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アナログなカラーの限界を突き破るデジタルカラー

日本語で「見る」という言葉は英語ではいくつもある。代表的なのは look see watch の3つだが、他にも関連した言葉は gaze glance とか、また scan などなど「見る」ことの意味は細分化されている。lookは対象物が見える、眺める、またfor とか after がついて探すなど、眼で追うという意味が多い。see は見つけるとか分かるなど理解に関する意味が多い。watch は見張るとか警戒するなど注意を喚起する意味が多い。英語の話は本論ではないが、以上のことからも、人が「見る」のは何のためであるのかというのが浮かんでくる。

カメラやディスプレイなどの画像機器と、人の見る機能を比較することもあるが、人が「見る」のは、ある意識に基づいての「動作」という動的な「行為」であり、フィルムやプリントなど静止画を得て終わりというのとは根本的に異なる。眼の構造をみても眼球はじっとはしていないで、動きながら情報を得る仕組みになっている。また入ってくる光に対しても瞳孔が反応したり、視細胞そのものの感度が上下する仕組みがあり、こういったことは人の眼が静止画を得るためにあるのではなく、視野から情報を得るために精一杯動作していることをあらわしている。

いくらデジタルカメラが進んでも、そのワンショットだけでは、人が目で見たのと同じにならないだろうと思われるのは、眼が動的で時系列に処理し続ける中で、脳も理解ができるまで一定の時間をかけながら眼をコントロールして、脳に情報が伝わって、始めて「見た」気がするというプロセスだからである。印刷で本刷りと校正刷りがあっているかどうかというのも、実は脳はそれらの差を見つけようというつもりで、画像を並べて gaze したり watch して比較している。プロは比較作業の訓練の賜物として脳が鍛えられているから差がわかるわけで、訓練をしない人にとって視細胞の機能だけでは差はわからないことが多いだろうと思う。

CIEはいい加減な定義であると一般にいわれるが、それが汎用に使える理由は、人の目は測定器ではなく、一瞬色味の違いを感じてもすぐさま順応してしまうからである。色順応とは「意味がないな」と感じる程度の色差情報を捨てることを、感度の動的な調整によって自動で行うメカニズムである。蛍光灯下でも白熱灯下でも同じような色に見えてしまう仕組みがあるところが、眼と「素」の色センサーとの違いである。本刷りと校正刷りの話に戻ると、一般人の体が「意味がない」としているようなことを、あえて問題視できるのがプロともいえる。プロに必要な眼の訓練の仕方がそれぞれの世界ごとにあるのだろう。

以上のことは、静止画の世界が壁に突き当たってこれ以上の進歩がありえないという絶望的な意味にとってもらっては困る。逆に今までも静止画とりわけカラーフィルムなどの限界に対して、あとで何とかレタッチしてそれらしく画像を加工していたことが、妥当なことであったと考えていただきたい。限界があるのはレタッチする人間の方ではなくて、カラーフィルムやデバイスの方なのである。その証拠にCGによって人の感性でテクスチャをコントロールした方が本物らしいものが出来上がる例がある。

むしろこれからの静止画の世界はデジタルで非常にフレキシブルになったので、上記のような眼の働きをベースにして、またヒントにして、よく見えるためのアルゴリズムとか、画像デバイスとか、画像再現技能などが開発されていくだろう。2007年2月7日から始まるPAGE2007では、「21世紀のカラフルメディア」をテーマに色や画像の新しいチャレンジをいろいろ紹介することで、今後のグラフィックアーツの進展を予感してもらおうと企画しています。ご期待ください。

PAGE2007関連セッション:
A0 21世紀のメディア環境はこうなる
A1 脱三原色 分光的色再現技術の可能性
A2 CGが変える写真の世界
D4 広色域印刷によって広がるビジネス

関連セミナー : 2007年1月24日(水)肌色シンポジウム

2006/12/21 00:00:00


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