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デジタル革命 : カオスの中から志を立てよ

社団法人日本印刷技術協会 副会長 和久井 孝太郎

今、私たちは時代の奔流に足を取られ自分を見失っている。景気回復が最優先、反省ぬきで泡沫経済の後始末、膨大な不良資産の清算と金融改革、企業競争力・収益力強化のため何でもアウトソーシング(out-sourcing:業務外部委託)、余剰設備・人員の整理、事業再編と新規有望事業の立ち上げ、産業構造改革、公共投資の大判振舞。

 だが、成長するものと、消え行くもの、以前のように全体としての高度成長など望むべくもなく、急激にふくらむ財政赤字対策どうする? 雇用対策どうする? 自由化・国内農業対策どうする? 為替急変対策どうする? 環境・資源・エネルギー対策どうする? 高齢化・少子化対策どうする? ところで、米国株価が大暴落したらどうなるの? 安全保障や防衛問題、政治や行政改革、教育改革・・・・・・は、大丈夫?

 不祥事の続発、・・・・・・。世界に例を見ない無階層社会の日本には、'高い身分に伴う義務(noblesse oblige)'に匹敵するような'けじめ'は無いのか? これでは、わが国の憲法前文に謳う「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」など 空念仏でしかないし、国民は幸福にはなれない。

 「あーあ、政治家や行政は何やってんの?」「日本人全体では世界の金持ちなのに何でなの?」「大船に乗って、皆で一所懸命やれば良かった昔が懐かしい!」「私、良い時代を知らない。不安な時代は、今を楽しめば良いのと違う?」「魂を磨く作業はアウトソーシングできない!」 日本の現状は「混沌(カオス:chaos)」以外のなにものでもない。

 その最大の原因は個々人の『自立』の不十分さにある。国民は互いにもたれ合ったまま、『デジタル革命』の奔流の中で右往左往している。民主主義の体制になって50年、単一民族で伝統・文化の慣性が大きい日本社会は、今なお個人の自立と自律(以下『自立』)が不十分である。私たちは、この間ことあるごとに個人の『自立』の重要性を口にしてきたが、言葉だけで実行が伴わなかった。

 だが悲観することはない。最新のカオス理論では、進化は秩序と混沌との境界で起きる。間違っても、『デジタル革命』の中で古い秩序に戻ろうなどと思わないことが重要だ。私たち一人一人が「志」を立てて、「より良い自己実現」を目指す中で『自立』が実行できれば、'日本人は、もっと美しく、もっと強くなれるはずだ'、と筆者は考えている。

 『デジタル革命』は、デジタルIT(Information Technology:情報技術)産業革命であると同時に、メディア革命でもある。そして重要なことは、私たち自身がIT関連の「ものごと」を消費することで、自覚するしないにかかわらず、『デジタル革命』の推進者に連なっている事実である。本質的にはメディアの進展によって、自己の諸能力を拡張可能できる。『デジタル革命』を社会の進化に結びつけるためには、個々人の『自立』が不可欠で、その中核に『メディアからの自立』がある。

 私たちの不安の本質は、科学・技術の進歩を原動力として、通信・交通(広義のメディア)と各種産業が発達巨大化・地球規模化(グローバル化)し、経済の相互依存が強化され、世界の高度情報化と先進諸国の資源・エネルギーの過剰な消費体質が進展する中で、世界人口が今世紀初めの約15億人から、その4倍の60億人に膨張、見かけ上の地球が経済規模の拡大とは逆に急速に収縮して、人類が種の存続に直感的な不安を覚えているからではないのか。

 いずれにしても、極めて重要なことは、私たちの世界観や人生観、価値観の形成と行動様式が、書籍や新聞・雑誌、放送やインターネット、幼児教育や学校教育、そしてマネーなど各種のメディアがもたらす情報に支配されているという事実認識である。

 一方、『デジタル革命』によってメディアの多様化・高度化が進展、様々なメディアを通し多様な価値観に基づく多様な情報が氾濫、メディア総合では混沌が深まる。従って、現在のように言葉の流行化を進め、私たちがメディアの生情報を鵜呑にして右往左往するようでは、日本人は美しくも強くもなれない。これからのデジタル時代、私たち一人一人が自らの責任で、言葉やメディアを選択し、情報の評価と活用、情報の発信能力を高めなければならない。これを「メディアリテラシー(media literacy)向上」と呼ぶが、これまでのような後知恵としてのメディアリテラシーだけでは不十分で、先知恵としてのメディアリテラシー向上が必要である。

 『デジタル革命』によって、時代の変化はどんどん速度を増してきている。あたかも一般道路から高速道路へ進入した自動車に似ている。自動車の速度を上げれば、運転者は前後左右に気を配ると共に、できるだけ遠くまでを見通さなければ安全運転できない。私たちは、目先の課題を追かけるだけでなく、21世紀のできるだけ遠くまでを想像する必要がある。この想像は、「みずみずしい直感力」に基づいて個々人が自己の責任で行うべきものである。権力の予言や予測をあてにしてはならない。

 日本及び日本人の失敗の本質は、社会に責任を持つべきリーダーや知識人たちの多くが包括的に未来を想像してこなかったことにある。なぜならば私たちの文化は、「来年のことを言うと鬼が笑う」であるからだ。

 メディアのプロは、率先して「21世紀を想像する」課題に挑戦しなければならない。しかしこの作業を、最初から集団で実行することは本質的に困難である。なぜならば、この課題で全員一致など望めないし、多数決で決めるものでもない。困難であっても、私たち自身が努力することで、メディアリテラシーの先知恵が得られ、21世紀に向かう自らの「志」を固めることもできるのである。

参考書籍:『デジタル革命とメディアのプロ 〜カオスの中から志を立てよ〜』(2000.7,JAGAT発行)

2000/07/05 00:00:00


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