JAGAT Japan Association of Graphic arts Technology


本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。

田中一光 華麗なる裏方(後編) デザインは、苦行であってはならない

掲載日: 2012年11月29日

グラフィックデザインの役割は企業のコミュニケーション活動を支えること。そのことを通じて、消費者の生活を豊かにすることであろう。それを体現していたのが田中一光だ。

グラフィックデザイナー 田中一光は、2002年に亡くなるまで約50年に渡る活動の中で5000点を超える作品を世に送り出し、日本だけでなく、海外からも高い評価を受けている。

今年は、21_21 DESIGN SIGHTの企画展「田中一光とデザインの前後左右」*1をはじめ、田中の軌跡をたどる展覧会が各地で行われている。

企画展「田中一光とデザインの前後左右」会場
 企画展「田中一光とデザインの前後左右」会場 撮影:吉村昌也

田中はなぜデザイン史に名を残すことができたのだろうか。そして、今を生きる私たちは、彼の業績から何を学び、継承することができるのだろうか。

前回は、時代と社会を見渡す視点を紹介した。今回は、彼のディレクション力と、デザインを楽しむ楽天性について述べたい。
 
●パートナーの才能を引き出すディレクション力

田中は同業者とはもちろん、異業種で実力ある人々と広く交流をもち、仕事につなげていった。
例えばデザイナーの三宅一生、評論家の勝見勝、建築家の菊竹清訓、写真家の土門拳など。
グラフィックデザイン以外にも、出版企画、企業のブランディング、建築、外装、映像にも関わった。

田中一光デザイン室のスタッフの存在も忘れてはならない。太田徹也、坪内祝義、秋田寛、廣村正彰など、現在グラフィックデザイン界の中心となっているデザイナーを育てた。

自らが手を掛けるだけでなく、パートナーの魅力を最大限に生かすディレクション能力に優れていた。
出来上がったデザインは、三宅一生の衣服を大胆に見せるポスターであったり、西武やロフトの店舗であったりと、鮮やかなものではあるが、田中自身が表に出ることはない。
「アートディレクターなどというと聞こえはいいが、興奮が醒めると、自分が単なる手配師にすぎなかったのではないかというむなしさに襲われることさえある。それでも私はこうした裏方が好きで、仕掛けの時間を楽しんでいるのかもしれない。」*2
と語り、黒子に徹していた。
自己表現を全面に出さない。しかし他者とのコラボレーションにより、自己表現の限界を超えたといえるのではないだろうか。
生涯に5000点を超える作品も個人の力だけではなく、コラボレーションとディレクションのたまものではないか。
 
●デザインを楽しむ

田中は学生時代に演劇部の活動に没頭し、また宝塚のレビューや新劇に心をときめかせていた。デザイナーとなってからも、モダンダンス、モダンジャズ、歌舞伎、茶の湯など、趣味の幅が広かった。
自分の事務所で毎年クリスマスパーティを開くなど、友人たちと楽しいイベントを仕掛けることも好きだった。
生活を楽しむことは、グラフィックデザイナーにとって大切な資質であると思う。
グラフィックデザインは、消費者の情緒に訴えるものである。デザイナー自らが楽しんで制作しなければ、消費者を動かすことはできない。

とはいえ、グラフィックデザイナーとして大成すればするほど、仕事の規模は大きくなり重圧も増える。大阪万博の展示設計では、多くのスタッフとの意思疎通、関係機関との調整など、課題は膨大になっていったようだ。このような環境の中でも、クリエイティブな思考を保つ精神力が、グラフィックデザイナーには求められる。

「デザインは、苦行であってはならない。苦しんだら、どんどん深みにはまって出られなくなってしまう。追いつめられたら、押しつぶされてしまう。鼻歌でも歌いながらやるぐらいがいい。その方が、でき上がりに鮮度がある。」*3

グラフィックデザイナーの強さとは鋼鉄の意思というよりは、しなやかさにあるのかもしれない。
 
●田中の業績を現代に生かすとは?

さて、田中の業績から、私たちは何を生かすことができるのだろう。

長引く経済停滞はグラフィックデザイン業界にも影を落としている。CIブームは去り、広告量もかつてより減っている。出版不況の中、粗製乱造を嘆く声も聞かれる。
オリンピックや博覧会も高度成長期ほどの輝きはない。

田中が生きた時代とは条件が違っているのである。

しかし、グラフィックデザイナーが時代とともに生きる存在であることは変わらない。
グラフィックデザインの役割は企業のコミュニケーション活動を支えること。そのことを通じて、消費者の生活を豊かにすることであろう。
コミュニケーションビジネスの課題は、大規模なプロジェクトから小さなソリューションへ。マスからパーソナルへとシフトしている。ソーシャルデザイン、コミュニティデザインといった、モノからコトのデザインへという動きも注目されている。田中が活躍した時代よりグラフィックデザイナーが関われる領域は多岐に渡ってきているのではないか。

デジタル技術の進歩により、グラフィックデザイナーが直接タッチできる要素が増えた。それだけに、かつてより印刷やデジタルに関する知識がグラフィックデザイナーに求められているともいえる。

グラフィックデザインの考え方には、印刷会社のビジネスにも通じるものがあると思う。
印刷会社もグラフィックデザイナー同様、黒子である。表に出るのはクライアント企業。しかし、クライアントのよき相談相手となり、企業のコミュニケーション活動の舞台裏を回す仕掛けを作ることは、とても面白い仕事だとは考えられないだろうか。

印刷とグラフィックデザインは、昔から切っても切れない関係にある。グラフィックデザインの表現と印刷技術が絶妙にかみ合った時、訴求効果は強まり、クライアントのブランド力アップにもつながる。
印刷業がソリューションプロバイダーに変わっていくためには、グラフィックデザインを重要な要素のひとつと位置づけ、優れたグラフィックデザイナーとパートナーを組むことが、今後ますます必要になっていくだろう。

 

(JAGAT 研究調査部 石島 暁子)

*1 企画展「田中一光とデザインの前後左右」  
21_21 DESIGN SIGHTにて2012年9月21日(金)-2013年1月20日(日)まで開催

*2 『田中一光自伝 われらデザインの時代 』  白水社 

*3 『デザインと行く 』  白水社

 

田中一光 華麗なる裏方(前編)
デザイナー、クライアント、消費者の三角形を意識 

(C) Japan Association of Graphic Arts Technology