本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。
■自己紹介/プロフィール
本を通じて人と出会うというのは、私の人生で非常に重大な意味を持っている。それが縁で、私はクォンタムアイディという会社を2年前に設立した。その前には「関心空間」という会社を13年経営している。
「関心空間」は、人の好きな本やCDなどを、友達の家に遊びに行った時、「お前の本棚とかCDの棚って本当にお前らしいな。自分とはこういうところに接点があって、お前にこの本を読ませてあげたいよ」みたいなことが、オンラインで同時多発的に起こすような仕組みにならないかと思い、2001年に作ったWebサイトである。
当時はソーシャルメディアという言葉がなかったので、掲示板やテーマ型のコミュニティと言われていたが、現在では物ソーシャル、物を介したSNSというような言われ方をして続いている。
2001年に設立し10年たつ。10年Webサイトがもつというのは、私は当時、ドッグイヤーの中で想像していなかった。しかし、その縁でグッドデザイン賞をいただいたり、広告業界の方との縁ができて、メディア事業に進出したりできた。
私自身は、今までのメディアの特性を尊重しつつ、今までのメディアでできなかった新しいことを、R&Dをしたいと思っていたので、クォンタムアイディは「関心空間」のR&Dの部分のみを切り離した。現在シンクタンクの方や民間研究所の方の「こういう技術があるけれどもこういう商売にどうやって届けたらいいかという、研究者とコンシューマのかけ渡しをする仕事を主ににやっている。これまで、多くの要求は、広告マーケティングで、どのように人に物を買わせるかであり、約10年、Webサイトを作り始めてから約15年それをやってきた。
現在40歳を過ぎて自分の仕事が何なのか説明がつかないままやっているが、最終的に社会化というか、自分の考え方を社会の中に溶け込ませ、社会に不可欠なプラットフォームにすることが目的で研究をやっている。そういう意味では物を売ることも社会貢献の1つだが、もっと人を助けて、世の中を良くするようなことをしたいと考え、3月11日以降に新しい会社を作った。そこでは、課題解決型イノベーションの研究業務を、研究業務だけではなく、実際にNPOやBPOなどでもビジネスで回して成功例を作ろう思っている。
私は複数の業態を横断して仕事をしているが、基本はIT業界にずっといた。IT業界の前もCD-ROM等、1990年頃からやってきて、ずっとニューメディアやマルチメディアを波乗りしてきた。
いわゆる過渡期産業で、PCの上の永遠の未完成品としてのソフトウェアを作り続けていて、常に予測的に仕事をしないと食べていけない立場だったため、常に先の次の波を見ている。波から落ちないように、次から次に来る波が小さいのか大きいのかを見極めて、どんどん乗り換えていくことをしていた。
■紙の出版の未来/Book Stats
紙の出版の未来がどうなるのかをITの業界から見ることも、自分の関心の範疇である。これは10月9日頃、あるブロガーが書いた「ちょっと憂鬱な予言-紙の出版の未来はこうなる」(図1)という記事をそのままコピーしたものである。
アメリカのIT業界の人だと普通「こういうふうになるのではないか」と思っている。多分、皆さんが直接関わって仕事を一緒にしている方々が「そんなわけはない」と言うようなことが、どんどん進行している。
我々は、予言が可能だと大体2分の1や3分の1で実現してしまう体験をしているので、今から20年先を予想すると、その5年後に実現したり起こったりする。したがって、こんな小さい媒体で書かれていることでも、普通の人が読んでいることはすぐに現実化するので、これよりさらにドラスティックな変化が起こると思っている。
ebook2forum.comというサイトの中で、電子書籍と紙の書籍がお互い市場を食い合って、音楽業界のようなことが起こっているというのは違うのではないかと、Book Statsという統計白書の中で紹介している。
実際に業界の進展と共に、1960年代、1980年代、2008年にかけて、可処分時間を何に使うかという変化はわかっていたが、実際にコンピュータがすごい範囲を占めている。(図2)(図3)
▲図1
▲図2
▲図3
■出版社における未来の準備
これはアメリカだが、日本もかなり時間の取り方が変わってきている。この中で注目すべき点は、当然、映像とい
うか文字を含んだ映像もあるが、結局、すべての情報の中で我々が特に消費する時間を占めているのはテキストである。1980年代から2008年にかけて、
読む量は3倍に増えたのである。
例えば端末が安くなったなどの理由でインターネットが、いろいろなことで増えたのだろう。つまり、文字を消費することに関しては、たくさん本があったにも関わらず、もっと読んでもよかった。
新
聞もあるが、時間がなくても、テキストは3倍読めた。我々がこれから焦点を当てなければいけないのは、最初の「憂鬱な予言」を、憂鬱だと捉えないで、テキ
ストを通じたメディアの中で紙や出版が担ってきた役割が、収益の元になる部分が何かにシフトし、分散し、変容するかに目を向けるべきではないか。
今までどおりに出版社が未来に準備したら、憂鬱になるのは当たり前である。それは私の予想や予言ではなく、現実的にも明確である。ただ、今までやってきたものが全く無意味で、自分たちが作ったカルチャーを引き継ぐ先がないというわけではない。
なぜなら、単純に私は本が好きだからである。先日どうしても読みたい本が2冊あり、オンラインですぐ手に入らず、図書館にもなくて、本屋に行ったら結局2万円くらい本を買ってしまった。
それでも2週間で渋谷区と港区の図書館から2冊ずつ借りて、他に大学の図書館からも10冊借りても読みたい本が足りなくて、読みたい本が見つからないという生活している。
それがiPadを買ったから全部iPadで済むわけでもない。このギャップは、まだ私の中で全然埋まってないので、普通の人にもすぐ埋まるとは思えない。
■顧客視点の変化
私は、ソニーのブランドが輝いていて好きであった。しかし今はどうか。例えば、どういうタイミングで何をしたかを、スティーブ・ジョブズが亡くなって思い出したように語られているが、2003年にiTunesミュージックストアがオープンした時、ソニーはそれに対して非協力的だった。
「自分たちのドメインであって、アップルコンピュータというコンピュータ会社のスキームの中に入る必要はない、我々のほうがよりコンシューマーに近く、マーケティング能力もあり、ITの力はある」と自信を持っていたはずである。現状、出版業界というか紙の業界も、その時期とだぶるように思う。
その後、例えばコンピュータの世界ではIBMがThinkPadというブランドを中国のメーカーに売った。相当なブランドとして売れたはずである。それなら、今ウォークマンをソニーブランドとして中国の電機メーカーに高額で売ろうとしても、誰も買わないだろう。
それは、ソニーラバーとしてはすごく厳しい現実である。つまり、何かそこで見極める必要があった時に、切り捨てることも、切り捨てた先のブランドが活かされることにもなるのに、内部に飼い殺ししてしまうこともあった。
スティーブ・ジョブズがなぜソニーより成功したかは、彼はコンシューマーの視点による考え方だったからである。未来のコンシューマーと言えばいいかもしれない。
NHKで話題になったスティーブ・ジョブズの番組で、アップルの副社長だった人が、スティーブ・ジョブズがいかにマーケットと接していたかという話で、「消費者にアンケートするような接し方で顧客を理解するのではなく、顧客の誰かが無意識に気が付いてしまう微妙な差に対して全方向から見ることができた人だった」
と言っていた。想像できる人だったのある。
一番わかりやすい本を書いていたのは、小学館の中村氏で、「ラピュタ」、「BE-PAL」、「サライ」の編集長である。
この本の中で、とても重要な1行があった。マーケティングをすると、我々デバイス側からは、モバイルコンピューティングは、電車の中など嵩張るので本を持参できない場所に持って行き読まれると思っていたが、アンケートによると、ケータイコミックの大半は寝る前にベッドの上で見るのがトップだったという話があった。
電子書籍を作る人はこういうことが普通に想像できていないのではないか。つまり、「寝る前にベッドの上で読むなら、ケータイでなくても、別に本でいいじゃん」と思うことを顧客の視点だと思っていると、そこにギャップが生まれて、それが開いた時に消費者から全く無視されてしまう。
私も44歳になると、大学で大学生と話している時に、どうしても話が通じていないことがある。同じ言葉を使っているのに、同じ言葉に対する概念が違う、認識が違うことに気が付くことは多々ある。非常勤講師は非常に勉強になる。顧客とか、Eマネジメントとか、教えているが、教えられることがすごく多い。
O2O(Offline to Online)だが、オンラインの中で完結するビジネスではなくて、オフラインがオンライン、Online to Offlineという、実世界との横断型ビジネスが、やっとマーケットとして開けてきた。
コロプラみたいなことが、いろいろな意味で、実世界のほうがインフラも整っていて、こちら側の準備も整ってきたので、例えば「東北にスマートシティを」とか言っている。
もしコンペをして、世界で最新式のスマートシティを作ろうとしたら、昔の土建屋さんと違って、都市計画データで作成し、どの土管にどの拡張性を付けて、どのIPを置いて、どのセンサーを後から付けて、例えば計画停電も自由自在にする。ブロックごとではなく、属性に応じて人感センサーに応じて計画停電することさえできる。シティーアーバンOSやシティーOSという言葉があって、都市そのものをコンピューティングすることもできる。
ニューヨーク公立図書館を使って、実世界の図書館を使ってRPGをする企画があったのだが、例えばディズニーランドの隅々にIPアドレスがあって、それがよりディズニーワールドを発展させるというようなことが可能になってくる。その中に図書館を埋め込んだり、テキストのカルチャーを埋め込むことが、非常に重要になってくると思う。(図4)(図5)
▲図4
▲図5
■電子書籍の穴(とそれを利用したビジネスの可能性について)
私は日々、本代に困っている。Kindleが安いので、英語の書籍をKindleで買うことは多いが、どうしても納得いかないことがある。例えば、最近、産総研の橋田さんから「「Service Science」という本の中で、IBMのジェームス・C・スポーラーが“サービスサイエンスというのは付加価値の競争の科学である”ということを言っている。つまりサービスを科学するのは価値の競争をエンジニアリングしていくことなのだという一説があって、やっとサービスサイエンスが何かわかった気がした」と話をしていたので、読みたいと思ったら、153ドルくらいする。
これは図書館に置いていないので、Kindle版を見たら、百十何ドルである。これはスプリングラーという学術出版社の驕りだと思う。それでも買うしかない人がいるだろうと見切っている。
どうせ買うだろうが、ただその1節の英文を人に知らせたい。ツイートしたい。サービスサイエンスということに私は非常に興味があって、日本のサービスサイエンスの本は、紀伊国屋とかジュンク堂に行っても4、5冊しかない。
私はその日本版の4、5冊を読んでも言いたいことがわからない。私がサービスサイエンスという言葉に期待したことが何も解明されていなくて、それを探している。それを探している人が日本のどこかに、世界のどこかにいることだけはわかっている。
例えば何か対談をしているときに、「日本が今後食べていくには、やっぱりおもてなしに徹するだよね」といった言葉があると、これは私の中でサービスサイエンスである。そういう言葉が出たときに、「そうそう。じゃあおもてなしに徹するのは、どうやったらコンペティティブな形になるの」とか「パッケージになるの」とか「採算が取れるの」といった話がしたい。
そのために、この153ドルの本の1節を使って人をつなげたい。それなのに、Kindle版を買うとコピペができない。どうして電子書籍を買っているのにコピペができないのか。翻訳ソフトにも書きたいし、いろいろ欲求はあるが、できない。それは不法複製を防止するためなので、当たり前である。セレクトオールでコピーすれば丸々同じものが作れるのだから、できないようにしたいのはわかる。
しかし、結局、そのことだけでビジネスのスキームを考えていると、iTunesミュージックストアが現時点で得ている利得-つまり、私は出版とかメディアというものが全部サービス化していくという過渡期にあると思っている。
IBMは1960年代から80年代にかけていくとき、既に「2000年くらいには米国の税収の50%以上がサービス産業になる」ことを、会長が政府に勧告を出している。よってIBMはサービスサイエンスという未知の新しい分野に踏み込んでいって、サービスをエンジニアリングして、それで他社とコンペティターになった。よって、ThinkPadを安い値段で売っても損をしないということで、そこに決断の根拠があった。
ハードウェアは、もう中国が作ったほうが早くて安くて同じようなものを作れるだろうと見切った上で、さらに10年先にアメリカの人口の何%はどういう人間になり、どういうコンシューマーになり、その中でコンペティティブになるにはこうあるべきだということで、あるロードマップを示し、その中で投資するものと投資しないもの、売るものを決めた。
つまり、顧客視点というのはサービス側である。私も、この本を書くときにインタビューした中で、一番ショックで前向きに感じたのは、仙台の印刷会社の取締役が、「我々は市民に事実を知らせるメディアの一環、つまりバリューチェーンの中で作っている人間だ」と強く言ったことである。
彼らは、コンシューマーに「ありがとう」と言われたことはないと思う。印刷していて、「今日の印刷は良かったよ」と言われたことはないが、印刷している人は、「我々はメディアの下支えをしているのだ」という自負があってこの業界は成り立っているという一片を見た気がした。
その場合、そこの層からどうパラダイムシフトを起こすか。つまり、切り捨てるのではなくて、そういう考えがある人を含めて、メディアのあり方が変わって、収益の仕方を変えて、そういう人に貢献してもらうことが必要である。
ジョブズでもグーグルでも、沢山アイデアはあるし、沢山アイデアを出すが、捨てる。我々の業界はどんどんアイデアを形にして、顧客のレスポンスを見て、どんどん変化を受け止めて、付加価値に転じるか、全体のスキームを諦めるかのどちらかである。
電子書籍も、柔軟的にできないかと思うが、なかなか権利関係や業界内の利害調整ができていない。例えばアマゾンはKindle SinglesやKindle Silkというクラウド型のサービスをやっている。これは、短編で出したり、即時性で出すことで売れるニッチマーケティングの1つとして始まったものである。
これは日本で沢山出ている電子書籍屋、つまり自分でオンラインでパブリッシングするサービスと変わらないかもしれないが、明らかに、自分に例えばISDNコードが付いて、本がアマゾンで売られていることを名刺の裏に書けることとはかなり違う。
例えば、自分は有名ではないが、友人が少し有名で、一言添えてくれて、「彼は先見性に充ちていて、これは読むべきだ」などと書けば売れるかもしれないし、プロの編集者が「ビジネスオブメディアサバイバルガイド」とか言って、Kindleエディションで出して2ドルで売っている。そうすると、アマゾンだとオーサーは自分の書籍がどこで何冊売れたかという統計値がわかる。つまり、自分の電子書籍という媒介を通してCRMが自分でできる。
これらがいつどこで使われているか、どういうアプローチをすべきかはみんな著者を知りたいのだ。
そんなことを少し埋めるだけで、「今まで全く毛嫌いしていたけど読んでみよう」という気になることが、統計値にはないものが見られることもある。
たまたま友達から、おもしろくて安いので、みんなで読んでみないかとフェイスブックに来た。これはJAGATにやってほしいが、Webデザインやデザインの専門書を2冊で15ドル、HTNL5の本を作成し、「HTML for Web Designer」、18ドルでペーパーバックとEBook版で23ドルなど、先ほどのものと通じると思う。アメリカには書籍出版社専用のソーシャルマーケティングの会社があって、最近アマゾンが買収した。
買うタイミングだと思ったら、彼らも自分たちで個別に例えば作家と一緒にランチを食べながら過ごす会などアメリカだと結構多い。有名な小説家の自宅に行って、自宅でお話をしてランチをして、サインをしてもらって2万円というものがある。
そういうものは、アマゾンはできない。そこでどんどん自分のバリューチェーンの中に、取り入れてフェイスブックならフェイスブックに適合する形でするみたいなことがある。
それから、これはグーグルで検索してみてほしい。TEDというカンファレンスがある。非常に高い有料のカンファレンスだが、ビデオが無料で見られて、それをネットブックスという形で、アマゾンシングルスのような形で出している。
これの値段の差を見てもらいたい。シャーウィン・ヌーランド氏というのはお医者さんである。外科医として大成功した後、「患者の死とどう向き合うか」というような本を幾つも書いてベストセラーになった人である。
ここにはそちらの経歴しか載っていないが、実は30歳のときに極度の鬱になり、1986年頃、もう脳の一部を摘出するしか望みがないと言われた時に、「電気ショック療法を試してみたらどうか」という若い医師の勧めでやったところ、劇的に治って、それから人生がさらに大成功に導いたということがある。
私は、「カッコーの巣の上で」のイメージがあったので、電気ショック療法というものが実は有効だという話も知らなかったが、そういうことをTEDで初めて聞いた。この人の他の本には興味がなかったが、この話のところだけを本で読みたいと思ったくらいである。10分くらいのビデオで、日本語訳も出ている。
要は、サービス視点でバリューチェーンを作っていくと、今までの業態と会社が違うとされている分野でも収支をコントロールする可能性がある。例えばこれは私の友人のデザイナーと話していたことだが、自分はマニュアルの制作をやっているがメーカーからは「枚数を減らせ、コストを減らせ」と言われる。
何のためにというと、「印刷代を安くしたいし、さらにコールセンターへの問い合わせも少なくしたい。どちらも並列で両立したい」と言われる。「それならコールセンターのコストが浮いた分、こちらに回してほしい」と文句を言っていたので、「やればいいじゃないか」と言った。(図6)
▲図6
■まとめ
私はこの業界でどう収支を合わせるかという事業計画を書けないが、どこかでつじつまを合わせて整合性をとる。例えば私はTカードでも参考にしたらどうか提案する。
例えば、本やプリンティングや、あらゆるテキストカルチャーのステークホルダーを統合したポイントカードはどうか。図書券カードではない。自分でポイントを貯めたら、印刷代も製紙代もポイントで払えるというような、航空会社のマイレージのようなものである。「飛行機とホテルは親和性が高いからANAのマイレージでアライアンスを組もう」という発想である。そのように考えれば、その隣に印鑑もあるんじゃないか。
そういうポータルサイトを作って、バリューチェーンもフラットに見直して、誰がどういうふうに利益を取るかを、業界側は音楽業界のようにシュリンクしないようにアプローチをする。
先ほどの、布団の上で本を読むというか、3.11後、情報や今まで自分たちが物の価値観の尺度になっていたものがいろいろな意味で揺らいでいて、かつ、世界の不確定性というか複雑性も上がっている。
そういった中で、誰が何にお金を払うのか。ここに1つ「視点のシフト」という本が、和訳されて売られている。自分の消費行為が、自分を含めた世の中を良くすることに対してだけしかお金を使いたくないという風潮が生まれているということを書いた本である。
私はそんなにぼんやりしたものだけではなくて、例えばテキスト文化を持続させるためには、生物多様性を持続させるのと一緒で、印刷文化を持続するために、自分は利害関係者の一員としてお金を使おう。
であれば、自分は好きなエコな出版社、「そとこと」に帰属心があるので、ロイヤリティーの高いコンシューマーなら、「そとこと」はそれを意識しているので、バリューチェーンの中で価値観がずっと一気通貫している。
そのように設計していかないと、ここに書いているように、レーベルや雑誌だったら中身をあまり見ないで買う場合もあるが、メーカーでCDを買うことはない。集英社の新刊だから買うことは顧客にはない。そういう意味で視点のシフトも考えてみたら、スティーブ・ジョブズも「俺だったら何とかを作れるよ」と言うだろうなと思った。(図7)(図8)
▲図7
▲図8
郡司:最初前田さんに講演を頼む時に注文を付けたので、大分苦労していただいて、印刷業界に示唆のあるような内容にしていただいた努力の賜物である。IBMの話などは非常に示唆に富んでいたと思う。
嘘か本当か知らないが、私も伝え聞いたところによると、HPが世界一のコンピュータ会社になったけれども、今HPが目指しているのはIBMだということである。IBMはやはりエクセレントカンパニーであり続けたという話で、規模が小さくなって世界で何番目かになってしまったが、HPが追い求めているのはあのIBMだ。もしかしたらHPももう少し図体を小さくしてIBMを追うかもしれないというような話は、随分まことしやかに言われている。我々印刷業界にとっては、その辺は結構示唆に富んだ話だと思う。
前田さんは印刷業界を知らなくてもいいが、全く無責任に言って、デジタル印刷というものがある。私はデジタル印刷というのが-ITになってからいろいろなマーケティング手法が出てきて、これから例えばネットゲームがいろいろ出てきたら、例えば店の人たちとよくジャンケン何とかというのをやって、「勝ったら無料」とか、割引率が決まるとか、そんなサービスがたくさんいろいろ生まれてくると思う。
印刷も含めて、例えば前田さんがコンサルティングを依頼された時、1つお土産として、デジタル印刷でもアナログ印刷でもいいが、ITと印刷を結びつけて何か商売をやるとしたら、何かアイデアはないか。
前田氏:私は、ドメスティックという条件を付けられると、実は思いつかなかった。というのは、人口が減っていくからである。所得というか、GNPとかGDPも、多分世界で相対的に下がっていくと思う。メディアとか、そういったもののボリュームは、人口と無関係ではないと思う。そうすると、重要なのはトランスナショナルな、ボーダーレスなビジネスにすべきだと思う。
イギリスが、植民地がなくなった後、どうして大国で居続けられたのかというと、フランスもそうだが、英語やフランス語という言語文化を世界にインフラとして残しておいたから、そこを通じた覇権を今も保っている。
これはある種の植民地化なので、別にそれを真似する必要はないが、今、例えばインドはアフリカの、大学生になろうとする人に奨学金を出して、100億ドル拠出した。すごい金額を出した。
つまり、インドからすると、他の国よりも、アフリカが少し裕福になった時に、例えばケニアの大学生がインドの大学に留学して、インドで英語を覚えて、エリートの人が帰っていって国の政治家になってくれたら、両国間の経済も増えるし、相互のカルチャーも行き交うことができる。そういう、100年単位でマーケットを考えているから100億ドルも出せるのだろう。
日本はまだ、ぎりぎりたくさん残っているので、そのようにお金を使わなければいけないと思う。私は、クールジャパンといって、自分の国のことをクールだと言う国策をやめたほうがいいと思う。
誇るべきは、クールと言われて喜ぶ手塚治虫とか藤子不二夫ではない。彼らは、戦後、貸本を読んでいた子どもたちに喜んでもらいたいといってマンガを描き始めた人たちである。そういう志を酌むのであれば、DVDのリージョナルコードではないが、アフリカだけはドラえもん著作権フリーにしてはどうか。その代わり日本語でやる。
例えば紙は日本の紙質の半分以下で、すぐぼろぼろになるかもしれないが、非常に安くドラえもんのマンガを南アフリカとかケニアとか、多少安定しているところにどんどん出していく。
ブリティッシュカウンシルをもう少しクールなものとして、それによって、例えば中国人が日本語を覚えたように、アフリカに行くとホンダとソニーとトヨタ以外に「小学館ドラえもん」が読めるというアフリカ人がいる。あそこは何億人もいる。
かつ、東南アジア圏は、あと何年かたつと世界の人口の50%になる。やはり人口ボーナスが起こるところに仕掛けを持っていく。なぜかというと、電気がなくて読めない。例えば、フィリピンには本屋さんが非常に少ない。なぜかというと、本が高くて買えないからである。フィリピンの、割合、中流の人でも買えない。
その目の前にある、そういう国をマーケットにしようと社会貢献じゃなくてビジネスで考えてみたらどうかと思う。
郡司:今の話はかなり示唆に富んでいたと思うが、少し咀嚼しないと現実問題では難しい。私も実は海外駐在でイギリスにいたので、イギリス人のそういうところは結構肌身に浸みてわかった。
オックスフォード、ケンブリッジは海外から金持ちの子弟とか皇族を受け入れるカレッジがある。それは特別扱いで、頭なんかどうでもいいところがあって、大英ファンにしてしまう。徹底的にイギリス漬けにして大英帝国を発展させるというようなシステムがきっちりできている。大したものだと思う。
先ほどの、アフリカに1年間著作権フリーにするという話は、富士山マガジンサービスの西野代表が言われていた。そういうことをやらない限り、グローバル相手にクールジャパンなどできるわけがないと言われて、なるほどと思った。
2011年10月19日「「印刷白書2011」~グラフィックビジネスの最新動向」より(文責編集)