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ジャーナリズムとマスメディア

掲載日: 2010年01月10日

印刷原点回帰の旅 ―(11)メディアの幻想―
キーワード:新聞の出現 市民革命 ジャーナリズム 民主主義 マスメディア メディアリテラシー

産業革命がはじまると、工業化によって様々な物の生産量が急激に増え、情報量も爆発的に増加した。印刷も、自身の物量を増すことによって、この圧倒的な数の情報を伝え、メディアとして発展していった。この過程で発展した印刷メディアの典型例として今回は新聞を取り上げ、少し背景などを通じてメディアが辿った道を少し探っていきたいと思う。

宗教革命が成功したのは、活版印刷の発明によって大量のビラやパンフレットが西欧中に撒かれたからだ、という話は以前した。これらは実は新聞の基礎となる。最初はニュースを一枚程度にまとめたもので、不定期に刊行されていた。有名なのはドイツで発行された「フルークブラット(Flugblatt)」で、これは「飛ぶ紙片」という意味だ。当時の交通網や流通網から考えると、情報がまるで飛ぶかのように伝わるという感じが、よく読み取れる言葉だ。

17世紀に入ると週刊などの定期的な刊行がされるようになり、次第に他の西欧諸国にも広がっていく。そんな折、イギリスではピューリタン革命・名誉革命という市民革命が起き、言論の自由がいち早く認められるようになった。17世紀中葉には西欧の都市部で何らかの新聞が出されるようになる。また市民革命で新たな思想が生まれ、産業革命で圧倒的に本の物量が増えると、元々教育を受けていた層には更に知識人が増え、ブルジョアジーはその富を背景に教育を受けるようになった。

このような教育リテラシーの向上と言論の自由という二つの要素は、ニュース出版を更に発展させた。当時、新聞読み放題のコーヒーハウスという喫茶店がイギリスで流行し、教育をうけたブルジョワジーらはここで新聞を片手に政治談議を行い、論壇を形成していったと言われている。このことは、ニュース出版を加速させるだけでなくジャーナリズム性を高め、市民社会の世論形成に大きな役割を担った。この段階ではまだ一部の知識層が対象であったが、後に民主主義を生むことになる。

産業革命が始まると印刷の世界にも高速に連続して印刷できる輪転機が開発されるなどの技術革新が起って、情報量が圧倒的に増加するのとあわせて新聞も日刊紙化し、発行部数を伸ばしていく。新聞の発行部数の増加というのは、価格を下げて大衆化していくことであり、コンテンツが政治中心から例えば世界旅行記のような、人が単純に面白がる内容に触手を伸ばし、マスメディア化していった。ジャーナリズムとは本来、「今言うべきことを今言う」というあるべき姿を語るものだったのに対して、後に新聞は大衆化して「現実を伝える」マスコミュニケーションのツールとなった。

日本では17世紀になって大坂夏の陣の報道が瓦版として発刊される。瓦版の印刷方式は様々だが明治半ばまでこの様式は続いた。瓦版は絵が中心のものもあるものの、当時の一般日本人のリテラシーの高さを示すものである。しかし新聞の形態がみられるのは幕末からで、英国人が長崎・横浜で居留地新聞を発行し、明治になってそれぞれの意見を発表する国内の新聞・雑誌が何十と発行される。しかし政府批判と発行規制とのエスカレートが続くのが知識層向けの新聞で、一方でひらがなで庶民向けの「小新聞」というのも伸びていった。

明治20年代以降は戦争という大きなニュースに人々が釘付けになり、政府との関係と大衆への情宣をバランスさせてそれまでにない大部数を発行する新聞経営が次第に形成されいき、今日のマスメディアへと新聞を変貌させた。やはり日本でも新聞は、まずジャーナリズムを生み、そしてワンクッションあってマスメディアとして成長した。マスコミとジャーナリズムが混同して使われることが多いように思うが、国を左右する権力を持つものが国民のコントロールから外れることのないように監視するジャーナリズムのイメージを、大衆相手に巨大ビジネスとなったマスメディアに重ねてしまうのは幻想でしかない。そんなことはどこにも保障されていないのである。

逆に社会が悪いのはマスメディアのせいともいえない。メディアの見分け方や接し方という、人間のもつメディアリテラシーを超えるような社会的状況は、メディアによっては実現できないのである。という意味ではその国のメディアを見れば、その国民のメディアリテラシーの程度がわかるということかもしれない。メディアに期待しすぎるのも、メディアを否定しすぎるのもメディアリテラシーの欠如である。日本は識字率(リテラシー)は歴史的に高く、それは早くマスメディアを発達させてしまったものの、私たち自身のメディアリテラシーを高めることの意識は薄かったのだろう。
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