブックの周りにも出来てこないと、電子ブックは文化の要素にはなれないかもしれない。
こういった環境をゼロから構築するのは大変である。メディアのビジネスは技術やコンテンツの新規性で成り立つのではないので、その社会の文化の一角という点で地に足のついたものとか、意図的に残したい文化などに目を当てて、そのための装置として実現を図るアーカイブは、遠回りのようで素直なアプローチかもしれない。
■出典:通信&メディア研究会 会報「VEHICLE」164号(巻頭言)
2002/12/28 00:00:00