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概念からリアリズムへ


「色」という記号

フィルムやビデオの磁気テープといったアナログ媒体では、色に関する記録自身に大きな問題があったので扱う媒体の異なる写真の世界、印刷の世界、放送の世界、それぞれに色の文化があった。
ところが、画像センサーがCCDやCMOSになって、入ってくる色データに関して言えば、今は業界などには分け隔てがない。デバイスごとにいろいろなプロファイルはあるが、基本的には同じ原理になった。

音なら「私は絶対音感があるので周波数が正確にわかる」という人もいるかもしれないが、色は人間が絶対値を捉えるというような傾向にはない。かなり相対的なものである。人間にはいろいろな順応があるが、音は絶対値と比較するので、音痴だということはすぐわかる。しかし、色はそういうものとは違い、人の解説や判断の入り込む要素が多い。

色の問題のアプローチをするとき、そのことを考えると、色は脳の中で、ある言葉に置き換えられている。順応によって、うまくその状況で当てはまる言葉に置き換えているという要素がある。
したがって、色というのは、結局頭の中では記号である。記号としての色を扱っている。それは環境とか時代とか、いろいろな条件で変わってくるが、例えば夢は結婚式という文化的な背景で「花嫁は白い」といったものがある。

メディアで異なる色文化

記憶色とかプリーズカラーとか、そういう記号化したものがたくさん扱われているが、これがメディアの業界に行くと、印刷は印刷、写真は写真、放送は放送と、それぞれの分野にある。これはもともとはアナログベースの制約とか、作業上のいろいろな要件があったためである。例えば印刷は、まずフィルムに撮って、それを後でレタッチするが、テレビはレタッチしない。撮影するその場において、レタッチに相当する、あるいはガンマの変換に相当することはライティングで行うなど、いろいろある。このように、各メディアの作り方の違いによってそれぞれの留意点が蓄積されてきたと言える。

印刷では「人の肌は湯上がりピンクがいい」ことになっているが、一概には言えない。最近は高齢化なので、女性モデルといっても60歳、70歳のモデルもいる。それが湯上がりピンクでは変ではないか。高齢者には高齢者の健康な色があるだろう。男性と女性でも違うし、高齢者でもたくましさを出したいとか、いろいろな演出がある。

色再現の次のステージ

単にデフォルトの湯上がりピンクを覚えていればいいのではなく、それを応用するためには、どういう条件ならどういう表現をしていくのかということを考えなければいけない。これは別に印刷だけではない。放送であろうと、ビデオであろうと、そういうことになる。色再現の次はそういう領域に行く必要があるのではないか。

今日、色を合わせるためには、色彩計で測る。その3刺激値が合っていればそれでOKなら単純である。人の肌は何が何%と決めていいのだろうか。色の測り方そのものの問題はないのだろうか。色彩計のような計測器そのものも、本当に今のままでいいのかということもあるだろう。

例えばマネキン人形を作る人は、「これが理想の肌色だ」ということで作っていると思う。しかし、マネキン人形に惚れる人はいないだろう。肌の見え方というのはまた別にあって、それを演出しないと、そういうふうには見えない。肌の色の値ではなく、見え方まで持っていかなければいけないだろう。これは大きなテーマなので、今日の話というよりも、今後そういう見え方のモデルというものも含めて、大きな目的を持って継続的に勉強会をやっていきたい。

テキスト&グラフィックス研究会 会報 Text&Graphics 2007年1月号より抜粋

2007/03/30 00:00:00


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