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DTPの大波が去ったあと

nexpo2000報告 その3

ライノトロニック100という小さなレーザ写植出力機の側に、そっとPostScriptRIPが置かれていたのが15年前のアメリカの新聞制作展の重大事であって、これ時をもってDTPの出現とすると後からいわれた。これ以前にもパソコンで版下を作ってレーザプリンタで出力するものはあったが、DTPという名はなかった。DTPとは、出力がレーザプリンタであっても感光材料出力であっても、それは問わないデータで完成する世界の出現であった。

あれから15年、新聞制作展のあちらにもこちらにもDTPが溢れるように展示された時代もあったが、今年はQuarkが四畳半程度の小間に申し訳程度に3台ほどパソコンを置いて、数人規模で展示をしたことに象徴されるように、DTPをわざわざ展示しても、それをわざわざ見に来る人もいないほど、DTPは当たり前のものとなってしまった。新規の話題はAdobeのInDesignだけであるが、それもインテグレータはまだ格闘中で、びっくりするような結果は出てはいない。

あのDTPの熱気は消えてしまったのだろうか? DTPはアメリカの西海岸のベンチャー企業が、GUI/WISIWYG、PDL/アウトラインフォント、シュリンクラップのアプリケーションソフトという、基礎となる各要素を開発して始まったものの、それらのベンチャー企業の多くはDTPの伸びが止まるとともに、オンライン/ECに転身していき、DTPの仕上げはOEM先のプリプレスベンダーに任せるとか、編集のシステムもそれぞれ別分野の人に任せて、AdobeでさえもWEB向けの仕事でビジネス拡大しようとしている。

これはフロンティアを追い求めるアメリカ的な発想で、別に悪くはないが、利用者としては制作と編集との結合などさらなる統合環境を築いて、ビジネスの有効性を高めるという仕上げ段階の仕事が残っている。かつて日本の大新聞社のシステムの一切合切をホストコンピュータの会社が請け負ったように、アメリカも大規模インテグレータの出番が巡ってきた。そこでアイディア中心のベンチャー企業に代わって、欧州豪州勢のアメリカ進出が目覚しくなってきた。

DTP以前も、もともと印刷システムは欧州主導であったので、ある面では元に戻ったような印象もなきにしもあらずだが、DTP以前のプリプレスの会社が活躍しているのではなく、新たな会社がアメリカの今までのベンチャーを買収するなり、うまくそのシステムと連携して、統合システムの仕上げをしている。いわゆるプリプレス分野はハードよりはソフトへの投資が上回るようになり、しかもDTPのようなパッケージよりも、カスタマイズに金をかけるようになった。この需要を汲み取っているところは開発の熱気が感じられる。

それで思い出すのが、1990年代前半でDTPにさよならしたジョナサンシーボルトのことである。氏はホストコンピュータの時代が終わるとともに、デスクトップの能力が専用機を駆逐すると予言して、GUI/WISIWYG、PDL/アウトラインフォント、シュリンクラップのアプリケーションソフトというDTPの要素技術が花開く様子を見守ってきた。1990年代に入ってDTP技術の革命は現実のものとなり、その勝利で起こったことは、利用者が抱えている問題はもう要素技術でくくれなくなったことで、利用者それぞれのビジネスのソリューションが最大の課題になったのである。

しかしSeybold会議は特定のビジネスモデルというバックグラウンドはなく、DTPの要素技術で結集していたので、Seybold氏は引退してしまい、Seybold会議のカラーも曖昧になりつつある。nexpoを主催するNAAは新聞という明確なモデルがあり、そのマーケッティングで成果を上げるという使命がある。近年はNAAのイニシアティブのプロジェクトがいくつもあって、しかもそれらは成果を上げているので、熱気が失われたのではないことはわかるが、その熱気に応えてくれるパートナーがアメリカの会社ではないという点で、面白い方向に進んでいる。

今までは各メディアとも自分の土俵にプラスアルファするようにデジタルメディアの能力を高めてきたが、これからは各メディアの能力拡張した部分が競合するようなことが起こり、メディアのプロ対プロの戦いになろうとしている。アメリカの新聞界はAPのAdSendのように新聞広告をPDFファイルで配信することが普及しているが、このようにEDIや電子送稿ができても、全国規模の広告を打つクライアントにとっては、何十もの地方紙に広告を出す場合に、個別にEDIをしなければならず、広告キャンペーンを運営する段階では、新聞広告というのはわずらわしものであった。そこで、各新聞社の広告のECを一箇所に集中したデータ処理センターを作って共同受注し、ここに参画した複数の新聞への広告出稿を一気に処理できるようにした。 こういった努力は功を奏して、ナショナル広告は17%(99/98比)も伸びていて、全国TVの広告が殆ど伸びていないのに比べては善戦しているといえる。

このような各プロジェクトの担当者がNEWSPAPERS2000で報告をしていた。これからの大きな問題のひとつにはチラシとインタネット上の広告のバランスがあり、アメリカの大スーパーであるKマートがチラシ中毒の現状とそれに対するソリューションとしてのEC化の戦略の話をしていた。まあ次々と課題はあるものではあるが、アメリカの中でも規模の大きい新聞社が欧州ベンダと組むなど、グローバルな連合で対処しようとしている点が新たな動きのように思えた。

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2000/07/01 00:00:00


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