歴史を遡った先に見えるもの 記事No.#1624
掲載日: 2009年12月14日
現在、業界全体に行き詰まり感が蔓延している。
リーマン・ショックに端を発しているという考え方が一般的だが、果たして原因はそれだけなのだろうか。
近い過去ではなく思い切って遠い過去に目を向け時代と歴史を遡り、印刷と人類、社会との関わりはどういうものであったかを振り返ることで、他メディアに対して印刷をどう活かしていくことができるのか、新しい展望が見えてくるのかもしれない。
(今回のTechno Focusは、JAGATで取り組んでいる印刷メディア検定(2010年夏開催予定)の前段として、JAGATのホームページで連載されている「印刷原点回帰の旅」のダイジェスト版を「特別号」に編集してお届けする)
印刷原点回帰の旅
(1)文字の発生
「文字」というのは、記録を残し情報を伝えるために生まれ、「話し言葉」ではない「書き言葉」という違う言語を生み出した。これが社会に多大な影響を与えた。情報を伝え残すために文字が発生し、法典のような文書になった。法典は集落を超えて概念を伝える手段になり、集落が概念を共有することで結合して、文明になりうる巨大な人間の集団を生んだ。「書き言葉」が論理的思考能力を向上させ、人間の脳を発達させたため、やがて学問が生まれ、体系だった宗教が発生した。文字の発生をきっかけに、人知が進んで精神的、物質的に豊かな社会、つまり「文明」になったのだ。文字は、学問や宗教のような行動を断続的に発生させていき、文化の遺伝子を運ぶメディアの基本となっていったのである。
(2)本の発展
「本とは」と聞かれたとき、皆さんは何を思い浮かべるだろう。一般的に定義するなら、本とは「書物の一種で、書籍・雑誌などの印刷・製本された出版物」のことで、ユネスコによる国際基準では、本とは「表紙はページ数に入れず、本文が少なくとも49ページ以上から成る、印刷された非定期刊行物」である。本は、グーテンベルクの活版印刷以降、中国の科挙の時代を経て「様式」を獲得してきた。その歴史は、リテラシーの歴史とほぼイコールと言える。言葉を記録するために文字が生まれ、情報が文章として残され、文字情報である文章を必要に応じてまとめ伝える、といった文化・文明の発展の必然の中で、本は生まれ発展した。この意味において、本は「文字情報の様式化」ということができる。そして現代では、本は更に進化を遂げ、高度な様式の取得によりメディアとしての役割を増し、掲載されている情報を格式付けるようになった。こうして、文化を形成する大きな担い手となったのである。
(3)紙の発明
人間は紙を発明するより前に、布を手に入れた。中国では記録材料として竹・木・布などが用いられていたが、重要な情報や地図は、布の中で最も高価で長持ちする絹に描かれて残っている。このように布のような記録適正を求めたことが、紙の発明へとつながったのだろう。実際、ボロ布や布の生成の際に出る繊維クズを再利用しようとし、紙は生まれた。現在わかっている一番古い紙は、完全な麻クズから作られたということも確認されている。紙が発明されると、その軽さや加工のしやすさから、次第にその他の記録材料にとって変わっていった。しかしいくら素材がよくても、手を使って一枚一枚漉く方法をとっていたため、布同様、コストがかかるものであることに変わりはなかった。その反面、使い勝手の良い紙は重宝され、日本でも江戸時代、紙は米や油と並ぶ重要な流通品のひとつになった。やがて産業革命により、木材パルプが発明され製紙工場が作られ、紙の大量生産が始まり、紙は安さという武器を手にし、広く普及することとなる。文明社会の形成過程で文字が発生し、本が作られ、紙が発明され、印刷が生まれた、ということを考えると、長い歴史の中で印刷メディアは常に人間と共にあった。単なる印刷物ではなくメディアの一つとして、社会形成上、印刷メディアが大きな役割を担ったことで、今のような文明・文化が発展したと言っても過言ではないだろう。
(4)最初の印刷
「印刷」、それが何か理解できない人はいないだろう。一般的には「印刷」とは、文字や絵などを版にインキをつけて記録媒体に再現することだが、一言でいえば複製技術のことである。雑誌や本・チラシなど、私たちの生活の中には印刷メディアは溢れている。印刷の初めは、中国の「拓本」であり、殷(紀元前17世紀~紀元前1046年)の時代にできたとされている。「拓本」は石碑や青銅器に紙や布を被せ、墨を含ませた道具で上から打ち、そこに書かれている文字・「金石文」の凹凸を写し取ったものだ。何故石碑や青銅器などに加工をしたかというと、皇帝は自らの権威を保つために手を加えられにくい素材に自筆を残し、本物の複製である拓本も皇帝自身と同様に権威付けされていたと考えられる。逆に言えば、皇帝の権威や正統性を伝えるため、最初の印刷である拓本は出来たことになる。木版印刷の時代になっても、印刷物はそのオーソリティを維持し続ける。歴史を振り返ると、作られた背景から印刷物は本来は複製であるにも関わらず、版本や写本の由来する原典・原文のような「真正性」と「格式」をもつものとして、歩み始めることとなり、これはグーテンベルクの発明まで、長い間変わることなく印刷物が維持した「様式」だった。
(5)近代印刷術の起こり
西洋での印刷のはじまりは、1445年のグーテンベルクの活版印刷の発明である。中国の拓本と比べると約2,500年、木版と比較しても約7~800年もの後のことだ。 西洋で印刷を生む土壌が発展しなかったのは、カトリックが絶対主義的支配を強めていく中、聖書の神聖性を理由にラテン語訳のみしか認めず、聖書の写本作成も修道院で独占したためである。実際に印刷が発展するのは、火薬や羅針盤といった多くの発明や技術が西欧に流入したルネサンスの時代。グーテンベルクは、そんな時代に金属活字の開発研究をする金属加工職人であった。彼の発明した活版印刷は後の世界に大きな影響を与えた。技術を受け継いだ者たちは、当時の技術水準にあわせて印刷をどんどん改良していく。こうやって印刷は、情報の特性を伝えることより、広範に情報を分散するという機能を大きくしていった。そして、印刷技術が西欧中に広まることで、印刷はさらに低価格化して知識の普及を促し、ルネサンスの人文主義や自然科学の興隆を助け、宗教改革に大きな役割を果たした。ルターの革新的な考えは、印刷物となって2週間後には国中に、数ヵ月後には西欧中に広がったと言う。これは、印刷が宗教改革という社会現象を政治現象にまで変えうる力をもつ、「メディア」として機能した最初の例である。そして、ジャーナリズムを生む基礎となった。こうやって近代印刷の発明は、現在に至る情報化社会の幕を開けたのである。
「メディア」とは、情報の記録・伝達・保管などに用いられる物や装置であり、媒体である。この観点から考えると印刷物は紛れもないメディアであるが、メディアとは社会や環境によって、大きくその内容や意味を変容させる。印刷を「メディア」として捉えたとき、今まで語られてきたものとは違う歴史が見えてくる。「印刷メディアのもつ社会に対する役割」とは何かということをその歴史を通じて最初から見直すことで、文化の遺伝子を運ぶメディアの本質と印刷メディアの価値について、今後も考えていきたいと思う。
(上記は、JAGATのホームページで連載中「印刷原点回帰の旅」の第五回連載までの要約版である。詳しくは、http://www.jagat.jp/content/blogcategory/88/369/をご参照願いたい)