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印刷原点回帰の旅 ―(番外 2)文明と文化―
論理の蓄積と文化の広がりに貢献
技術革新や科学の発達が文明の進展の一部分であることは誰でもわかるだろうが、文化と文明はどのような関係があるのかについては、かなり判り辛いかもしれない。印刷原点回帰の旅のコラムでは、印刷がかいくぐってきた文明・文化の流れをみることで、印刷の果たした役割を総括してみたい。
印刷の歴史は技術面と、その応用・普及の両方を考え合わさなければならない。発明がなければ普及はないが、発明だけでボツになるものも多かった。だから普及を考慮しなければ発明の意義も明らかにならない。前回「虫眼鏡で見る印刷史と、遠眼鏡で見るメディア」はメディアのことも少し触れたが、普及して役立つということは、植物が発芽するには環境条件が整わなければならないのと同じように、その時代という土壌の上でしか成り立たないことなので、時代から技術を切り離しては意味は汲み取れない。だから印刷メディア史を念頭に置いてから各論の追求や議論をしてもらいたいと思う。
この印刷・メディア研究シリーズは今まで以下のような内容を扱ってきた。簡単にサマリーをしよう。
●印刷がたどりついたところ ―最終回 文明と文化の相克を越えて―
キーワード:機械化 ラッダイト運動 物質文明 ウィリアム・モリス 企画デザイン 生活メディア 人間工学
●ジャーナリズムとマスメディア ―(11)メディアの幻想―
キーワード:新聞の出現 市民革命 ジャーナリズム 民主主義 マスメディア メディアリテラシー
●産業革命で印刷の量産化、多様化 ―(10)発明の爆発・情報の爆発―
キーワード:工場制機械工業 発明 印刷技術 輸送手段 社会構造 情報革命 メディア幻想
●大衆化していった出版物 ―(9)印刷の商業化のはじまり―
キーワード:宗教書 学問書 古典 商業出版 小説 文学 印刷文化
●「知りたい」という欲求が印刷を広めた ―(8)印刷分野の起こり―
キーワード: 修道院 大学 一般教養 図書館 持ち運び 知の循環
●人間の感性に訴えるメディア ―(7)写真の発明―
キーワード: ルネサンス 写実 透視図法 カメラ 感光剤 定着 乾版 フィルム
●既存技術を集大成した活版印刷 ―(6)科学の恩恵として活字―
キーワード: プレス 木活字 膠泥活字 鋳造技術 合金配合技術 ルネッサンス3大発明
●印刷で聖書を取り戻す ―(5)近代印刷術の起こり―
キーワード: 聖書 ラテン語 ルネッサンス 活版印刷 人文主義 自然科学 宗教改革 メディア
●本物の写しとしての印刷 ―(4)最初の印刷―
キーワード: 複製技術 拓本 真正性 印 権威
●記録材料としての紙 ―(3)紙の発明―
キーワード: 記録材料 記録適性 繊維 加工適性 木材パルプ 製紙
●本が今の様式になるまで ―(2)本の発展―
キーワード: 冊 版型 体裁 人間工学 リテラシー 格式
●シンボルから文字への進化 ―(1)文字の発生―
キーワード:シンボル 書き言葉 文法 論理的思考 文明 巨大集団
●東西印刷史を合わせると何が見える? ―プロローグ 印刷史が欠落させていたコト―
キーワード:言葉 表意文字 複製 文化の共有 漢字の活字
図を下から上に辿って見てもらいたい。
印刷のベースとなったのは文字であり、書き言葉が知恵の蓄積を可能にして巨大な文明を構築した。図左端の上向きの矢印は、論理の積み上げ・科学の進歩に印刷が貢献してきたことを示す。しかし古代文明の多くはその後崩れ去った。古代中国文明は後発ではあったが、漢字でアイデンティティの継承ができて滅びずに済んだ。印刷の直接の元祖は木版であるが、国の威信や皇帝の権威、倫理の権威を木版印刷で伝えることで、文化的深化と文化共有域の拡大ができた。この時代の印刷は技術論よりも文化的な役割の方が大きい。
木版印刷の拡大期や活版印刷のインキュナブラでは、社会の中に知識層を増やしていって、古い文化が抱える暗闇部分を次第に減らしていくことになる。その後自由な発想や研究の成果として大航海時代や産業革命が起こり、それまで印刷物などで蓄積され伝えられた知識を複合化して新たな発明が相次ぎ、ブルジョワジーの興隆が新たな市民層という情報マーケットを作り出し、印刷・出版も産業として成立した。この時代の社会変化は文明的に大きなエポックで、印刷自身も高度に技術革新をした。
印刷・産業・知識の3つがうまく噛み合って情報量が爆発的に増えると同時に国民のリテラシーが向上して出版を軸にいろんな文化産業あるいはそこに帰属する職業を生み出していった。文化産業の成長はジャーナリズムのような文化の一人歩きを可能にし、社会思想の普及、情報の国際化など、固有文明の枠を超えた動きも見られるようになる。しかし逆に文化活動によって文明を制御できるのではないかという幻想も増えていった。プロパガンダの時代である。
図の下から上への時代の変化は、印刷を含む情報技術が巻き込む人々というのは、最初は支配者層から知識層、市民層、大衆層へと、技術の発達とともに広がっていった様子がわかる。これは印刷が文化の及ぶ範囲を特定のところからすべての人を包含するところまで広げてきたことを示している。情報はこれらすべての層を巡っているものなので、支配者の独断というのは次第に行いにくくなっている。
一方で文化は大衆の体にしみついたもので、簡単に変えることはできないから、文明の独走に対して文化は抑制要因にもなる。これは文明の力で今日の問題を解決しようとする場合には歯がゆい思いをすることにもつながる。
さて印刷は技術という点では「方法」でしかないことを前回述べた。単に大量生産できるというだけでは、技術の到達点を示せても社会的な役割を果たすものではない。メディアは「共感」を生み出す仕掛けと言った。印刷もその役を果たしている時は「印刷メディア」であるので、これは文化的な側面である。過去の歴史の中から印刷メディアがどのような役割を果たしたのか読み取ることが、今の印刷メディアの活用法につながるのである。