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産業革命で印刷の量産化、多様化

掲載日: 2009年12月30日

印刷原点回帰の旅 ―(10)発明の爆発・情報の爆発―
キーワード:工場制機械工業 発明 印刷技術 輸送手段 社会構造 情報革命 メディア幻想

みなさんは産業革命といえば「工場制機械工業」と習ったのではないだろうか。簡単に言えば18~19世紀に起こった蒸気機関を中心にした動力による工業化で大量生産が行われ、それまでの社会では考えられない変化をさまざまな面にもたらしたものである。今回は産業革命の起こった背景、印刷関連産業に起きた具体的な革新、そして社会にもたらした変化について、少し振り返ってみよう。

15~17世紀頃に起きた大航海時代、イギリスは植民地から綿織物を輸入するようになった。毛織物が主流だったイギリスでは、軽くて暖かい綿織物が大流行するが、輸入するばかりでは国内産業が育たない。そこで植民地からの織物の輸入を禁止し、原綿のみを輸入して国内で織布を製作した。ところがあまりの流行に、手工業では生産が追いつかず、必要に迫られて織機の技術改良を始めることになる。織機が改良されると、糸の生産が追いつかないので紡績機が改良され、紡績機が進化すると織機がまた改良されるという風に、工業化はどんどん進んでいった。

そして、織機や紡績機の改良のために機械工業が発達し、大量の綿織物を運ぶために輸送手段も改良されるなど、一つの産業の工業化は、他産業へもどんどん波及し、あらゆる分野で機械仕掛けの発明がされていくことになった。これが、産業革命の好循環の仕組である。工業化や技術開発の波は、当然、印刷産業にも届いた。製紙の機械化や木材パルプの発明で紙の量産が可能になっただけでなく、三原色によるカラー再現の実験、平版・オフセットやコロタイプなど活版ではない印刷手法の開発、写真の発明・改良がされたのもこの時代だ。

具体的には、1788年初の彩色詩画集の出版、1798年連続型抄紙機の発明、同年リトグラフ発見による平版印刷スタート、1829年タイプライターの発明、1840年木材のパルプ化成功、1846年輪転機の登場、1893年パンチカードを利用した孔版印刷方式の謄写版印刷(いわゆるガリ版)の発明、活字の自動鋳造、行組版の自動化などである。特に自動鋳植機や行組版機はタイプライタを越えて、パンチカードを用いて制御を行ったジャカード織機やロールピアノと同じ発想の機械になったという点で産業革命の発明を象徴するものでもある。このように印刷関連産業にも、相次いで発見や技術革新が続き、印刷は量産化され、並行して多様化が図られた。

科学技術に関する情報は本など印刷物の形をとり、量産されて全世界に即座に広まっていった。そして、そのことが産業革命を更に進行させ、社会構造を大きく変貌させた。工場経営者は巨大な富を得て産業資本家となり、経済・政治の主導権を握った。資本主義社会の誕生である。工業化によって手工業は衰退し、圧倒的多数の労働者階級と産業資本家の2大勢力という構図ができるとか、資源をめぐる国力のぶつかり合いで国際紛争の増加などがあった。こういった背景で、各地で新聞が発行されるようになり、社会思想の活発化という意味でも印刷の新しい活躍の場ができた。

産業革命は労働の姿を急激に変えたことで労働問題が深刻になるとか、急激な人口増加に都市は耐え切れず、住宅問題や衛生問題、環境問題も噴出し、犯罪が増加し、スラム街を発生させた。この頃から化石燃料を大量に使い出したことで今日の二酸化炭素排出など、現代の社会問題の原点は、産業革命にあると言ってよい。社会構造の変化はジャーナリズムを生み出し、近代の幕開けと共に印刷はメディアとしての機能をより研鑽して、情報の爆発を引き起こすことになったのである。

産業革命が単なる「工業化」でなく「革命」と言われるのには、それまでにはない「印刷」による情報革命を伴ったことで圧倒的な科学技術の進歩と、社会構造の抜本的変化をもたらしたからである。そして印刷自身も科学技術の恩恵に預かって次々に新しい技術を取り入れ、その日の出来事をその日のうちに印刷して国内に配る新聞が可能になるまで情報流布能力を高めた。著作権の考え方もこの頃登場し、今の印刷のビジネスモデルはだいたいこの頃出揃った。産業革命と印刷は車の両輪のようにうまくかみあい、産業革命がもたらすあらゆる情報を印刷は伝播したのである。

しかし現代史の問題の火種がこの時代に作られたように、人間は豊かさという幸せにつながる科学技術には即座に飛びつき、産業化を推し進めてきたものの、印刷能力の向上による情報の爆発で意識改革を起すことには必ずしもならなかった。メディアに対するこのような人間の側の思い込みは、後の電波媒体から今日のインターネットまで絶えることなく見うけられるものである。

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