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グラフィックビジネスの進化を考える

和久井孝太郎

私は,今年のキーワードとして『進化』を皆さんにプレゼントしたい。進歩が著しい総合科学としての「進化論」の知恵をビジネスに活かすべきだ。

■プロローグ
進化経済学の江頭進小樽商大助教授が,昨今の技術革新時代における経営基本コンセプトのコンピュータシミュレーションを紹介し,次のように述べていた[進化経済学のすすめ,講談社現代新書1631(2002.6)]。

成長する産業界は利潤動機以外に,自らが技術革新をおこなって新しいものを作り出す,あるいはそれによって社会貢献するといった,いわば「心意気」のようなものが非常に重要な役割を果たす。「何もしない戦略」の企業や「ものまね戦略」の企業が多い業界や地域のケースやでは,業界や地域全体が衰退してしまう。シリコンバレーの成功は,みんなの心意気と,失敗の経験を活かす知識を共有する地域文化によって創造された。
これに対して例えば,米国の中でも伝統的な取り引き関係を重要視する地域文化の,ボストン近郊ルート128号線沿いのハイテク工業団地では,シリコンバレーと似たような経緯をたどりながら,シリコンバレーほどは成功できなかった。かってのミニコンの雄デジタル・イクップメント社(DEC)は,1998年にテキサスのコンパック・コンピュータ社に買収されてしまった。

日本を代表する経済学者のひとり竹中平蔵経済財政・金融大臣が,自説の経済理論と現実の政治・市場の素早い動き,マスコミ問題などの間で大いに苦労している。

ついこの間まで,近代経済学とマルクス経済学の間で覇権を争ってきた,従来の経済学では,時代の流れのある瞬間を切り取り,技術や人々の嗜好,社会構造などがダイナミックには変化しない静的(複雑系でない)システムを考えて理論の精緻化を図り,それなりの成果を得てきた。

しかし技術革新が早く,人々の嗜好も高度情報化の中で短時間に変化する現代にあって,その限界をあらわにしている。例えば,効用関数も時間で変化するし,市場の調整メカニズムもすべての商品受給が瞬間的には一致せずコストも発生する。

これに対してEvolutionary Economics(進化的経済理論)では,生き物としての経済を学問しようとしている。わが国で「進化経済学会」が設立されたのは,1997年3月のことである[進化経済学と は何か,有斐閣 1998・9]。複雑系,ゲーム理論,人工生命,コンピュータシミュレーションなど関 連科学・技術の進化なども活用し,これからの発展を期待したい。

■文化進化時計
従来の「政治史」を中心とする歴史だけでは,現在の激しい変化を説明できない。「モノ・言葉と不可分な文化が歴史を創ってきた」『文化進化』を調べることで,変化の本質が見えてくる。例えば,中国で生まれた「紙」は,官僚制と共に「書く文化」を発展させた。グテンベルク以降の「活版印刷」は,宗教改革と共に社会変革を促した。「出版文化」の進化が産業革命を押し進め,現代のテレビやビデオ、 コンピュータやインターネットを創りだした。教科書や書籍の普及がなければ,現代は大きく違ったものとなっていたであろう。

ヒトと動物を分ける最大の特徴は,私たちが高度な文化を持っていることである。ヒトは,「DNAによる進化だけでなく,文化的にも進化」して現在に至った。「文化の要素は第2の遺伝子」である。

ヒトとチンパンジーは,今から700万年前頃アフリカで共通の祖先から進化の枝わかれをした。350万年前頃までにヒトは,自然環境の変化に適応し,2足直立歩行する「猿人」の段階へ,初期の前旧石器文化の時代へと進化した。

ヒトとチンパンジーの遺伝子DNAの1セット(ゲノム)の差は,1.23%である[理化学研究所ゲノム科学総合研究センター]。DNAによる進化は,万年単位でゆっくりと進む。対して文化による進化は,はるかに早く進む。ヒトの進化とは,DNAと文化による共進化のことである。

地球上にヒトの祖先が誕生して文化が芽生え始めた350万年前から現在までを,時計を350万倍早く回して1年間に見立てる。このようにすることで,文化進化の本質を容易に実感することができる。これをここでは『文化進化時計』と呼ぶことにする。

文化進化時計での1か月は,350万年÷12=29.2万年。同じように1日は,350万年÷365=9600年。ここから計算すると,1時間は9600年÷24=400年となり,1分間は400年÷60=6.7年である。逆に計算すると,実際の1年は60秒÷6.7=9秒ということになり,50年は7分30秒,100年は15分ということになる。

ドイツの哲学者カール・ヤスパースは,「ヒトの全史には文化的に重要な刻み目▼が4つある」と指摘した。これはヒトの文化は,これまでに4回大きく飛躍したという意味である。

6月から12月10日(200万年〜20万年前)の時代に,文化に目覚めた『原人(ホモ・エレク トス)』が活動。原人は,それ以前の猿人と比較して脳が大きくなり簡単な言葉で会話ができるよう になったと考えられてる(言語の発生については,議論が続いている)。

▼第1の刻み目:9月19日(100万年前)頃までには,目的に合った石器などの道具作りも進歩し「アシュール文化」と呼ばれる狩猟採取の生活文化へと進化。火の使用が始まったのは,10月20日(70万年前)頃と考えられている。

ヒトがアフリカで現代人の直接の祖先『新人(ホモ・サピエンス)』の段階へと進化したのは,12月10日(20万年前)頃。その子孫の新人たちがアフリカから世界にむけて旅立ったのは12月25日午後6時(6万年前)頃で,日本へ渡来したのは12月28日午後9時(3万年前)頃だと考えられている。

▼第2の刻み目:麦や豆やいも,後に稲などの作物を作る「農耕文化」の始まりは,12月31日午前0時(1万年前)頃。狩猟採取の移動生活から農耕の定住生活に変わることによって,古代のヒトの社会は大きく変わることになった。よりたくさんの作物を作るために大きい集団を作るようになり,都市や国家が出現した。いろいろな古代文明が出現し,今日の文明の基礎が築かれた。文明とは,もっとも範囲の広い文化的なまとまりで,制度であり,ヒトの環境である。

▼第3の刻み目:12月31日午後5時45分(2500年前)。この前後の45分間(2800年〜2200年前)という比較的短い期間でヒトは,急速に高度な「精神文化」を持つようになった。

仏教のインドの釈迦や旧約聖書を作った中東のユダ王国,イスラエル王国の預言者たちなどによって,今日では世界宗教と呼ばれる文化が始まる。そして同じ時代に中国の孔子,ギリシャのピタゴラスやソクラテス,プラトンやアリストテレスなどの偉大な思想家たちが現れた。東洋と西洋の高度な精神文化が誕生した。

▼第4の刻み目:「産業革命」の勃発。現在の私たちの生活と深い関係がある。イギリスで,はたおり機械や蒸気機関が発明され,これらの新技術に資本家がお金を投資するようになって12月31日午後11時30分頃(200年前〜)に産業革命が本格化した。それから10分後には,日本でも産業革命が起きた。その後,「産業文化」を順調に発展させた世界の国々は,現代文明の豊かな国になっている。

文化進化時計で強調すべきは,この4つの刻み目の後にヤスパーが亡くなってからもう一つのはっきりとした刻み目,▼第5の刻み目が現れたことである。

▼第5の刻み目:自然を研究する「科学」がビッグバンなどの宇宙のしくみや原子・分子などの物質のしくみ,私たち生物の設計図を記録したDNAなど,マクロからミクロまでのしくみを統合的に解き明かすようになり,それが12月31日午後11時52分30秒頃(50年前)から技術と一体となり「高度な理数系文化」が急速に進むようになった。

マネジメントは,文明の最初から存在した。しかし現代のマネジメントは,調査され,教育され,公式化されるようになった。米国のピーター・ドラッカーが「The Practice of Management」を著 したのも▼第5の刻み目の冒頭である。この出版物は,わが国でもマネジメントの代表的な教科書となった。

ドラッカーは,「事業の目的として有効な定義はただ一つである。それは,顧客を創造することである。実際には,事業家の行為が人間の欲求を有効需要に変えたとき,初めて顧客が生まれ,市場が生まれる」と言った。わが国の経済界が,石坂泰三を団長とする第1次トップマネジメント視察団を米国に派遣し,日本生産性本部を設立したのもこの時代である。

文化進化時計ではそれから7分30秒後の現在,「科学技術革命」とか「情報技術革命(IT革命)」と呼ばれるような世界的な現象がおきている。テレビやビデオ,コンピューターやインターネット,携帯電話の本格的な普及も,あるいは未来を担うとされる,バイオテクノロジーやナノテクノロジー,宇宙探険やロボットの進化も,▼第5の刻み目の文化進化の帰結と考えてよい。

停滞気味な人文系文化に対して,理数系文化の進化速度が飛躍的に大きいのは,数学を基礎とする理数系文化が合理の体系であり普遍的で,知識が効率的に積み上がるからである。

変化はビジネスチャンスの到来である。米英を中心に金融やビジネスのグローバライゼーションが急速に進むようになった。自由な市場は,社会の中にあるさまざまな価値観を単純な経済原理で同質化する。

自由な市場は,より多くの人々を参加させるために,ルールは一般化され単純なものとなる。自分の経済的な欲望を満足させるために「交換ルール」を守りさえすれば良い。情報化の進んだ自由な市場は,最も淘汰されにくい文明の要素となった。

組織は,頂点にマネジメントを据えたかってのピラミット型から,マネジメントと現場が情報を共有する羊羮型へと変革をせまられている。今や典型的な軍隊組織もピラミット型は時代後れになりつつある。

英国のスチュアート・クレイナーは,これからのマネジメントについて次のように述べている。「トップの位置で「事態を読み」,他のみんながこの「大戦略家」の指示に従うといったやり方では,もはやとうてい対処不可能なのだ。これから本当の意味で抜きんでる組織は,あらゆるレベルのスタッフの意欲と学習能力を生かすすべを見いだした組織となるだろう」[マネジメントの世紀〜1901→2000,東洋経済新報(2000.12)]

マイクロソフト社の時価総額が,世界の発明王エジソンにルーツを持つ巨大企業のゼネラル・エレクトリック(GE)社の2,600億ドルを超え,米国最大の企業になった。わが国では,プロローグで 取り上げた進化経済学会が設立され,自動車製造が本業のホンダ社が2足歩行ロボットを世界ではじめて商用化した。

▼第1の刻み目が現れるまで9か月以上,それから▼第2の刻み目までが3か月以上かかった。だが次の▼第3の刻み目は17時間45分後,▼第4の刻み目は5時間45分後,そして▼第5の刻み目は22分30秒後に現れた。文化進化時計から明らかなことは,文化の進化がどんどん早くなっていることである。▼第6の刻み目が7分30秒(50年)後に現れても不思議ではない。

■エピローグ(印刷曼荼羅)
改めて「進化」とは何か? 村上陽一郎東大教授は,次のように定義している[講座 進化2,東 大出版会,1991]。「長い時間の経過と共に生物の種が何らかの理由で変化をとげ,新しい種が生まれること,さらにはそれによって今日われわれが目にするさまざまな種が系統的に出現することであり,「進化論」とは,その変化の機構について何らかの仮説を立て,それによって系統的な種の変化を説明しようとする論理的な試みである」

12月31日午後11時38分15秒(1859年)『種の起源』のダーウィンの自然淘汰則を基本としながら,▼第5の刻み目で本格化したDNAの分子構造の解明,その後の分子生物学や集団遺伝学の前進を踏まえ,進化論自体が総合説進化論と呼ばれる方向に進化してきている。ちなみに,遺伝法則(遺伝子=情報)の元祖は,オーストリアのメンデルで,ダーウィンから文化進化時計で1分遅れて発表した。進化論のキーワードは,環境・淘汰圧(力)・遺伝子DNAなどである。

進化論の仮説は,理論の根幹にかかわる大仮説から部分的な小仮説まで今後もいろいろ提出されるだろう。英国オックスフォード大学の動物学者リチャード・ドーキンスが提出した『利己的遺伝子』の仮説も,そのような大仮説のひとつである。「遺伝子は自分の乗り物である生物を操作して,自らの生存率を高めようとする。このような利己的な遺伝子が自然淘汰によって選択されることで進化がすすむ」

さらにドーキンスは,DNAと文化の共進化を考え,模倣と指示によって世代を超えて継承される動物の鳴き声やヒトの言葉など,自己複製的な文化要素が遺伝子に対応するとして,『文化の自己複製子(ミーム:meme)』仮説を提唱した。

老若男女を問わず私たち人間は,「現在及び将来に関して限られた情報しか持たず,過去の行動によって蓄積され継承されたミームや資産に依存しながら,可能な限りの合理性の中で行動する」存在であり,ミーム論的には私たちの精神はミーム複合体で,私自身はミーム・マシーンであるという見方も成立する。ミーム論は,世代の役割分担を改めて考えるためにも役立つ。

生物一般で生きて活動しているのは,親世代と子世代である。これに対して人間は,子育ての終わった老人が長生きするように進化したのはなぜか? ミーム論的に言えば,文化進化に有利だからで ある。老人の最大の役割は,文化を次世代・次々世代に継承することであり,若者は創造によって文化の淘汰を図る。

現役世代は,生物一般であれ,人間であっても,より良く子孫を残すために,食べること・戦うこと・逃げること・伴侶を見つけること(4F:feeding・fighting・freeing・finding a mate)に代表される本能の適切な発揮が重要である。

4Fは,35億年に及ぶ生物進化の長い時間の中で培われたものであり,ヒト的なものは700万年の歴史(文化進化時計では2年間)の中で進化したものである。なかんずく高度な精神文化の主要な部分は,文化進化時計の12月31日に創造されたものである。

私たちの中枢は,強固な4Fの上に高度な精神文化の薄皮をかぶせたような構造をしている。このことは,自由度の高いインターネットを駆けめぐるコンテンツの多くが,4F関連であることにも現れている。

『進化するグラフィックアーツ』については,当JAGAT技術フォーラムが2002年5月に発表した報告書『2050年の印刷を考える』で詳しく取り上げた「印刷曼荼羅」と「2050年曼荼羅」で視覚的・総合的に表現されている。

グラフィックアーツの未来は,印刷曼荼羅の右半分の「印刷文化」と左半分の「拡印刷」を融合する『クロスメディア』に関し,戦略的に技術革新のポテンシャルエネルギーを活用できるように,JAGAT会員各社が自社の企業文化を改革することで大きく開ける。まずは自らの情報インフラ部分が,新時代に十分な効果を発揮するように社内意識を含め整備することが重要だ。

来る2月5日(水)〜7日(金)東京・池袋のサンシャインシティ・コンベンションセンターで開催を予定している『PAGE2003』のコンファレンスやセミナー,展示会が,皆さんに有効な情報を提供できると期待している。

2003/01/02 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会