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より美しい自己実現の構図

筆者は、日本がより美しい国を目指すのであれば、このレポートの冒頭でもお話したように国民ひとり一人が『より美しく生きようと欲求する』ことが何よりも重要であると考えています。なぜならば、美しい国家権力などというものは論理的にも、歴史的に見てもないと思っているからです。

『より美しく生きようと欲求する』を別の表現で言い直せば、『より美しい自己実現』を目指す、ということになります。それは具体的にどういうイメージなのかを図1 より美しい自己実現の構図に示しました。

読者の中にはこの図は以前、筆者が「より良い自己実現の構図」として示したものと全く同じではないか?との疑問をもたれた方も居られるかと思います。

それはその通りです。自著『デジタル革命とメディアのプロ』(社団法人日本印刷技術協会、2000.6)の第1章で全く同じパターンをお示しして、「より良い自己実現の構図」として詳しくご説明申し上ました。

それが今回はなぜ「より良い」が「より美しい」に変更されたのか?といった皆さんの疑問は当然であると思います。しかし全体の文脈からして、この場合は「より良い」と「より美しい」とは全くの同義語であるとお考え頂きたいと思います。

そもそも、自己実現とは何でしょうか? Wikipediaの『自己実現理論』をご参照下さい。アメリカの心理学者であった、アブラハム・マズロー(1908-1970)の考え方の説明が出ています。英語のWikipediaでは[Self-actualization][Abraham Maslow]で検索してみてください。数多くの関連事項と多くの外部リンク情報が得られます。

ちなみに、Google検索でSelf-actualizationの件数は約120万件、自己実現では約790万件データが得られます。Google自体の検索特性上いずれも直接データが読み出せるのは約800件です。これを見ても、自己実現というキーワードは世界でしっかりと定着しているようです。

マズローの自己実現欲求の定義は、「自分の能力・可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求」としています。そしてマズローの場合は、この欲求を最高の人間的欲求と位置づけて、より素朴な4段階の欲求、すなわち上から自我(自尊)の欲求、親和(所属愛)の欲求、安全の欲求、生理的欲求のピラミッド構造を提案したのです。これがマズローの人間欲求の5段階説と呼ばれているものです。

アイルランド生まれの哲学者で評論家、ロンドンのビジネススクールの創設者の一人で世界の思想家50人2005でも高位にランクされたチャールズ・ハンディ(Charles Handy)が、自著[THE HUNGRY SPIRIT〜Beyond Capitalism-A Quest for Purpose in Modern World(1997)]の中で次のようなことを言っていました。

「あるべき社会」とは、「信頼というものが成り立つ社会でなければならない」。もしも、疑いに満ち、自己主張と利己主義にもとづいた競争が行われれば社会は収拾がつかず、「悪しき資本主義」におちいる。個人は、利己と利他と参加と責任感がバランスよく調和した「適正な自己中心性」を持った存在になるべきである

「適正な自己中心性」『より美しい自己実現』とは何か? 図1の説明に戻りましょう。 正三角形構図の中心に『自己』を配置して、自分自身の望ましい能力発揮の方向を外側に向かって示してあります。そして、それを三つのキーワードとして、『エンジョイ』『創造』そして『調和』を正三角形の頂点に配置しました。

現代人は誰でもが自分の人生を『エンジョイ(Enjoy)』=「享受する」ことを願っているのではないでしょうか。

ところで『エンジョイ』とは何ですか? 筆者の理解では、『エンジョイ』とは自分自身および環境などの現実的な枠の中での「自己能力の十分な発揮」を言うのだ、と思っています。図1ではそのことを『自己』と『エンジョイ』を結ぶ中間に配置した円内に表示しました。

これらのことは、スポーツにおけるエンジョイを想像すればよく分かると思います。自分自身を鍛えスポーツ競技で優勝を目指す。よしんば競技の結果はどうあれ自己の能力が発揮できたとすれば、十分な満足感が得られるのではないでしょうか。

『エンジョイ』に関連してその他に重要なことが二つあります。その第一は、自分自身に対する「思いやり」の心、すなわち「自尊」の心が大切だということです。自己を否定する心では、真に人生を享受することはできません。自らを愛し、長所は伸ばし、欠点は克服するように自ら努力しなければなりません。

そのためには、かたくなな思い込みではなく、柔軟な発想、自らの心を無にして柔らかい心を保つ必要があります。難しく考えずにあるときは、気分転換が必要なこともあるでしょう。

『創造』とは、今までにない新たなものごとを造り出すことです。そして、生命自体が『創造的進化(1907))』であると力説したのは、フランスの哲学者ベルクソンです。彼 は、

生命とは因果的、目的的な活動ではなく、たゆまざる創造的活動で持続し、飛躍し、進化する存在

としました。

筆者は、あなた自身がこの世に生まれてきたこと自体が一つの創造であり、あなた自身にはあなた固有の創造力が備わっている、と考えているのです。その自らの創造力を発揮するためには、あなた自身で「変化を乗り越える」ことが必要です。

そのために必要なことは、あなた自身で「物事の本質を見抜く」ことが必要であり、そのためには固定観念にとらわれない「柔軟な発想」が不可欠なことはいうまでもありません。

しかし、自己中心の『エンジョイ』と『創造』は、時としてはた迷惑で他者の機能を損なうことに十分な留意が必要です。例えば、公道におけるオートバイや自動車の暴走行為は、暴走族メンバーにとっては創造とエンジョイかもしれませんが、社会のルールを無視した醜い創造とエンジョイである、と考えます。従って、『より美しい自己実現』のためには、『調和』が重要なキーファクターとなります。

『調和』とは、自然環境や他者を含む「全てのものの機能発揮」が実現した状態を指しています。このことは、オーケストラ演奏における調和(ハーモニー)を考えてみれば容易に理解できると思います。

オーケストラ団員の中で誰か一人でも自己中心的な演奏をすれば、見事なハーモニーを実現して聴衆に感動を与えることはできないでしょう。団員ひとり一人が他者を「思いやり」、作曲者や指揮者の意図を見抜く(「物事の本質を見抜く」)ことで調和ある創造を実現してこそ聴衆に大きい感動を与えると共に、指揮者や団員自身にとっても大いにエンジョイとなるのではないでしょうか。

『より美しい自己実現』に関するこのようなキーファクターの内、『エンジョイ』と『創造』については、洋の東西を問わず万国共通ではないか、と筆者は考えています。しかし『調和』については、日本文化最高の価値観であると確信(理由は後で説明)しますが、文化や国民よっては『真理』や『法』、『善』や『徳』あるいは『愛』や『神』であるかもしれません。

高度情報化とグローバル化が急速に進行する21世紀にあっては、「異文化コミュニケーション」すなわち日本文化とそれ以外の文化との調和が重要な課題になってきているのは明らかです。

別の言い方をすると、異文化コミュニケーション環境の中で私たち一人一人が『より美しい自己実現』を指向する自覚が必要ということです。そのためには、新時代にふさわしい『和魂洋才』を再構築することが不可欠である、と筆者は考えています。

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2006/12/18 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会