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もどかしいPDFへの移行

デジタル化したプリプレスで生じるさまざまな問題に対して、PDFが解決になりそうに思えてPDFワークフローが一つの合言葉のようになったが、もうひとつ踏ん切りがつかない状態が続いている。ここを頑張ればという突破点が明確にならないので、PDF議論は不完全燃焼になり、理想と現実のギャップというか、利用者側にはネガティブなトーンが漂っている。

これはPDFの仕様上の問題ではなく、プリプレスの利用者が求めている安全な最終出力のソリューションに応えるには、アプリケーションもRIPもフォントも、さまざまな要素が複合している問題の解決が必要で、それは困難に思えるからである。Adobe、出力機メーカー、アプリメーカー、利用者自身それぞれ、PDFに関する思惑はまだ異なっている。この差がハイエンドのワークフローにおけるPDFの前進を拒んでいると思える。

例えばPDFへのフォント埋めこみ派のユーザは完全PDFオンリー対応のRIPがあってもイイじゃないかという人もいるのに、Adobeの問題として日本語RIPのPDF対応の遅れがある。各OEMのRIPの検証も遅れていて、AdobeはPDFワークフローを牽引する気はあるのかとか、日本版の時差(年差といってもよい)を何とかして欲しいという声が多い。

AdobeにとってはPDFのフォントエンベッドは、互換RIPのハーレクインつぶしに有効ではあったのだろうが、PDFを支持していても出力機の都合でハーレクインRIPのユーザである利用者は多くいる。そのユーザに出力機まで買い替えろというのは酷で、何らかの救済技術をAdobeは提供すべきなのではないだろうか。

出力機メーカーの問題は、石塚氏がてんぷらPDFと呼ぶように、CEPSメーカーのものは中身がCEPS時代のデータフォーマットをPDFで包んだだけで、本来PDFとして扱いたいことができないものがPDFワークフローの冠をつけているものがある。AdobeはExtremeでは共通の最少機能しか入れず、別に独自の工夫が入れられるようにして、プリプレスベンダの面目を保てるように考えたが、どうもプリプレス機器の利益性を悪くしたAdobeへの抵抗感が感じられる。

一時ハーレクインRIPでもモリサワの基本フォントが相当使える環境ができて、RIPとフォントの関係も緩やかになるかと思えたが、やはりRIPを買いかえるとフォントも買いなおしである。結局出力システムは部分的な変更は不可能で、PDF対応の移行のためには殆ど入れ替えになって、コストも時間もかかり、このようにさまざまなしわよせがユーザ側にかかるのでPDF化のメリットを感じ難い。

かつてAdobeは技術仕様に関する優位性を背景に、その仕様のデータの生成/変更をするアプリケーションでも市場でリーダーシップを発揮したのが、IllustratorやPhotoshopの時代であった。ところがページレイアウトではリーダーシップがとれないので、PDFを完成ページの標準にはできなかった。逆にPDFの魅力によってInDesignに人を惹きつけようとしている。しかしいろいろなプリプレスのベンダが一致してInDesignを担ぐような戦略は見えず、それが今日のPDFをめぐる不協和音の一因のようだ。

(テキスト&グラフィックス研究会会報 通巻134号より)

2000/05/27 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会