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電算写植システムの開発(その3)

社団法人日本印刷技術協会 客員研究員 小野沢 賢三
(元株式会社写研 システム技術部長)
(元日本印刷技術協会 研究調査部長)

スタンドアロン型全自動写植機の開発

電算写植システムの一層の普及を図るためには、システムの小型化や低価格化が必要になった。その最初が、1972年に発表した新聞社向け本文専用のSAPTON-N12110である。
本文用レンズ1種類、新聞扁平明朝体文字盤1枚を装備し、35mm幅ノンパーフォレイティブ・ロール感材を装填し、印字速度は毎分1,500字だった。前述したように新聞組版用の組版ソフトウェアを内蔵し、編集組版用ミニコンピュータを経由することなく、直接SAPTONにオリジナルテープを入力すれば組版して印字することができるようになり、紙面制作時間を短縮することができた。

1975年に発表した新聞社向け本文専用のSAPTON-NS11では、新聞社向けのSAPCOL-HNをベースにして、共同通信社配信記事体裁の自動判定、問答処理、ダブルパンチ削除、行頭行末禁則処理、株式・相場欄組版、ラジオ・テレビ番組欄、箱組、赤字訂正などの組版処理を可能とするとともに、35mm幅ノンパーフォレイティブ・ロール感材に文字を90°回転して並び替えて印字することで、最大95字詰めの前文も組版処理して印字することを可能とした編集組版ソフトウェアを内蔵した。
また、紙テープさん孔機も装備し、内蔵した編集組版ソフトウェアには全自動活字鋳植機用の組版済み紙テープを出力する機能も持たせ、活版組版から写植組版への移行の橋渡し設備として導入する役割も持たせた。

1977年に発表した新聞社向けSAPTON-NS26D(図9)は、文字サイズが1倍扁平、110正方、1.5倍正方、2倍正方、20Uの5種類、明朝体とゴシック体の2枚の文字円盤(1枚に7,080字収容)、グループ外字(4枚で192字収容)、モノ外字(8字)、紙テープさん孔機を装備した。感材は最大200mm幅までの広幅感材1種類と35mm幅感材を同時装填可能で、印字速度は毎分1,500字であった。
また、この機種から、共同通信社の新たな文字コードCO-77に対応して収容文字数を大幅に増加させるとともに、従来のCO-59コード入力に対応する機能も組み込んだ。内蔵する編集組版ソフトウェアには、案内広告や選挙組版など事前登録処理が必要な組版処理を除き、全自動活字鋳植機用の組版済み紙テープを出力する機能も含めて、SAPCOL-HNの主要部分はすべて組み込んだ。
その後1981年には、データ入出力にフロッピディスクの使用を可能としたSAPTON-NS26DFを発表した。小型、低価格、多様な組版機能などから、SAPTON-NS26シリーズは新聞社における写植組版移行時のベストセラー機となった。

図9 SAPTON-NS26D

図10 SAPTON-Somanechi6812S

同じ1977年に発表した一般印刷向けのSAPTON-Somanechi6812は、文字サイズが8〜24Qの12種類、4種類の変形サイズ(平体1、平体2、長体1、長体2)、像回転プリズム、明朝体とゴシック体の2枚の文字円盤(モノ外字、グループ外字を含めて合計で12,690字収容)、組版済みデータ出力用紙テープさん孔機などを装備し、装填した70〜200mm幅(4種類)のいずれかの感材に毎分650字で組版処理して印字するスタンドアロン型全自動写植機である。
内蔵する編集組版ソフトウェアには、1972年に発表以降数々の機能拡張が図られたSAPCOL-HSからページ組版関連の機能を除いた、行頭行末禁則、分離分割禁止、縦中横、ルビ、同行・別行見出し、欧文(自動ハイフネーション)、連数字、フローティングブロック、罫線、異サイズ混植、詰め組などを含んだ本文組版処理や、表組、データ制御、各種の体裁制御、赤字訂正、組版済みデータの出力などの処理機能を組み込んだ。

その後1981年には、紙テープリーダーに加えて、フロッピディスクによるオリジナルデータの入力と組版済みデータの出力を可能としたSAPTON-Somanechi6812S(図10)を発表した。
小型にもかかわらず2書体内蔵で収容文字数も多く、内蔵した組版機能を含めて多くの組版に対応できる高機能性と操作性の良さ、さらには低価格で経済的ということから、一般印刷における光学式電算写植機のベストセラー機となった。

VDTによる校正組版システムの開発

電算写植システムが普及期を迎えた1970年代前半の課題の一つが、赤字訂正処理であった。
SAPTON-Spitsシステムでページ組版し印字出力後、大幅な赤字が入り、赤字訂正後再度ページ組版をして印字出力するという工程の繰り返しでは、電算写植システムの生産性が上がらない。そこで、手軽に、経済的に、短時間で間違いなく赤字訂正処理を実施するために、VDT(Visual Display Terminal)による校正組版システムの開発に着手した。

電算写植システムの赤字訂正処理をVDTで行うためには、電算写植機に収容された1書体6,000字を超す文字の表示情報を安価に作り出す文字発生装置の開発が必要であった。
そこで1973年当時注目したのがシリコンウェハーを使用したスキャンコンバータ管であった。直径1.5〜2インチ程度のシリコンウェハーに1書体分の6,000文字の字形を焼き付け、その中の所望の1文字部分だけをスキャンして表示字形信号を取り出す方法だった。
しかしこのアナログ方式の文字発生は、小さな1文字部分を電子ビームでスキャンすることから、周囲の温度変化に対しても安定して高速に表示字形信号を取り出すことには向いていなかった。

そこで、1文字を24×24ドットで構成した低画素フォントを開発し、1977年に新聞社向け編集・校正・レイアウトシステムSAPNETS-Nを発表した。
SAPNETS-Nは、システム全体の制御・記事やレイアウト済み情報の保存・校正・組版・レイアウトなどを処理するミニコンピュータ、校正組版用ターミナルEVDT(図11)、レイアウト・校正組版兼用ターミナルLVDT(図12)、漢字入力機、ハードコピー装置、電算写植機などで構成された。EVDTは、新聞本文、ラジオ・テレビ番組欄、前文、案内広告、野球、スポーツスコアなどの組版機能を持ち、画面で校正した記事の組版結果を画面で確認することができた。
LVDTは、校正済みの記事を用いて箱組や複数記事をまとめたブロックレイアウトを行うことを主とした端末であるが、レイアウト中の赤字訂正にも対応できるようにEVDTの機能をすべて持っていた。

図11 校正組版用ターミナルEVDT

図12 レイアウト・校正組版兼用ターミナルLVDT

1978年には、一般印刷向けの校正システムSAPNETS-Sを発表した。このシステムは、校正用ターミナルEVDT、制御用ミニコンピュータ、ハードコピー等で構成された。
これらの技術が、1980年以降に発表したスタンドアロン型VDT校正ターミナルSAMITH、CRT付入力校正機SAZANNA、フルページ編集組版レイアウトターミナルSAIVERT-S、SAIVERT-Nなどの開発につながった。

CRT写植機の開発

全自動写植機の印字速度を高速化するためには、機械的な動作部分を少なくし、電子的な文字出力・印字方法にすることが必要であった。そこで、高解像度ブラウン管(Cathode Ray Tube:CRT)上に文字を出力し、感材に露光するCRT写植機の開発に着手することになった。CRT写植機の開発における最大の課題は、VDTによる校正組版システムの開発の場合と同様に、1書体6,000字を超す文字を高精細に、小サイズから大サイズまで出力するための文字情報の発生手段であった。

写研では、1970年代初頭から高品質で、経済的な文字情報の発生手段として、字母に写真植字機のガラス文字盤を利用し、その中から選択した1文字を撮像管に投影して文字情報を電子信号化するアナログフォント方式の研究を進めてきた。その結果、高速回転する文字円盤の中から1文字を選択するSAPTON方式を利用した、アナログフォント方式のCRT写植機SAPTRON-G1(図13)を1977年に発表した。
SAPTRON-G1は、新聞社向けの機種で、明朝体とゴシック体の2枚の文字円盤(合計で14,360字収容)を装備し、高解像度CRT上に5種類の文字サイズ、変形、斜体の文字を出力し、罫引きを可能とした。250mm幅ノンパーフォレイティブ・ロール感材を使用し、生産印字速度は毎分2,800字であった。
1979年には、8書体の文字円盤を装備した、新聞社向けのSAPTRON-G8Nと一般印刷向けのSAPTRON-G8Sを発表した。
見出し書体も搭載することができたため、出力文字サイズは新聞社向けでは8倍まで、一般印刷向けでは62Qまで出力可能とし、使用感材も最大400mm幅までに拡張した。
SAPTRON-G1は、1980年にサンケイ新聞大阪本社で稼働を開始し、大小の文字サイズが入り組んだ案内広告などでその威力を発揮した。また、SAPTORON-G8Nは、1983年に完成した高知新聞社のフルページトータル・オンラインシステムの出力機として活躍した。

図13 CRT写植機SAPTRON-G1

図14 高速CRT写植機SAPTRON-APS5

時刻表や情報誌などの大量ページ物を組版していたSAPTON-Spitsユーザからは、より高速で出力する全自動写植機の開発要求が強まった。そこで、このようなユーザ向けに、1976年、アメリカのオートロジック社と提携し、同社のAPS5型CRT写植機の和文仕様機開発に着手した。
APS5型CRT写植機は、文字を高画素でデジタイズして磁気記憶媒体に収容するデジタルフォント方式の文字情報発生手段を使用し、世界最高速で欧文新聞業界では圧倒的なシェアを持っていた。

和文仕様機を開発する上での最大の課題は、1書体6,000字以上という膨大なデジタル文字情報を使用しても、APS5の高速性をいかんなく発揮できるようにすることであった。
欧文では1書体120字程度であるため高速な主記憶装置を使用して文字を出力できるが、和文ではデジタル化した文字情報が膨大であるため、どうしても補助記憶装置を使用しなければ組版済みのページを出力することができないからである。
この課題を解決し、明朝体とゴシック体の文字のデジタル化作業と和文出力用制御プログラムの制作作業を行い、1977年に新聞社向けと一般印刷向けのSAPTRON-APS5(図14)を発表した。

一般印刷向けのSAPTRON-APS5の標準仕様機は、8〜18Qの出力文字サイズに対応した2書体のデジタルフォントのレンジ1(合計13,240字)を収容し、変形文字出力、罫引きも可能とし、最大320mm幅のノンパーフォレイティブ・ロール感材を使用し、連続印字速度は毎分18,000字だった。
SAPTRON-APS5の1号機は、STCシステムで時刻表を組版していた株式会社電算プロセスに納入され、その高速性をいかんなく発揮した。その後、1980年代に入り、より高速性を追求したSAPTRON-APS5H、高速ながら経済的なSAPTRON-APSμ5の開発へとつながった。

レーザ写植機とアウトラインフォントの開発

文字と画像を一括して出力するシステムの開発は、SAPTRON-APS5の出現で現実味を帯びてきた。
当初は35mmフィルム上の画像を高解像度CRTでスキャニングするオートロジック社のAPS SCANを利用した、図形分解入力装置SAPTRON-APS SCANで図形を分解入力し、SAPTRON-APS5で文字と画像を一括出力するものであった。しかしこの方式では、取り込む図版を35mmフィルムに記録せねばならず、ロゴのように再利用頻度の高い図版をスキャニングして記憶しておき文字情報と一括出力するような場合には向いているが、書籍などのページ内に配置される図版のためにはかえって繁雑な作業が必要になり実用的ではなかった。
このため、文字と画像の一括出力の実用化は、図版原稿を直接レーザでスキャニングするSAPGRAPH-L(1979年に参考出品)の実用機を発表した1980年代前半以降となった。

文字と画像を一括して出力することが可能となれば、ページ組版処理済みデータで直接刷版に露光する装置を使用すれば工程が短縮され、印刷物制作時間が短縮される。
そこで写研では、SAPTRONの開発と並行して、1977年から直接刷版に露光するレーザ出力機の研究開発に取り組んだ。レーザで刷版を走査する走査ミラーや平面走査レンズ、高精度クロック技術とフィードバック技術、文字や画像情報をビットマップデータに高速で展開するRIP(Raster Image Processor)回路など、克服しなければならない課題を解決してレーザ出力機SAPLSを参考出品したのが1979年だった。

しかし、レーザ出力機を実用化するためには、搭載するフォントの開発が必要になった。CRT写植機では、出力時点の走査線密度を変化させることによって、同一分解度のデジタルフォントから、ある程度の範囲の文字サイズを出力することができた。例えば、SAPTON-APS5では、100×100ドットのデジタルフォントレンジ1を使用して、8〜18Qの文字サイズを出力していた。
しかしながら、レーザ出力機では走査線密度は一定で、ドット分解のデジタルフォントでは文字サイズごとのデジタルフォントが必要になり、膨大なフォント情報を格納しなければならない。そこで写研では、文字情報を文字の輪郭で記憶するアウトラインフォントの開発に着手した。
この最初のアウトラインフォントを搭載したSAPLS-N試作機が発表されたのは、1981年だった。このアウトラインフォント開発が後のCフォントを生み出し、1980年代に相次いで発表した、端物用入力校正レイアウトターミナルSAIVERT-H、多書体内蔵で大サイズ文字まで出力する普通紙プリンタSAGOMES、大サイズ文字まで出力可能で小型低価格のCRT写植機SAPTRON-Gelli、SAPTRON-Gimmy、高速出力のCRT写植機SAPTRON-APSμ5Cfont、レーザ出力機SAPLS-N、SAPLS-Sなどの開発につながった。


紙テープ編集機SAPTEDITOR-Nと全自動写植機SAPTON-Nの組み合わせで1966年にスタートした電算写植システムも、わずか10数年で編集組版用ミニコンピュータ、編集組版用ソフトウェアSAPCOL-HS、CRT写植機SAPTRONの組み合わせで、大量なページ物を短時間にページ組版して出力できるシステムにまで発展した。
振り返ってみれば、次々と押し寄せるユーザ要求に対応して、新たな機能や機種の開発に追われ、あっという間の10数年であった。1980年代以降の普及期を迎えた電算写植システム、WYSIWYGなターミナル、海外向けシステムなどの開発については、次回に述べることとしたい。

「電算写植システムの開発(その1)」

「電算写植システムの開発(その2)」

出典:使用した図版は、株式会社写研の各製品カタログ、及び「文字に生きる」から引用

(2007年6月)

2007/07/06 00:00:00


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