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デジタルカメラの方が優れている理由

以前JAGATのWEBのTechno Focusのコラム(1998/10/26)で、プリプレスはデータの変換程度の価値しかなくなると書いて顰蹙をかったことがあったが、今年は元製版各社がRGBワークフローを出し、本当にそうなりつつある昨今である。クリエイティブな絵作りとか、意図的な修正(若返らせるなど)は人の手によってなされることは変わりないだろうが、入ってきた画像はすべて人の手を経なければ印刷には使えないということはなくなる。いや通常の殆どの画像はノーレタッチが当たり前になるかもしれない。

被写体である原シーンをCCDやCMOSなどのデジタルデバイスで取り込み、最終的にカラー液晶やプラズマのモニタ、デジタルのプリンタに出すのであれば、最初に捉えた画像情報は何も欠落させずに見る人に届けることができる。アナログデバイスがカラーのプロセスのあちらこちらに残っていた時代は、各プロセスの工程変量を補正するためにカーブの設計をしカラーマネジメントをしなければならなかった。

しかし、画像の入り口から出口までがそれぞれAdobeRGBなりsRGBなりにマッピングされたデバイスを使うならば、カラーマネジメントの意味も全く変る。色空間の違いで彩度の違いなどはあっても、日常の仕事はチャンピオンコピーとは異なり、彩度を競う絵ばかりではないので、色のバランスが崩れなければよい。そういう意味ではデジカメで始まるデジタルのRGBワークフローは安定して使えるものといえるだろう。

その上でレタッチは必要かをもう一度考えてみると、「素」の画像は使えないのか、つまり人がいじらない画像には違和感があって、やはり絵作りをしなければならないのかの問題である。これは結局は慣れの問題ではないか。TVで放映するドラマがフィルムからビデオに変ったとき、抜けるような明るさ鮮やかさがあり、映画映像の味がなくなったといわれた。印刷でも凸版によるカラー刷りである原色版には味があったといわれたこともあった。しかしこれらは「味」として残ることはできずに淘汰された。

そのような途中のプロセスの技術的な制約でついてしまった「味」は、馴染んでいる人には郷愁を誘うものがあったとしても本質的なものではないといえる。むしろ味はカラーのプロセスではなくカメラマンがつけるべきものではないのか。被写対象のもつ視覚要素をより多く獲得するデバイスが、カメラマンの意図をより表現できるものとなるはずだ。

また報道用は別として、スタジオ用なら仕上がりをモニタしながらいくらでも撮り直せるデジタルカメラは、あとでレタッチの救済が画像を産まなくする方向にあるといえる。つまり照明や採光の悪い絵を作るプロのカメラマンはいなくなるはずなので、今後は色味もトーンもそのまま再現すればよいことが主流になると思える。

テキスト&グラフィックス研究会会報 Text&Graphics 225号より

2004/11/22 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会