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多言語組版環境の現状と課題〜アジア圏の言語文字問題を中心に〜

多言語組版のポイントはなにか。アジア圏の文字や組版は日本語のそれとどうちがうのか。今回は,10月のT&Gミーティング「多国語言語の組版」におけるネクストソリューションの長村玄氏のお話から抜粋,要約して報告する。

言語文字の問題

言語と文字は1対1の関係にはない。たとえば英語と米語は違うが同じアルファベットを使っているし,文字を持たないアイヌ民族の言語を日本語のカナで記述するということが行なわれている。複数の言語が1つの文字体系を共有することが多いのである。言葉を文字に換えて意味内容を伝達するのが文字組版だが,このような言語と文字の関係を考えると,たんに文字といえばいいわけではなく,また文字と言語を別々に論じてもいけない。そういう意味で,私は言語文字という造語を使っている。

多言語組版のパターン

多言語文書をその構成によって5つのパターンに分けてみた。

《1》 ある言語文字の組版の中に,一部分だけ行組版レベルで他の文字体系の言語が挿入されるケース。たとえば日本では昔から和欧混植が行われている。
《2》 段落単位で複数の言語が独立に組まれるケース。
《3》 2段組の対訳などの形で同一内容を多言語で表すケース。各部分が正しく対応する仕組みが必要である。
《4》 ページ単位あるいはそれ以上の単位で言語文字が変わるケース。小説の対訳本など。言語によって版面設計を変えることができる。
《5》 《4》の拡張版。多国語のマニュアルなど。極端な場合は独立した本になる。

たとえば,日本語をベースに考えると,《1》《2》を読むのは日本人である。他の言語の部分も日本人が読む。この場合は文字のデザインや組み方も日本の文化をベースにしなければならない。それに対して《5》はその言語のネイティブが読むことを前提としている。《3》《4》の対訳などの場合は両方の場合が考えられる。つまり,多言語組版はだれが読むかという意識がないと組版がばらばらになってしまう可能性がある。同じ言語ならすべて同じルールで組んでもいいというわけではない。

多言語混植の基本

複数の言語を混植する場合は,それらの言語文字の大きさ,太さ,位置が視覚上揃っていることが大前提だが,なかなかそうはいかない。たとえば日本語のWindows環境ではMS明朝と平成明朝体など書体によってフォントメトリックとしての配置も違う。書体メーカーは広い視野を持って書体を設計する必要がある。また,組版というとふつうは組版ルールに重きが置かれるが,実際には言語ごとの文字の黒みが大変重要な要素になる。多言語組版の場合,対訳なら黒みが違っても許されるが,行組版の中で黒みが違うと,強調と思われたり読みにくくなったりする場合がある。
本来,多言語組版をするなら,統一の取れたデザインのフォントを使うべきだが,フォントデザインはコストがかかるため,実際には現にあるものをうまく使うということになる。そしてそのときにサイズを変えたり,位置を動かすといったチューニングが必要になるのである。

アジアの言語文字の多言語組版

中国や韓国の組版は日本語の組版と似ている部分があって比較的理解しやすいが,東南アジア系の文字やチベット,モンゴルになるといろいろな問題が出てくる。
たとえばクメール文字は,本来はリガチャ的に使われなければならないのに,実際の組版では離れた処理をするものが多く,それを見て育つ子供たちにはそれが当たり前になってしまう。組版をどこまできちんとやるかということと,その国の文化をどこまで継承していくかということとは無縁ではないはずである。
インドに源流を持つ東南アジア系の文字は上下に出る部分があって,それを勘案しながら行の幅を決めるので行間が空いて見えたり,逆に,上下の行の文字が重なってしまうこともある。こういうことは日本語環境ではあまり考えられないことである。欧文組版の行間は,上の行のベースラインと次の行のXハイトのミーンラインの間を行間余白と決めている。欧文の行間余白は通常はアセンダとディセンダだけ気をつければよいのでタイやカンボジア,ラオスなどに比べれば楽である。
また,東南アジアの組版ではドロップキャップが好きなようで非常にたくさん使われている。その方法もいろいろあり,本来は一体になっているはずの母音と子音を離して組むことも多い。組版アプリケーション処理上の問題かもしれない。
それから,日本では行頭段落1字下げが一般的だし中国語では2字下げが普通である。ところがタイ語やクメールは4emから5emくらい下げているものが多く,折り返された2行目が短い場合には離れ小島のようになってしまうが,ネイティブの人には違和感がないようだ。日本語の組版ルールの考え方,組版の美学とは違う。
また,アンダーラインも,欧文ではディセンダを切ってしまうが,タイ語では下に付く母音や子音はラインを抜いている。これは大変な組版である。ダブルクォーテーションマークなども,本文とは離して大きくし,修飾的な使い方をしているものがある。
それからたとえばラオスでは,フランス植民地時代のなごりで小数点にカンマを使っている。一方,タイ語は小数点はピリオド,位取りはカンマというアメリカ・イギリス方式である。カンボジアはフランスの影響が残っていて小数点はカンマが多いが,最近はアメリカ式も増えてきた。フランス語を話す人より英語を話す人のほうが圧倒的に多くなってきたので揺れている。

異なる言語文字を組版して混植するとき,それをつなぎ合わせる役目は文字である。文字設計そのものがが混植に向いていなければ,組版上でどんなテクニックを使ってもよい組版にはならない。そして,その文字設計のポイントはメトリックとウェイトとスタイルである。具体的にはメトリックは位置と考えてよいだろう。たとえばTimes NewRomanのベースラインに対してその文字の基準位置をどこに置くかというメトリックの関係である。ウェイトは太さ,組版では黒みになる。また,スタイルが合っていなければバランスも取れない。
文字の定義というのは簡単ではない。文芸評論家の加藤弘一の「ほら貝」というWEBサイトに矢島敬二氏のインタビューが掲載されているが,そこで矢島氏は,世界の文字の中ではアルファベットと漢字は早くから印刷が普及したこともあり,文字が整理されているので,例外的にコンピュータに載せやすいが,そうでない文字のほうが多く,そういう言語では文字の単位すら曖昧だと述べている。我々が日頃使っている日本語の文字環境は例外的なものだということである。東南アジア系の文字はどれが文字の単位かを判別するのも難しい。
Unicodeで多言語が扱えるようになったのはよいことではあるが,やはり欧米のアルファベットの思想をベースに構築しているという面が見られる。NPOの活動でUnicodeやISOに対して問題提起しているが,なかなかわかってもらえない状況にある。多言語の文字組版の環境はまだまだ課題だらけである。

(テキスト&グラフィックス研究会)

2003/01/05 00:00:00


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