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デジタル著作権とコンテンツの活用戦略

著作権に関して一番簡潔にまとめてあるとされる米国憲法によると,著作権は「著作者をして,一定の期間,著作物に関する排他的な権利を確保せしめることによって学問の進歩を促進すること」となる。一定期間,排他的な権利というインセンティブを与えることで社会の著作物の総量を増やし,それによって学問の進化が促進されることを期待しているわけである。
その著作権の原則は,著作物の「表現」を対象にし「複製」行為から保護するいうことにある。それは表現自体を保護するが内容については全く関知しないということでもあり,著作者とは独立に存在する物理的データなどの「事実」は保護しない。本のコピーは著作権保護の対象だが,著作物の使用やアクセスという行為は保護しないということになる。
しかしこれらの原則がこの20年ほどどんどん崩れつつあるという。ある意味混沌とした状況にあるこの著作権に対して,その誕生の地点から改めて概念整理をして動的な流れを掴み取ろうという試みを,著作権の第一人者である名和小太郎氏(国際大学GLOCOM客員教授)が精力的に行なっている。その名和氏を講師に迎え,著作権を巡る潮流を把握するための概説をお願いした。

著作権の潮流

これまでの流れをみると,まず主役が変わったということである。19世紀に最初に著作権法を作ったときはバルザック,ユーゴー等小説家が旗を振って作ったわけだが,今やそのような人たちは脇にいってしまい,映画会社,ソフトウェア会社等が表に出てきている。
つぎに著作物が供給不足であるという前提で今の法律はできているのだが,今はだれでも書ける時代になってしまい,むしろ供給過剰なのである。『タイムズ』が書いた有名な言葉に「グーテンベルグは万人を読者にしたが,ゼロックスは万人を出版社にした」というものがあるが,そのような時代になってしまった。
ベルヌ条約の制定時点においては,著作物の流通にボトルネックがあり,そこをコントロールすれば著作権を管理できた。例えば小説家は出版社,印刷会社をチェックすればそこで流通のコントロールができた。だが,今はそのようなボトルネックが消えてしまった。流通路が多様化し,コピー手段がどんどん普及し,コピーコントロールできるようなボトルネックがなくなってきた。
消費者にしても,19世紀には読み手は著作物を理解するだけであったが,今ではプロシューマーになり読みかつ自分で作るようになった。その道具(デジタル録音装置,パソコン等)も自分で持つようになった。前提が大きく崩れたということである。
著作物もどんどん変わり,著作物の種類もどんどん増えてきた。言語の著作物からプログラムの著作物が派生してきた。編集著作物からデータ著作物が出てきた。映画の著作物からゲームの著作物が生まれた。ユーザーもどんどん変化してきた。プライベートユースならよいとされてきた。そのプライベートユースとは自分の家庭内と考えていたわけだが,今ではその家庭内で操作することであっても,インターネットを使えばどんどん知らない第三者にコピーを送ることができる。

米国の動向と新しい条約

そして,デジタル技術の出現,インターネット環境に対応して著作権法がどんどん変わるようになった。
著作権法の最初の国際的なバージョンは1886年のベルヌ条約である。日本が加盟したのは1899年で,もう100年以上も前のことである。ベルヌ条約は以後ずっと継ぎ足し継ぎ足しできたが,1970年頃から死に体になった。ベルヌ条約をコントロールしているのはWIPO(世界知的所有権機構)という国連の機関である。ベルヌ条約には百数十ヶ国が加盟しているのだが,そのほとんどは発展途上国など著作権法にはあまり関心がない国である。著作権法に熱心なのはG8加盟国くらいのもので,他の国は著作権がない方がよいというのが本音で,数ではそちらの方が圧倒的に多い。1970年代は発展途上国の威勢が強く,しかも米国がベルヌ条約に加盟していなかった。 米国は独自のルールを持っており,著作権法も特許も世界標準と違う形になっている。まず,米国の著作権法には人格権がなかった。また,隣接権もなかった。ところが米国は,映画,出版,音楽,コンピューター・プログラムと世界最高の著作権ビジネスの生産国であり流通国であり消費国である。このような国が世界標準であるベルヌ条約には入らないで,勝手なやり方で1世紀以上も過ごしてきたということである。
その米国は,孤立していては国際的に影響力を持てないということで,1980年代末になって突如としてベルヌ条約に入ってきた。このために,おざなりの人格権を作り,ベルヌ条約の条件を充たしたということで,加盟してきた。
それ以来,ベルヌ条約の中での米国の存在感は圧倒的に強くなった。つまり,米国のルールがどんどんベルヌ条約の中に浸透してきた。
同時に1986年からウルグアイラウンドが始まった。ここでサービス貿易の障壁を低くすることが論議され,同時に,知的所有権についても同様の議論がなされた。その結果「知的所有権の貿易的側面に関する協定」ができて,これがもう一つの国際標準になったのである。この協定には「著作権についてはベルヌ条約の方法でいく」「ただし人格権を除く」と書いてある。いよいよ米国流のやり方が国際標準になったというわけである。
さらに1996年,WIPOが「WIPO著作権条約」「WIPO実演家・レコード条約」という新しい国際条約を作った。ベルヌ条約のインターネット環境,デジタル環境に合わせた版とみなせる国際条約である。ベルヌ条約を変えようとすると反対する国が多いので,ベルヌ条約はそのままにし,工業先進国だけでその上に2階部分を作ったということになる。これにより,新しい制度がどんどん作られる環境になった。その過程で,ビジネス関連の人たちはWIPOのあるジュネーブに詰め,いろいろとロビー活動をするようになってきた。
著作権の制度自体が変わりはじめ,米国流になってきた。権利の数も増え多様化してきたのである。

著作権のこれから

小集団の中で名声を求める人々が,インターネットで活躍するようになり,今やそうした人びとを無視することができない。それは「自費出版型」の新しい参加者である。オープンソース等の運動がここに含まれる。
また,伝統的著作権者である「伝統型」の人もこれからもしぶとく頑張っていくだろうが,それ以外に新しい技術を使って商売につなげていこうという「マーケット志向型」の隣接権者がふえてきている。これらの人達は,法律だけを頼りにするのではなくて,自分達で新しい技術を利用しながら,二者間契約によってどんどん新しい秩序を作っていくことになるのだろう。
「伝統型」は,すでに今までの制度が十分すぎるくらいこんがらかっており,それがさらにこんがらかっていくだろう。「マーケット志向型」はできるだけこれでお金もうけを図りたいという意図が中心にあり,契約・技術依存で何でもありという形になる。こちらは財産権としての著作権を尊重する型になる。「自費出版型」も何でもありのような形になるだろうが,こちらは自己実現優先のため人格権を尊重する形になる。

(通信&メディア研究会)

『JAGAT info 9月号』より

2004/09/05 00:00:00


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