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■大震災でも紙齢を守り続けた各新聞社
新聞社は3月11日の東日本大震災に、どのように立ち向かったか。各社は紙齢を守るため、震災の大混乱の中でも報道・発行体制を維持し続けた。紙齢とは創刊号からの年数や号数をいう。今回の震災でも休刊日以外は戦時中でさえ途切れることなく発行し続けてきたその姿勢は貫かれた。
東北の主要新聞社の対応は以下の通りだった。河北新報社は新潟日報社で紙面制作、岩手日報社は東奥日報社で紙面制作と印刷、山形新聞は新潟日報社で印刷、秋田魁新報は減ページ、福島民報社は減ページと一部外部委託。石巻日日新聞が手書きの壁新聞で発行を続けたことは世界的にも有名になった。
被災した新聞社は緊急時新聞発行援助協定に従い即座に対応した。いわゆる4大紙もシステムや輪転機のダウン、停電、輸送などの障害を乗り越え、新聞を発行し続けた。
■大震災を期に新聞の評価が再び高まる
新聞4社(朝日・読売・毎日・産経)の共同調査によると、大震災で重要度が増したメディアは①新聞と②テレビ放送(NHK)、③テレビ放送(民放)の順である。野村総研の調査によると、①テレビ(NHK)、②テレビ(民放)、③インターネット、④新聞となっている。いずれにしても新聞は大震災を通して平時と同様に情報を伝え続けたことで、メディアとしての評価を再び高めたと言える。
新聞社の災害時援助協定は、今回の震災を踏まえ、協定の範囲を制作・印刷だけでなく食料・資材などにも拡大するという。
一方、震災は新聞社の今後にも大きな影響を与えることになった。数十万に及ぶ部数減、広告収入の二桁減収などは、今後の新聞社経営に変化を促していく要因になり得ると考えられる。
■新聞社の新規事業活発化
4月から小学校での新聞活用を推奨する「新学習指導要領」が実施され、子ども向け新聞の創刊が相次いだ。2012年は中学校、2013年は高校で実施されるため、世代別新聞の創刊がしばらく続くだろう。静岡新聞、東奥日報、山形新聞では土曜夕刊や夕刊を休刊する代わりに子ども新聞を創刊した。
また、有料電子版の創刊も続いている、昨年は日本経済新聞の有料電子版が大きな話題になったが、2011年は朝日新聞デジタルが創刊した。更に、中国新聞や山梨日日新聞など有力地方紙も電子版創刊に取り組んでいる。
■印刷メディア、新聞メディアに求められるもの
“エル・ゴラッソ ”は、2004年に創刊されたサッカー専門新聞だ。この20年で創刊された新聞としては稀有の成功例として「最後の新聞 」とも呼ばれる。サイズはタブロイド版だが、用紙の色がピンクなので、キヨスクやコンビニで探せばすぐわかる。発行20万部に成長した同紙は、従来の新聞の常識の多くを打破してきた。
用紙の色で差別化し、組版はDTPで斬新な紙面構成を実現した。社長で発行人の山田氏はスタッフに「文字を組むのではなく、絵巻物のように紙面を構成するように」スタッフに指示している。
内容は、正確性よりエンターテインメント性を重視、従来の新聞とはその使命において一線を画した。速報性ではインターネットにかなわない以上、事実関係を正確に伝えることより、サッカーファンに試合の余韻や楽しさ、臨場感などを伝えられるかが印刷メディアの役割と考えているようだ。
情報過多の時代、読者は印刷メディアに何を求めているのだろうか。技術やメディアの状況が変われば、印刷メディアの役割も求められる期待も変わっていく。
(JAGATinfo 8月号より)