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「おはよう」がつなぐもの

掲載日: 2012年10月31日

社会人として上手なコミュニケーションをとるために重要なことは何だろう。まずは「おはようございます」の挨拶から始めてみよう。

「お早よう」(1959年、小津安二郎監督)を観た。「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本 喜劇編」の中の1本に選ばれたことで、あらためて観た人も少なくないだろう。観る人の年代によって、あるいは初めて観たかどうかによっても、感想は違ってくると思うが、CGで作られたものではない昭和30年代の日本の風景、庶民の暮らしを観るだけでも一見の価値はあると思う。
玄関には鍵が掛けられていなくて、お隣からビールを借りたり、ご近所の買い物を頼まれたり、卓袱台には一汁一菜が並び、ご飯はお櫃に入れられている。大人の男たちは帽子を被っていて、中学生と小学生の兄弟はお揃いのセーターを毎日着ている。兄弟は英語を習いに行くことを口実に出掛けて、テレビのある家で相撲を見ている。御前様になる前の髪の黒い笠智衆が兄弟の父親で、黄門様(初代)になる前の東野英治郎が55歳定年後の就職口を探している。鉛筆やゴム紐、たわしを売りつけるために、押し売りは玄関先で鉛筆をナイフで削ってみせ、その後を紳士然とした男が防犯ベルを売りつけて歩く。

今ではすっかり失われた風景だが、実は現代ニッポンにも通じる「コミュニケーション」の問題が取り上げられていて、特に「おはよう」という挨拶が重要なキーワードとなっている。
施錠が必要のない隣近所では、婦人会の会費の行方を巡って、洗濯機を買ったばかりの会長に対して、「まさか」「そうかしら」「でもね」という噂が飛び交う。
子供たちはおでこを押すとおならをする遊びに夢中で、自由におならが出せるおじさんに尊敬の眼を向けている。そのおならを自分への呼び掛けと勘違いした妻は、おならに返事をして、二度目の勘違いで夫から「ああ、あのね、今日亀戸に行くけど、葛餅でも買ってくるか」と言わせる。

近所でテレビがあるのは水商売の若夫婦の家だけで、中学生と小学生の兄弟は相撲観戦に夢中だが、遊びに行くことを禁じられて「じゃあテレビを買ってくれ」と騒ぎ、「お前は口数が多すぎる、無駄話は止めろ」と父親に叱られる。
これに対して、「だったら、大人だってよけいなことを言っているじゃないか。『こんにちは』『おはよう』『こんばんは』『いい天気ですね』『ああそうですね』『あら、どちらへ』『ちょっと、そこまで』『ああ、そうですか』。そんなことで、どこに行くかわかるかい!『ああ、なるほど、なるほど』。何が『なるほど』だい!」と中学生が口答えする。

兄弟は今後一切口をきかないことを宣言し、「おはよう」の挨拶さえも拒否したことで、母親は近所から孤立し、給食費の滞納や家出騒動まで巻き起こる。テレビによる「一億総白痴化」という言葉も飛び出すが、再就職した東野英治郎からテレビを買うことで、すべての問題が解決する。

映画の最後に、兄弟に英語を教えている佐田啓二と、兄弟の叔母である久我美子が駅で出会ったときの会話は、「大人だってよけいなことを言っている」好例となっている。
「やあ、おはよう」「おはよう。ゆうべはどうも」「いやあ」「どちらへ」「ちょいと、西銀座まで」「あ、それじゃ、ご一緒に」「ああ、いいお天気ですね」「ほんと、いいお天気」「この分じゃ、二三日続きそうですね」「そうね、続きそうですわね」「ああ、あの雲、おもしろい形ですね」「ああ、ほんとにおもしろい形」「何かに似てるな」「そう、何かに似てるわ」「いいお天気ですね」「ほんとにいいお天気」
お天気の話だけに終始する、このリフレインは無意味だからこそ美しく、二人の行く末に幸あれと乗り出して言いたくなるほど微笑ましい。

「西銀座まで」という以外に有意な情報はない会話こそ、理想的なコミュニケーションともいえる。ここで重要なことは、「コミュニケーションが成立していること」を確認し合うことであって、「コミュニケーションを通じて行き交うメッセージ」は何でもいいのだ。「どちらへ?」という問いはもちろん目的地を訊ねているのではない。「あなたの歩みに幸あれ」という祝福の言葉であり、それに対しては感謝を込めて「ちょっと、そこまで」で事足りる。だからこそ挨拶は、実は高度なコミュニケーションを担っているのだ。

「おはよう」と兄弟に声を掛けたご近所さんは、二人が返答しないことから敵意のメッセージを受け取り、「あの奥さんは、ああ見えて、細かいことを根にもつらしい」と近所にふれ回ることになる。
「おはよう」と声を掛けて無視された不愉快さは誰でも覚えがあるはずだ。ただ考え事をしていただけだとしても、そっちがその気ならと思わずにはいられない。でもやはり朝になったら「おはよう」と声を掛けて、「おはよう」と応えてもらいたい。「こんにちは」と声を掛けられたら、「こんにちは」と返す。その呼応にこそ意味がある。

「おはよう」は朝一番の贈り物でもある。「今日一日がよき日でありますように」という祈りを贈っているのだから、「おはよう」と返してもらえなければ、人間の善意が行き場を失うことになる。挨拶は単なる形式ではなく、コミュニケーションそのものである。コミュニケーションの本義は、有用な情報を交換することよりも、メッセージの交換によって互いの存在を確認し合うことだからだ。
相手の言葉や動作をそのまま繰り返すことで、相手に「一体化している」「気持ちが通じ合っている」と感じさせる「ミラー効果」は、ビジネス上のテクニックとしても知られているが、そんな賢しらなことを言わなくても、相手の話を復唱することはビジネスの基本中の基本でもある。

社会人1年生では、挨拶と身だしなみが重要とされる。学生時代のバイトやサークルで身につけたマナーがそのまま通用するとは限らない。「お疲れ様です」を万能と考えてか、朝一番に会っても「お疲れ様です」、廊下ですれ違っても「お疲れ様です」、メールでも「お疲れ様です」、トイレで顔を合わせても「お疲れ様です」ですませる人もいるが、これでは口先だけで贈り物にはならない。やはり朝は「おはようございます」、自分が先に帰るときは「お先に失礼します」、自分より先に帰る人には「お疲れ様でした」と心を込めて言ってほしい。社内メールなら簡潔にして要を得ていることが一番で、トイレで鉢合わせたら目礼や「どうも」だけでも十分だろう。社会人としての基本マネーを押さえた上で、自社の社風やハウスルールに対応してほしい。

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JAGAT CS部 吉村マチ子

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