本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。
平成22年(2010年)明けましておめでとうございます。本年が皆様にとって良い年でありますように心よりお祈り申し上げます。
社団法人日本印刷技術協会 副会長 和久井孝太郎
今日は正月2日、2日にちなんだわが国の伝統行事と言えば、初夢・書き初め・初荷・初売り、そしてテレビ映りでは皇居の一般参賀や箱根駅伝の往路を飾る選手たちの姿で、今現在、ご自宅のテレビでその放映を見ている読者もおられる、と思う。何とも平和的な光景であるが、私自身は書き初めに未来への夢をしたためた。その文字は『調和』、その心は部分最適から全体最適へ、の願いを込めた。
初夢にまつわる話は、ほのぼのとしたものである。昔、母から教わった事では、正月元旦の夜、自分の枕の下に半紙に書いた次のような歌を敷いて寝て見た夢を『初夢』、そして、『一富士、二鷹、三茄子(なすび)』の3セットを夢に見るのが最も良い夢とのことだった。
また、半紙に願いごとをこめて書く歌は、『なかきよのとおのねふりのみなみさめなみのりふねのおとのよきかな』というもので、前から読んでも終わりから読んでも同文になる、いわゆる回文とよばれる形式の歌である。私は、これに次のような漢字を勝手に当てはめて未来を夢見ることの大切さを教えたものだ、と解釈し続けて今日に至っている。
『長き世のとおの眠りの皆目覚め浪乗り船の音の善き哉』
さらに補足すると、『初夢』自体が元日の夜から2日の朝にかけての就寝時間に見る夢ではなく、2日から3日にかけての夢を『初夢』と定義する習慣も広がってきているようだ。その意味では今晩寝るときに「長き世の・・・・」を試してみてはどうだろうか。
ところで、私の今年の初夢にはNHKが昨年末に放映した『坂の上の雲』の秋山好古(よしふる)・真之(さねゆき)兄弟や正岡子規、夏目漱石、森鴎外、東郷平八郎などが出てくるのではないか、と期待している。本音を言えば、この原稿を書いている昨年12月24日現在では、私はまだ物理的に初夢を見ていない。だが、今年のメディアに登場したいろいろなものごとの中で『坂の上の雲』が最も印象深かった、そこでそれを初夢で見たいと思っているのである。
『坂の上の雲』の原作者は、ご存じの司馬遼太郎(1923~1996)で、最初にサンケイ新聞の夕刊に連載を開始したのが1968年のことであったと記憶している。司馬遼太郎は私が好きな作家のひとりである。生前、司馬は明治維新の日清・日露の戦争には肯定的であったが、昭和の戦争には否定的な立場であった。もっと言うならば、日本の近代化を肯定しつつ日本人とは何か? 日本の文化とは何か?を問いながら司馬は『坂の上の雲』を書き上げたのだと、筆者は思っている。
21世紀最初の10年が過ぎようとしている現在、私たちは世界的な文化大革命進行の渦中にいる。日本国に目を向ければ政府にはお金がない、行政や政界も知恵不足である。だが、日本にお金や人材がないわけではない。もはや世界的文化大革命の淘汰圧力にはそれぞれが自己批判し自立して知恵を発揮、生き残ることが必要なのだ。このような意味で、現在が、かつての明治維新に匹敵する時代であり、昭和の戦争に突入し大政翼賛会結成・国民総竹槍武装・そして敗戦へと向かう昭和前期のお上頼みの非合理であいまいなナショナリズム日本であってほしくない。NHKのクリエーターたちが2009年末の大型連続ドラマの題材として、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を取り上げた狙いも、その辺にあったのではないだろうか?
このことに関し劇作家で評論家の山崎正和は、雑誌『サライ』12月号の紙上で次のように論評していた。
・・・・“近代日本への入り口となる明治維新は、実に不思議なトリックによって成立しています。当初、幕府を倒して近代国家をつくろうとした志士たちは、口をそろえて「尊王攘夷」と言っていた。が、政権がとれて近代政府ができると、あっという間に「尊王開国」に変じた。「攘夷」が抜け落ちてしまったのです。この矛盾を日本人は意識化の深いところでずっと持ち続けていました。何かがあったら、かっての攘夷の怨念を爆発させるという奇妙な行動に出る。日露戦争にもそんな側面がありました。
・・・(中略)・・・
この戦いは、単なる近代合理的なものでなく、情緒的で非合理な愛国心や国粋主義的な風潮も含んでいた。それには、司馬さんは批判的です。だから、司馬さんにとっては日露戦争が矛盾をはらんだぎりぎりの題材だったと思う。2度目の「攘夷」戦争ともいえる太平洋戦争となると、彼はもう全面的に反対です。が、両者は底の底で繋がっている。
彼はいろいろ悩んで、結局自分が本当に愛しうるものは、日本国家ではなくて、日本の中の村や町だということに気づいたんじゃないでしょうか。愛国心ではなく愛郷心。彼に言わせると、あらゆる谷あいに日本人にとってのふるさとがある。『坂の上の雲』でいえば松山です。“・・・・
日本人個人の自立に関連して、最近、マスメディアの紙面や映像をにぎわしている言葉で筆者が特に気になっているものに『世論』がある。政治に限らずいろいろなテーマに関連して『世論調査』なるものが行われ、その数字がわがもの顔に独り歩きする。
もちろん、『世論調査』自体は数学の統計学に基づき科学的にサンプリングしアンケート調査が行われているのだが、個々のアンケートが個人の公の意識に基づく意見(Public Opinion)を汲み上げようとするのではなく、もっぱら大衆の情緒的な共感(Popular Sentiments)のありようを調査して速報している。
現代の文化大革命時代を生き抜く私たちは、自らの足元で重要な日本語が極めてあいまいであることに十分留意しなければならない、と筆者は常に自らに言い聞かせている。文化とは何か? 文明とは何か? メディアとは何か? 多くの場合その単語を英語に置きなおす。それでもあいまいな場合は、インターネットで語源を調べるようにしている。言葉の定義があいまいなままPopular Sentimentsで動いていくような社会は昭和前半の日本とほとんど変わっていないのではないか?
輿論(Public Opinion)と世論(Popular Sentiments)に関して佐藤卓巳が著書『輿論と世論~日本的民意の系譜学』、新潮選書(2008.9)の中で次のように整理している。
輿論=public opinion | ⇒ | 世論=popular sentiments |
加算的(デジタル)な多数意見 | 理念型 | 20世紀的・ファシスト的公共性 |
活字メディアのコミュニケーション | 公共性 | 情緒的参加による共感=決断主義 |
真偽をめぐる公的関心(公論) | 価値 | 大衆民主主義の参加感覚 |
タテマエの言葉 | 内容 | ホンネの肉声 |
いずれにしても、私たちは多様なメディアが社会で利用されるようになった現在、現代を創った印刷メディアや今を左右しているテレビやインターネットなどのメディアの本質をもっと的確に把握することが先決である、と筆者は考えている。