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後塵を拝した日本 記事No.#1645

掲載日: 2010年05月24日

去る5月11日に内閣府IT戦略本部(高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部)から「新たな情報通信技術戦略(案)」が発表されたことはご存知だろうか。

 

e-JAPAN、i-JAPANの蒸し返しかと気にも留めなかった人も多いだろう。情報通信技術を活用した行政刷新と見える化の重点施策として『社会保障の安心を高め、税と一体的に運用すべく、電子行政の共通基盤として、官民サービスに汎用可能ないわゆる国民ID制度の整備を行うとともに、自己に関する情報の活用については、政府及び自治体において、本人が監視・コントロールできる制度及びシステムを整備する』と踏み込んでいる。

国民ID制度については論議を呼びそうだが、社会保険庁の犯罪的とも言える、ずさんな管理を繰り返さないためにも避けられない制度であろう。制度云々は論議に委ねるとして、日々のニュースからすっかり消えてしまった電子政府・電子自治体に関して大きなショックを受ける出来事があった。政府からの発表と前後して開催された、東京大学での電子政府・電子自治体に関するシンポジウムでのことだ。

電子行政・世界最先進国に学ぶというものだが、報告者のレポート先は、アメリカでもヨーロッパでもなく、北欧諸国でもない。お隣の「韓国」である。確かに調べてみると国際連合が発表する、電子政府準備度調査(2010年)で韓国は1位である。2位以下はアメリカ、カナダ、英国、ニュージーランド、ノルウェー、デンマーク、オーストラリア、 スペイン、フランスと続き日本は17位である。集計方法や評価手法によってランキング結果は変動するもので一喜一憂はナンセンスである。ショックはその電子政府の実態である。かつて数十年前に日本でも描かれていたITを活用した夢のようなサービスが韓国で実現しているという事実に衝撃を受けた。

日本では、住民票など諸々の公的書類の申請やあるいは作成などで、役所のたらい回しに閉口した経験や窓口訪問の日時調整に大変苦労した経験は誰もが持っているであろう。韓国では役所の窓口に行く必要はなく、自宅はもちろん、駅、スーパー、大学、路上、観光地などネットワークがあればどこでも申請、作成ができる。また役所間の連携が義務付けられていることから、同じ証明を申請時に何度も何箇所も窓口提出する必要もない。さらにひとつの申請をする時に関連した登録修正あるいは申請が必要である場合は、モニター上で行政府側が知らせてくれる。手続きを一斉に済ませるかどうかは、本人の意思によってチェックを入れるだけでよい。

面倒な申請のひとつに確定申告や医療控除申請がある。昨今、日本でもe-Taxが普及しはじめているが、韓国はその比ではない。領収書などの添付資料も電子化が進んでおり、決済時に店舗や病院から関係のあるところへ電子的に送ることが可能で(全てではないが)、税の申告時にはほとんど自動で確定申告書が作られており、自分のIDでそれを確認、訂正すれば済むという夢のような話である。

同国で最も進んでいると言われるソウル市江南区では、地元のCATV局のサービスの一環として、行政サービスが設けられている。市民でCATV局に入っている人は、テレビのリモコンのボタンに「電子政府」があり、いつでもテレビを通じて役所と繋がるという。この江南区をモデルにしたシステムを政府は、無料で各自治体に配布してどこでも同じレベルのサービスを受けられるようにしている。このようなサービスがスムーズに活用されるためには、国民のITリテラシーを向上させる必要がある。同国では国を挙げ、子供と高齢者のIT力向上のための徹底した教育を行っている。国の支援するパソコン教室、ビジネス教室が全土に設けられ教育を行っている。多くの若者が講師として派遣され、失業対策にもなっているという。IT力、情報格差を無くすことが、地域や地方が自立する基本であると考えており、高齢者のIT教育は福祉対策にもなっている。この状況は海外に住む韓国人にとっても同じで、わざわざ韓国大使館、領事館に出向かなくでもパソコンで済むことが多いという。ソウル市江南区には、アメリカをはじめ世界60ヵ国から視察団が訪れているという。そのことから、韓国では自国の「電子政府システム」の輸出を始めている。

翻って、我が国の電子政府構想はどうであろう。愕然とするばかりである。何故、韓国とこれほどの差がついてしまったのだろうか。ここに日本の大きな問題点がある。

我が国のIT環境は世界トップクラスである。ブロードバンド率、ネット料金の安さ、家庭への普及度など韓国に劣るモノはない。では何故、後塵を拝したのだろうか。それは、インフラ環境の差ではなく、利活用環境の差である。利活用が進まない理由は、情報化社会になっても相変わらず「ハコ・モノ行政」が続いており、20世紀型の「モノづくり」発想から脱却できていないからである。

欧米との比較では、よく風土・文化の違いが強調されるが、韓国との文化的差は欧米に比べれば少ない。風土・文化の違いが利活用が進展しない理由にはならない。シンポジウムでの報告者の一人である、ヨム・ジョンスン氏は、韓国の行政府の仕組みは、日本統治下で近代化が促進された側面があり、制度が類似しているところが多いという。印鑑証明、戸籍証明、土地家屋台帳、年末調整など日本と同じ風土があり、行政府のやり方も日本と似ている。その韓国が劇的に変わったのは、1997年のアジア経済危機によってIMF下に置かれたことであるという。国家の破産によって、社会の仕組み、国民の生活習慣を徹底的に変えざるを得なかったのである。そこに偶然にもノ・ムヒョンというITに明るい大統領がリーダーシップを発揮し、行政府の抵抗を払拭したと分析している。日本に足らないのは技術力ではなく「変革の意思」と「危機感」であると言えそうだ。

話は変わるが、似たようなショックを受けたのが、今年に入ってからの電子出版・電子書籍の騒ぎである。電子出版・電子書籍のお家芸は日本ではなかったのだろうか。早くから電子端末が開発され、業界展示会では話題を呼んできた。にもかかわらず、話題は消え、電子書籍端末機も消えた。ところが、海の向こうからアマゾン社のKindleやアップル社のiPadが大きな話題とともに上陸した。人によってはこれを「黒船」と言うが、どう考えてもおかしな話である。 パナソニックはシグマブック、ソニーはリブリエという電子書籍端末を開発したが、普及には至らず、2008~09に両社とも製造・配信サービスを終了させた。

それとは対象的に韓国では2008年ころから国家戦略として電子書籍端末の開発にサムスン電子、LGディスプレイといった大企業が参入している。前述の電子政府といい、電子出版・書籍といい、同じような状況であることは確かである。インフラとしての優れたハードを開発し、次代環境を作ろうと試みたが、消費者・生活者が便利に楽しく享受できるサービスの仕組みが実現できず、結果として利活用は低く、生活やビジネスへの進展がないまま撤退、遅滞を余儀なくされている。

IT企業やそのサービスを牽引してきた企業の大半は、アメリカでは2000年を挟んで社歴20年前後のベンチャー企業であり、韓国では経済破綻、財閥解体によって再スタートした企業であった。つまり両国とも新しいビジネスモデルで市場を開拓することを目指した企業群であったのだ。ところが、日本では従来からのビジネスモデルの上に新製品を投入しただけで、モデル自体は変えなかった。つまり電子政府では旧来の縦割り行政と中央集権という枠組みを壊すことができず、新しいモデルが構築できないまま今日に至ったということであり、電子書籍では、20世紀型モデルに21世紀型知的工業製品を投入し、コンテンツも流通も機能しなかったという結果ではないだろうか。

行政も市場も、20世紀から21世紀のプラットフォームへの乗換えのラストチャンスを迎えている。あえて「権益」という言葉を使うならば、今が既得権益者から次世代権益者への分水嶺に差し掛かったといえよう。その権益構造を自らが変革できれば次代への道は開かれよう。もし権益構造を外部によって変えられることになれば次代への道は閉ざされてしまうだろう。

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十年以上という長きに渡ってご提供をしてまいりましたTechno Focus(テクノフォーカス)は、今回をもって一旦休止をさせていただきます。早い時期に新しいスタイルでの再開を考えておりますので、ぜひご期待ください。
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