メディア制作の世界はアナログであろうとデジタルであろうと、また紙であろうと電子であろうと、独自の機能をもった新たなメディアが認知されると、その次は充足期に向かい方法論の理論化もされて、満足度の向上に取り組んでいるうちに、利用者の立場を離れてしまって、誰も望んでいないものを一生懸命するようになってしまう。
Webにおいても top page でshockwave/flashのアニメを延々と見せられるようにものがはびこったり、popup window が次々開くものができて、嫌がられたものだった。だけどこれらも当時は誰かが金を出して作らせたのである。このように役に立たないものでも、どこかの誰かに勧められて作ってしまうことはこれからも起こるだろう。
たとえばWEBなら、表現をよくすれば利用者の満足度が高くなるように思われがちだからだ。しかしどこかのサイトがリノベートする前と後との評価の統計的な比較は滅多にお目にかからない。中身の異なるサイトで表現の差異を云々してもほとんど意味はないはずなのに。それなのに他のサイトの真似をすることが「改善」のように思われがちなのは、見た目は評価しやすいが、中身は評価しにくいからだろう。
表現の改善を勧める人が、そのサイトの利用者がどんな目的で、いつどのように利用しているかを実は知らずに、一般論の理屈だけでねじ伏せるように提案しているならば、その人はどこかの悪質リフォーム業者のようなものである。
楽天の初期も2chでも、見た目は悪くても人に支持されているサイトは多い。つまり提案をする作り手としては、素人とは違うプロの知識をひけらかせて、そのサイトを支持している利用者と何の関係もない提案をしても、それは自分の言い分を押し付けている自己満足行為であり、そのようなことを繰り返していくと top page アニメのように、疎ましがられて、信用をなくしていくだけであることを忘れてはならない。
「通信&メディア研究会会報199号」より
2005/11/04 00:00:00