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オンデマンドを契機にダンボールから印刷までサービス

従来の印刷業の枠にこだわらずに自社のビジネス基盤を確立していく企業が増えている。なかでもオンデマンドを生活者欲求として捉え,時代の要請として感じ取ることのできる企業が成功している。ユーザの要求に応えるべくして生まれたビジネスだからである。
今回は,異業種から新規参入し,短期間でオンデマンド印刷事業を立ち上げた藤沢紙工(株)の代表取締役社長荒川健氏と取締役荒川豊氏に,同事業に参入した経緯と今後の展望を伺った。

段ボール製作からE-Print導入へ

茅ヶ崎市の藤沢紙工は1971年11月,社名の由来にもなっている神奈川県藤沢市で創業された。現社長の荒川健氏がダンボール箱の製造販売を個人経営で始めたが,当初から「豊かな合理化」を推進し,ダンボール業界では全国トップレベルの生産効率を誇る自社工場を有するまでになる。順調に事業拡大を続けて,従業員数100名を超える企業に成長した。
生産性ではトップクラスの同社も,実際のところダンボールだけでは収益があまり出ない。低収益からの脱却を考え,チャンスがあれば異業種にも取り組みたいという思いがあった。1992年に寒川町に総合工場を建てた時に,生産稼働率を上げて,さらにダンボールを拡販するための武器が欲しいと考えた。つまりは何らかの付加価値をつけたいと思っていた。
そんなとき,荒川豊氏が東洋インキ製造(株)で版を作らない印刷機を扱うらしいという情報を得た。関心を示した背景にはダンボール・化粧箱などの印刷経費を節約したいという切実な問題があったからである。刷版代を顧客に請求するわけにもいかず,自社で負担していた。
一体どんな印刷機か見当もつかないまま,セミナーに同社の役員が出席して確認したが,実際に目にしたものはダンボール印刷機ではなく,一般商業印刷用の機械であった。それがE-Printとの出会いである。

プラスαとして何ができるか

その後東洋インキの熱心な営業努力が実を結ぶわけだが,導入するにしても何もわからない。Macintoshでデザインをしてダイレクトに印刷するといっても実感がつかめない。ダンボール印刷と違って,一般商業印刷物の場合,知識もなく素人にできるのだろうかと懸念もあった。しかし,オンデマンドという形態が自社のスタイルに向いていると判断し,挑戦する気になった。自社の営業力を信じ,売り抜くことは可能であると判断した。
新規事業として立ち上げるのに必要なものは場所,人,資金の3つであることがわかった。資金は経営陣の裁量で何とかする。ある程度の初期投資は覚悟して,最初はリース契約を結んだ。後の2つについては既存の経営資源を活用できないか検討した結果,社内の引越し移動で40坪くらいの場所は確保できた。余剰人員はなかったが,スリム化して内部から3名を専任として選んだ。デザインについては他社でMacintoshを使っていた美大出身の女性を受け入れ,計4名が揃った。
最初のころは外部の勉強会に出ながら実践を積んで独自に覚えていった。当時を振り返り荒川社長は「若い社員がダンボールによって肉体的にも精神的にも鍛えられた。うちの社員ならいける」と思っていたそうである。
1997年10月にオンデマンド印刷事業部という名で立ち上げ,初期マーケティングを完了した段階で,98年の夏ごろからF&(エフアンド)事業部として本格的に稼動し始めた。この名前は,「藤沢プラスα」という意味で,プラスαとして何ができるかというイメージをもたせた。ダンボールの片手間にやっているというイメージを払拭して,名前も変えて気持ちも新たにスタートした。

地域密着で顧客の拡大を図る

小ロット多品種,短納期,高品質というのは印刷業に限ったことではない。ダンボール製作において顧客に快適に利用してもらいたいという思いから,無理や無駄のない独自の包装設計思想が生まれた。包装資材や緩衝材のノウハウが蓄積され,さまざまなタイプの化粧箱を生産していった。顧客ニーズに合わせた努力の結果が多品種,高品質を生み,企業の成長に役立っている。同社はその発想を印刷に応用したといえるだろう。
ダンボール事業の顧客は約500社ある。オンデマンド印刷の具体的な市場開発は,既存顧客に対するアナウンスから始まった。印刷をやっていることで本業の仕事にも波及効果があった。
次にDMによる告知があり,一度利用したところから口コミで広がり新規顧客も随分増えた。今後はインターネットなどの活用も視野に入れて,認知度アップに努力したいという。
またデジタルといえども広域ではなく,地元に根ざした営業を考えていきたい。本社がある湘南地域は,デザイナーが多く在住している。わざわざ東京まで行って出力しなくても,地元に藤沢紙工があることを知ってもらいたい。地元に密着した企業として,近隣地域からの顧客層を広げたいとも考えている。

エフアンド事業部でベストサービスを

順調にきているエフアンド事業部だが,紙器関連・PP加工などの特殊なものを除いては社内の印刷物はほとんど自社でこなしている。昨年にはハイデルのQM-46DIを導入し,人も1人増やした。ますます本格的に印刷に力を入れていく方針である。
売り上げベースで見ても2年目に利益を出している。QM-46DIを導入したことで,昨年は収益がやや落ちたが,これも先行投資と考え,安定した利益を出すことを目標にしている。
今後はハードに依存するのではなく,ソフトワークの提供,つまり自社のカラーをどれだけ出せるかが課題になってくるだろう。そのためにはさまざまなクリエイティブワークの提供を目指していく。同社のポリシーは「NOといわない」ことである。顧客のビジネスを創造的にする,その仕組み作りをサポートすることを提案したい。「ベストサービス,ベストソリューション」を目指しているという。
「エフアンド事業にしてから変わったことは,社内が活性化したことと,お客さんの目が変わったことです」という。

新規事業へのあくなき挑戦

オンデマンドビジネスで着々と実績を上げている同社だが,1999年11月には新たな事業部を開設した。輸出入も含めて商社的事業をしているウィステックス事業部である。
具体的には,物作り,事作り,場作りの提供である。ジャンルを問わない広範なエリアでの商品開発やトータルプロデュースを提供する。アパレルの店舗開拓なども手がけ,半導体も扱っている。
ダンボール事業を根幹にして新たなことに挑戦して,いつも時代の一歩先を考えることを旨としたい。(上野寿)

『JAGAT info』2000年7月号より

2000/08/09 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会