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物が語る『美』とは何か?

『世界で最も美しい本のコンテスト』に関連して、物が語る『美』について先に第1節で簡単に触れました。この場合は物である本が人間に語りかけるものを、審美眼を備えた複数のプロが感じ取り、世界で最も美しい本を選びだすというものでした。

ここではもっと広く、技術立国日本・物造り日本、そして観光立国日本との関連で、物が語る『美』とは何か? 物語られ、語り継がれる『美』とは何か?について考えてみたいと思います。簡単に言えば、普遍的な本物の美しさとは何か? ということです。

人気テレビ番組のひとつに『なんでも鑑定団』というのがあります。視聴者が持ち込んだ美術品などをプロの鑑定士が査定するという番組です。例えば、自分の骨董美術品を本物と思い込んでいる依頼人が提示した金額を、査定結果が偽物で大幅に下回ったときは爆笑が、その逆では歓声がわきあがる、といった趣向です。

有名画家や陶芸家などの贋作物が出回るのは洋の東西を問わないようです。贋作物を本物として客に売れば悪徳業者のそしりを免れません。専門知識あるは専門能力の悪用で不道徳だからです。

昨年一時期全メディアを賑わした話題に、マンションやホテルの耐震強度偽装事件がありました。外見的には一見美しいマンションやホテルが、手抜き工事の偽物であったというものでした。多くの公的機関、企業、個人が絡んだマネー優先の恥知らずな悪徳の構図が浮かび上がりました。徳のない人間達には、真に美しい物は造れないという事です。

真に美しい物は感動を呼び起こし、人びとによって物語られ、時代を超えて語り継がれます。例えば筆者の故郷の羽黒山神社には国宝の五重塔があります。杉の巨木の木立のこぼれ日に浮き上がった五重塔は、実に美しいと有名です。

筆者は若い時代に、明治の文豪 幸田露伴が書いた小説『五重塔』を読んで美しい物を造るとはこういうことなのか、と思ったことがありました。それで本コメントをまとめる に当たり再度五重塔を読んでみたいと思いました。幸い現在では、実家の書棚を捜しに帰るまでもなくインターネットを利用して無料で読むことができます。[例えば、青空文庫或いは幸田露伴五重塔をキーワードとしてGoogle検索]

主要な登場人物は、徳の高い高僧『朗圓上人』と皆からのつそりと渾名される大工の『十兵衛』、そして棟梁の『源太親方』の3人です。

小説の冒頭、朗圓上人を紹介している部分を読んでみましょう。

法諱(おんな)を聞けば其頃の三歳児も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗圓上人とて、早くより身延の山に螢雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、毘婆舎那(ひばしゃな)の三行に寂静の慧剣を礪ぎ、四種の悉檀(しつだん)に済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚

この部分は仏教用語と幸田露伴独特の美文で分かりにくいようですが、葬式仏教的とはいえ、現代人にあっても縁浅からぬ仏教の根本原理が諸行無常・諸法無我・涅槃寂静(三法印)にあることは、皆さんがそれとなくご存知だろうと思います。その上で念のために筆者なりの脚注を付けておきます。

[注] 諸行無常・諸法無我の部分は、宇宙の真理(最先端の現代自然科学とも矛盾しない)について、また涅槃寂静とは煩悩の火を吹き消して悟りの世界に入ることの仏教的表 現です。なお本文中の毘婆舎那とは正しい直観、三行は身・口・意のこと、悉檀は宗派の教え、済度は迷える衆生を導いて救い出すことです。

要するに朗圓上人は、悟りを開いた徳の高い僧侶で人々の救済にも熱心な素晴らしい人格者であるということです。対するに十兵衛は、今日の格差社会で言うならば下流に属するものの物欲の少ない能ある現場職人として表現されます。また源太親方は、今日で言えば中堅建設会社社長で上流の部類の人物です。

十兵衛については、女房のお浪のぼやきで紹介されます。

嗚呼(ああ)考へ込めば裁縫も厭気になつて来る、せめて腕の半分も吾夫の気心が働いて呉れたならば斯も貧乏は為まいに、技倆はあっても宝の持ち腐れの俗諺(たとへ)の通り、何日其手腕の顕れて万人の眼に止まると云ふことの目的(あて)もない、たたき大工穴鑿り大工、のつそりといふ忌々しい渾名さへ負せられ同業中にも軽しめらるる歯痒さ恨めしさ、蔭でやきもきと妾(わたし)が思ふには似ず平気なが憎らしい程なりしが、今度はまた何した事か感応寺に五重塔の建つといふ事聞くや否や、急にむらむらと其仕事を是非為る気になって、恩のある親方様が望まるるをも関はず胴慾に、此様な身代の身に引き受けうとは、些(ちと)えら過ぎると連添ふ妾でさへ思ふものを、他人は何んと噂さするであろう、ましてや親方様は定めし憎いのつそりめと怒つてござろう、お吉様(源太親方の女房)は猶ほ更ら義理知らずの奴めと恨んでござろう

そもそも感応寺では、朗圓上人のお声掛けで寺増築の寄付を募集したところ上人の徳を慕う人々から多大な寄付が集まったので、その余剰金を活用して五重塔建立の可能性の見積もりを寺出入りの棟梁である源太親方に依頼したのが事の発端になっています。

此れを聞き込んだ十兵衛が一念発起、一生に一度の大仕事と何日も寝ずに自らの手で、五重塔の五十分の一の見事な雛形(スケールモデル)をこしらえて、身の程もわきまえず朗圓上人に直訴に及んだところから本格的に小説は展開を見せます。

十兵衛の純真さ、真剣さ、美しい見事な五重塔の五十分の一スケールモデルに見る十兵衛の腕の確かさは、上人の御めがねに叶いました。しかし、源太親方もやる気十分ですし能力もあります。このままどちらかを五重塔建立の棟梁に決定すれば、一方に恨みが残ります。それでは美しい五重塔はできないと上人は考えました。

朗圓上人は二人に対し、相手のために譲る気持ちを持つ美しい心で協力し事に当たれば必ず報われる、といった趣旨の法話を聞かせた上で、二人してよく話し合うように命じました。そこから十兵衛の心の葛藤や、子分どもをも巻き込んだ源太親方の苦悩など、幸田露伴ならではの味のある筋書きが展開していきます。

最終的に十兵衛は、自己犠牲の精神を発揮して仕事を下りる決心をします。一方、源太親方も十兵衛を棟梁として認め自らはサポート役まわる決意にたどり着きます。その後、源太親方の子分の心無い傷害事件なども発生しますが、十兵衛は棟梁としての能力を十分に発揮、黒子に廻った源太親方の協力を得て立派な五重塔が完成します。

しかし落慶法要を前にして大嵐の試練がおとずれます。寺の関係者が気をもむ中、自分の仕事に絶対の自信を持ち万が一の場合には、死んで責任を取るつもりの十兵衛。江戸で一二を競う大寺が倒壊するなど大被害を残した台風が去った後の五重塔は全くの無傷でした。

小説の最終のくだりを読んでみましょう。

暴風雨のために準備狂ひし落成式もいよいよ済みし日、上人わざわざ源太を召し玉ひて十兵衛と共に塔に上られ、心あつて雛僧(こぞう)に持たせられし御筆に墨汁したたか含ませ、我此塔に銘じて得させむ、十兵衛も見よ源太も見よと宣(のたま)ひつつ、江都の住人十兵衛之を造り川越源太郎之を成す、年月日とぞ筆太に記し了られ、満面に笑を湛へて振り顧り玉へば、両人ともに言葉なくただただ平伏ふして拝謝みけるが、それより宝塔長へに天に聳えて、西より瞻れば飛檐(ひえん)或時素月を吐き、東より望めば勾欄夕に紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、譚は活きて遣りける
[明治二十四年十一月〜二十五年三月・四月「国会」] [明治二十四年は1891年]

幸田露伴は、「紅・露・逍・鴎時代」などと呼ばれ尾崎紅葉、坪内逍遥、森鴎外らと同時代に明治文壇で活躍しました。英文学者の夏目漱石とは誕生年が同じ1867年(慶応3年)ですが、1947年まで長生きして第1回文化勲章も受章(1937年=昭和12年)しています。

露伴の問題意識が『五重塔』を書かせた時代は、明治の資本主義が立ち上がる時代にあたり、日本の社会に格差が広がった不安な時代であったことでは、今日の社会の問題意識にも共通する部分があると筆者は考えているのです。年表から当時の世相と現代の世相に共通する話題を幾つか拾ってみたいと思います。

明治16(1883)年:道具市がたびたび立ち、骨董品の値が高騰。女子の風俗目にあまる。 明治17年:日本独自の文様を織り出した日本製レース製品がロンドンで大人気を博す。鹿鳴館で大規模な舞踏会が開催されるようになる。デフレが進み農民が借金苦から連帯へ。鹿鳴館などに出入りする日本人紳士淑女に対する外国人の批評がいろいろ発表される。例えば、日本人民は善良で誠意があって快活で、ちょうど児童のような性質がある。新規の物事を見れば何でも争って之を好むが、その理が半分も分からぬうちにもう捨ててしまう・・・・。

明治18年:汽船の競争激化、日本郵船会社誕生、年末に太政官制が廃止され内閣制度発足。明治19年:教科書検定制公布、婦人の品位を高めることを目的とする東京婦人矯風 会誕生。明治20年:官吏服務規律の強化、「徳育教育」論争起きる。明治21年:労働争議各地で頻発、「帝國」を冠した会社名が激増、磐梯山の噴火で死者444名を記録する(7月)。明治22年:大日本帝国憲法発布(ドイツから医学教育のため招かれていたベルツが全国民を挙げての慶祝騒ぎに対して、殆どの人が憲法の内容を全く知らずにうかれていると皮肉った)。明治23(1890)年:投機の思惑から前年末に米高騰があって各地で米騒動が起きた。教育勅語発布、民法と商法制定。「法界節」「やっつけろ節」などの流行歌がはやった

一国の文化は慣性が非常に大きい、と筆者は感じました。

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2006/12/18 00:00:00


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