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情報とメディア2 クロスメディアのプラットフォーム

掲載日: 2011年09月08日

電子書籍と云うものを考えたとき、まず最初に思うのは、では、文字を投影する媒体としての紙は、その歴史的な役割を終えるのか?と云うことである。

タッチ式のモバイル端末で、指をスライドさせながらページめくりを、まるで鬼の首を取ったように宣伝しているテレビを見ていると、それも未だまだ先かな?と云う気もしてくる。何故なら、そこで云っているのは、「書籍にとって紙が本物で、ディスプレイモニターはまがい物」と云うことだからである。それはあたかも、すし屋で本物そっくりに作られたビニール製の笹を見ているのと同じ感覚である。そして次に思うのは、電子書籍とは何なのか、それは単に紙媒体を止めた活字のソフト化をさすのか、それともデジタル化することによる、コンテンツのリッチで高次な構成と表現までをも意味するのか、と云うことである。

ワープロに始まる文字の電子化は、けっこう古い。新聞を含む出版業界における文字の電子化も、ワープロ同様にこれまで、そのゴールはあくまでも紙であった。つまり最終的に印刷するためのプロセスとしての電子化に他ならない。ワープロの登場ほど古くはないが、以前(CDが登場してから)から電子出版と云う言葉があった。言葉尻を捉えて、はなはだ恐縮ではあるが、電子出版と電子書籍とは、一体どう違うのだろうか。一つ言えるのは、電子出版とは出版業界から出てきた言葉である。つまり出版事業の領域拡大の対象として考えられた事業領域だったような気がする。一方電子書籍は、むしろ出版業界の外から、自分たちのコンテンツサービスの領域拡大の対象として、書籍がフォーカスされたと言えるのではないだろうか。用語の由来の事実関係はともかくとして、私にはそう見える。そのためか、現在電子書籍には2つの意味が混在しているように思える。即ち、一つは単なる活字のソフト化である(ここでは便宜上、「シンプル型電子書籍」と呼ぶことにする)。そしてもう一つは、コンテンツをデジタル化することで、リッチで高次な構成と表現を実現することである(ここでは「高次型電子書籍」と呼ぶ)。

どちらの意味においても、共通しているのは、活字がソフト化され、表示媒体が紙からディスプレーモニターに代わると云うことである。特にはじめの「シンプル型電子書籍」においては、これが全てで、要するにこれまで活字を表示していた紙の使用を止めて電子の紙にしましょうと云う事である。従ってこれまでの製作コストは激減し、流通形態も激変する。在庫も不要で少量多品種のビジネス展開も可能となり、参入障壁は極端に低くなる。様々なコンテンツが普及しやすくなる反面、権利の侵害も起こりやすくなる。一方、「高次型電子書籍」においては、次の2つの展開要素が考えられる。1つ目は、ソフト化されることで、ページの転移が容易になるので、文献の参照機能が飛躍的に向上する。つまり参考文献へのリンク、用語解説機能の向上などであるが、これらはHTTPとHTMLによるウェブの世界では、既におなじみである。2つ目は、リッチなコンテンツによる表現力と訴求力の向上である。反面、「シンプル型電子書籍」とは異なり、制作にこれまでとは異なる技術と多くの時間を必要とするようになる。従ってこれまでの出版業界におけるノウハウとは異なる技術と感覚が、製作者に求められる。強いて例えれば、従来の出版に加えて、インターネット放送の編成とウェブサイトの編集ノウハウを足して2で割り、さらに何か新しい要素をプラスする必要があるのではないだろうか。

もちろん電子書籍のこの二つの考え方は、扱うコンテンツによってもも規定されるだろう。これまでの所謂文学的なものは、文字そのものの勝負であるので、ビニールの笹の葉ならぬディスプレイの紙に文字を印刷する以外やり様が無いだろう(つまり「シンプル型電子書籍の領域で展開されてゆくのだろう)。ただしこの種のコンテンツは、ほぼ誰でも「出版」が可能なので、従来のような大きな産業領域としては成り立ちにくいのではないだろうか(ご承知の通り、すでに「新規参入」と「中抜き」が始まっている)。言い換えるならば、過渡期としての現在はともかくとして、従来の出版業界は、この領域には業界として存続することは難しい。これは、音楽の世界で楽譜屋さんと云う商売がないのと同じではないだろうか。もっとも逆に、(例えば)出版物著作権協会のような組織は必要になるかもしれないが。ただし、「高次型電子書籍」の領域もこれまでの出版ノウハウと云うだけではやって行けないのではないだろうか。そして、ここでもまた別の意味で新手の参入者との競合が待ち受けているだろう。放送業界、通信会社、様々なインターネット事業者、タウン誌、ウェブデザイン会社等々。しかもここはまだ内容が混沌としており、何が手本でどこがゴールかまだわからない訳でもある。だがその分、誰が、どんなバックボーンを持った参入者が有利とも言えないのではないだろうか。

当然の事ながら、筆者は後のほうの「高次型電子書籍」に期待しているものである。むろんそれには始めの「シンプル型電子書籍」も含まれる。その中に文字や画像という限られた表現手段だけで勝負する領域があるのは当然だろう。文学や絵画、そして音楽がそうしてきたように。だが一方では映画芸術、放送芸術という領域も存在している。これまでこの領域は映画会社や放送局の領域であったかもしれないし、これからもそうなのだろう。これからは文字、画像、そして映像を統合した表現手法が必要になるだろう。言い換えれば、静的な手段と動的な手段を織り交ぜた紙面ならぬ画面構成とでも言うのだろうか。その萌芽はすでにインターネットのウェブサイトに見られる。ただし、これまでのウェブサイトは、画像・映像に依存した訴求力重視型で、事象の伝達の域を出ておらず、じっくり読ませる(或いは聞かせる)という要素は少ないように思える。このあたりのコンテンツ制作は、まず図書館とか学校との連携が近道かもしれない。索引機能が必要な教科書などは、さしずめ最初のコンテンツになるのではないだろうか。むろんこの領域には、動的手段を持ち合わせた業界からの参入やネットワークインフラを持っている業界からの参入も有るだろう。現在の「電子書籍」の「狂騒」は、ネットワークインフラからの先制攻撃と言うべきだろう。そんな訳で、これまで静的表現手段で勝負してきた従来の出版業界が、従来の書籍の電子化(つまり「シンプル型電子書籍」)に留まるなら、それは自ら城を明け渡すことになるのではないだろうか。また一方、「高次型電子書籍」による静的手段と動的手段のを織り交ぜた表現活動には、利用するメディアの工夫も必要だろう。ネットワークと蓄積メディアの効率的な利用が有ってもよさそうである。出版業界の資産は著作権の管理能力だけではないだろう。

ここで再び電子出版と電子書籍の違いについて考えたい。もし電子書籍が活字のソフト化と表示装置のソフト化を意味するだけであるならば、文字通り書籍と云う言葉は「電子書籍」として残るが、出版と云う言葉も業界も消えてなくなるだろう。逆に電子書籍が、以前電子出版が考えていたような方向、即ちコンテンツのデジタル化によるリッチで高次な構成と表現を目指した場合、これもまた出版と云う言葉も、もしかしたら電子書籍と云う言葉自体も無くなるかも知れないが、これまでの印刷・出版業界から別の業界が生まれ、新しいメディアによる新しい文化が育ってゆくのではないだろうか。少なくとも筆者はそう願っている。


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◆著者

  代表取締役 太田明 ( このメールアドレスはスパムボットから保護されています。観覧するにはJavaScriptを有効にして下さい )

 

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