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東京スカイツリーのオープンで盛り上がっています。新しいモノ・コトが大好きな大阪ではすでに明治から天に通じる高い塔がありました。その名は・・・・・・・。【西部支社だより(18)】
日本放送協会(NHK)と在京民間テレビ局5社が新しい電波塔を求めて新タワー推進プロジェクト(新東京タワー構想)を発足させてから丸8年と5か月、ついに世界一の電波塔「東京スカイツリー」が5月にオープンします。明るくて元気の出るニュースが少ないだけに日本中が盛り上がっています。素直に歓びたい反面、首都直下型地震関連ニュースの深刻さが増しているだけに複雑な思いです。
さて、大阪に目を転じますと、決して「東京スカイツリー」と張り合うような話題ではありませんが、4月下旬、「通天閣」の5階展望台がリニューアルオープンし、三代目ビリケンさんも5月下旬に登場予定です。
「東京スカイツリー」、「東京タワー」に比べ、「通天閣」はいかにも古めかしい響きがありますが、まさにその通りで、初代の通天閣は1912年(明治45年)に完成したものです。1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、パリのエッフェル塔と凱旋門を模してルナパークとともに建設されたものです。戦前の大大阪時代を象徴する娯楽施設でした。
東京タワーは映画「ALWAYS三丁目の夕日」のテーマでもあるように「昭和のよき時代」、テレビ時代(テレビ塔)の幕開け、経済成長の幕開けのシンボルです。
現「通天閣」は2代目となり、戦後の1956年(昭和31年)に、街の復興のシンボルとして建設されたものです。東京タワーより2年早いのです。初代は第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)にタワーの下にあった映画館・大橋座の火災で脚部が加熱により強度不足となり解体されたという悲しい歴史があります。
このように両者には時代背景や建設目的がまったく違っています。その違いを象徴しているのが、通天閣側面の巨大ネオン広告といえるでしょう。もともと大阪は昔から個性的な看板の宝庫で、今風に言えばデジタルサイネージの先進地区とでもいえる風土がありました。そう考えると通天閣の巨大ネオン広告はいかにも大阪といえなくもないのですが、実は少々裏事情がありました。
多くの人にとって通天閣の立ち姿は日立製作所のネオンとともに記憶されているのではないでしょうか。それほど日立と通天閣は一体となって大阪の街に溶け込んでいます。
ところが日立は関西の企業ではありません。関西といえばやはり松下電器産業(現パナソニック)、シャープという弱電気メーカーのお膝元。
「なぜ関東の重電機メーカーの日立なの・・?」
私も以前から「なにわの灯」といわれる通天閣ネオンがなぜ日立なのかという疑問を抱いていました。思い切って通天閣の所有者である「通天閣観光」にぶつけてみました。
前述しましたように二代目通天閣は戦後の街の復興シンボルとして建設されました。なんと『地元商店街』の皆さんがお金を出し合って建設したのです。しかし、商店街で集めたお金は3500万円。建設費は3億数千万円。借金返済計画に苦しむ中、広告収入を求めました。まずは地元企業(松下電器産業、サントリーなど)を当たったものの厳しい契約条件に二の足を踏みまとまらなかったようです。そのような折、厳しい条件を受け入れたのが日立製作所だったわけです。
その条件とは、復興のシンボルとは言え、地元商店街が作った名も知れぬ「通天閣観光」という企業が建設費返済のため、「10年契約の一括払い」を要求したのです。
なぜ日立はそれに応じたのでしょうか。
当時、日立といえば「重電機メーカー」としは有名企業でしたが、これから成長する家電分野では知名度が今一歩であり、ことに家電王国関西への殴り込みには最適の広告塔であったのです。
これは後に、松下幸之助氏が通天閣への出広を断わったことを悔いていたというエピソードもあります。
このように大阪では伝統的に民の力が強く、お上や公を頼らないのが大きな特徴でした。江戸の橋の7割は幕府が作り、大阪の橋の7割は商人が作った、といわれています。
しかし、現在は大阪企業の多くが本社機能を東京に移し、決裁権も東京となったことから、印刷会社でも東京支社や営業所を多く開設しています。ある社長は「東京のクライアントの売上げが多く、出張も多いので本社を大阪に置く意味がない」とも話します。
ただ今後のことを考えると道州制・大阪都構想、東京一極集中の弊害とリスク分散、中央行政府の影響力の漸減、各地域での経済特区など以前に比べ、新しい大阪・関西への期待が徐々に膨らんでいます。大阪・関西の進むべき方向性は昨年JUMP近畿2012に登壇していただいた藻谷浩介氏の言葉を借りると「安モノ、値引きの大阪の返上」「高くて品質がいい唯一無二のモノを作れ」「ソウル、上海との連携ができる文化力ある都市であることを活かす」「東京のマネをしない」ということです。元来の「新しもん好き」のDNAを今こそ仕事に生活に活かしましょう。 (西部支社:杉山慶廣)