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早いもので8月11日の1回目の西部支社だより「地域の地域による、地域のための ---人々の生活を支えるコミュニケーションサービス」を掲載してからもうひとつ月が過ぎた。【西部支社だより(2)】
猛暑続きの夏もさすが9月の下旬ともなれば朝夕は涼しくなり、西部支社(大阪環状線「桜ノ宮」駅前)近くの源八橋(旧淀川)を吹き抜ける風にも秋を感じる今日この頃である。
前回、川の街・大阪では中心部に大きな川や堀が流れ、それらの名称が地名や通りとして親しまれていると紹介したが、その中でも全国的に名を馳せているのが道頓堀川(安井道頓の功績を称え名がつけられた)であろう。川を南北にまたぐ、えびす(戎)橋から続く心斎橋商店街、戎橋商店街、川を挟んで東西に走る道頓堀商店街と宗右衛門町商店街の一帯は西日本最大の繁華街である。1985年阪神タイガースが21年振りに優勝した際に、多くの熱狂的ファンが戎橋から道頓堀川に飛び込み、お騒がせニュースなったことでより有名になった。しかし当時は、ドブ川でかなり異臭を放っていたようで、へ泥に埋まった「ケンタキーおじさん」も長く発見されなかった。
かつてはこの堀と川が大阪経済を支えた大動脈であったことはよく知られている。表通りであった堀川が、道路と鉄道の時代の中で、裏通りとなり埋立てや暗渠に変わり多くが歴史の舞台から消えた。ところが数年前からもう一度この堀川を表舞台にしようと川のゴミ清掃や川岸を遊歩道にするリバーサイド計画が進んでいる。堀江には道頓堀を眺める高級レストランができ、クルージングが始まった。大阪城から道頓堀を回るコースや道頓堀・堂島川を一周する水の回廊コース、道頓堀だけを行き来する「とんぼりリバークルーズ」等々、多くの船が就航している。それも大阪らしく落語家と行くなにわ探検クルーズといったものもある。
堀川が表舞台に出てくることで、もうひとつ人気が上昇したのが、堀川に面したネオン群である。道頓堀商店街側のかに道楽の動くカニ、くいだおれ人形(いまは動いていませんが)は昔から有名であるが、いまや堀川沿いのグリコネオンがシンボル的存在となっている。この一帯の街の喧騒そのものといえるネオン群が老若男女に受けている。東京では急速にデジタルサイネージ化が進んでいるが、この道頓堀界隈はどうなるのだろうか。戎橋のたもとの一角にはその兆候がみられるが、大阪らしい、道頓堀らしいコンテンツのデジタルサイネージであって欲しいものだ。せっかく、堀川を表舞台にしようとしているのだから。
一方、ミナミの堀川の表舞台とは対照的に、キタの大阪駅・梅田駅を中心とした大規模な再開発が進行している。もともとはJR大阪駅の貨物コンテナヤード跡で関東の新橋や新宿、品川の再開発と同じである。貨物駅の移転問題で開発が遅れたようだが、2010年3月から着工、先行地区は2013年に30階から48階の高層ビルが4棟完成、周囲には地下鉄、阪急電車などの延長や新駅もできる。またJR大阪駅に隣接した、百貨店については三越伊勢丹ホールディングスが出資、ジェイアール西日本伊勢丹が運営する「JR大阪三越伊勢丹」が2011年に完成予定。それに遅れまいと阪急百貨店、大阪大丸の増改築も行われており、交通機関、物流も含めた大商業地区がここ数年のうちに完成する。付け加えるならば、キタに対抗するかのようにミナミ・天王寺の近鉄百貨店の新建築も始まった。
沈滞ムードの強かった大阪であるが、民間を中心に商業都市としての新しい動きが出てきている。この再開発が大阪浮上の起爆となるかどうかはまだわからない。成功のカギは、東京を手本にするのではなく、東京にはない東南アジアを巻き込んだ大阪らしいコンテンツで勝負することではないかと思う。