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パラダイムシフトは非連続

塚田益男 プロフィール

2001/3/26

Print Ecology(印刷業の生態学) 6章までの掲載分のindex
7.カオスからの脱出
メタモルフォーシス(metamorphosis:変態)と環境

2.パラダイムシフトの特長

一つのパラダイムがどの位続くのかは分らない。少なくもパラダイムという以上、社会全体の中で一つの思想とそれから発生した制度や社会慣行というものが、社会や大衆の中に根を下していなくてはならない。一つのパラダイムとして認識されるようになるのには少なくとも5年以上かかるだろう。その後で、そのパラダイムが社会に定着し、肉をつけて立派な社会慣行になる。そうした一種の社会的価値観をもったパラダイムは本来永続するものだ。

徳川幕府の封建社会というパラダイムは300年も続いた。それを壊したのは開国を迫った欧米勢力と尊皇攘夷を唱えた下級武士の反乱であり、一種の革命だった。その後に誕生した明治政府そして天皇家を中心とした家族中心社会(Family Community)は明治憲法と教育勅語の下で一つのパラダイムを作り、家父長制、長男家督相続などの制度や社会慣行を作りながら、約78年も続いた。不幸なことに、そのパラダイムも昭和に入ると徐々に軍国主義、全体主義に犯され、昭和20年の日本敗戦と共に終了した。この二つのパラダイムの終焉は正しく流血を伴った革命だった。

その後に敗戦処理、朝鮮戦争と続き、新しいパラダイムが芽生えたのは昭和25年頃からだったろう。新しい社会発展と安定のエネルギーをどこに求めるべきか、混乱の中でみんなが苦しんだ。左翼共産主義思想、西欧個人主義思想、資本主義思想など混乱が続いたが、結局、社会が選んだものは、自由主義社会であり、その社会を運営する中心思想は、社会活動のコアとして企業体組織に責任を持たせる企業中心社会(Plant Community)だった。この思想は企業が栄えてはじめて効果があるものだから、昭和35年からの所得倍増計画、昭和40年代の国際競争力計画など高度経済成長に育てられて、どんどん強いパラダイムになった。勿論、40年代末から50年代にかけて石油ショックやその後の減速経済などがあったが、基本的には日本経済は右肩上りの成長を続けたので、企業中心思想は勤労者大衆にもそれなりの分配を行うことが出来た。そのため終身雇用、年功序列型賃金体系、企業内労組などの社会慣行も定着させることができ、社会の安定に大いに寄与したものだった。1980年代のなかばには米国にさえJapan as No.1と言わせるほどに日本経済は成長し、企業中心社会というパラダイムの優位性を世界に誇示したものだった。

この強いパラダイムにもご存知のように落し穴があった。経済成長の早さと土地資源のミスマッチを突いて、銀行を中心とする金融資本と不動産業界、建設業界が日本経済を投機経済社会に変えてしまった。その結果は土地神話を中心とした不動産バブル、株式バブルである。そのバブルが全面的にはじけたのは1991年であり、その時点で企業中心社会というパラダイムは終った。思えば1950年頃から1990年までの約40年間だったから、思ったより短かったが、大変に内容の濃い40年だったから何となく長く思えたものだ。

一つのパラダイムが終る前後は、物質の「ゆらぎ」や生物の変態の時と同じく、一種のカオスの状態になる。封建社会の終りの時や家族中心社会の終わりの時に見られたように沢山の貴重な命が失われるものだった。ところが今回の企業中心社会の終りには幸なことに血は流れなかった。勿論、銀行や株屋さんに口説かれてバブルに手を出し、自分の一生をダメにしてしまった気の毒な人は沢山いる。しかし日本経済は充分に成熟していたし、大部分のサラリーマンは投機には関係がなく、所得の減少もなかったので社会事件にはならなかった。

こうして企業中心というパラダイムは終ったのだが、実際は革命的社会変化にもかかわらず、次のパラダイムの姿が見えないのと、不良債権処理にたいする金融界と政治家の抵抗のため10年経過した今日でもパラダイムシフト、すなわちカオスからの脱出ができず、失われた日本社会を作ってしまった。しかし、10年もカオスの状態が続いていれば、世界の経済社会や技術変化は着実に進んでいるのだから、日本もそれに巻込まれるように徐々に変化をはじめた。その変化の大要については前述しているので、ここでは復習の意味で変化の筋書だけを述べるに止めよう。

I)非連続な変化 価値の崩壊

ここで述べたいことは各種のパラダイムの変化は非連続であるということだ。前述したように変化にも改善(improvement)と革新(innovation)、革命(revolution)と3種ある。パラダイムの変化は革命に近いもの、すなわち前のパラダイムとは全くつながりがない非連続なものだということである。その前提に立って各種の変化を見直して見よう。

T-1.労務思想(企業一家の終り)
企業中心社会の労務に関するパラダイムは前述したように次のような社会慣行を作ってきた。終身雇用、年功序列型賃金体系、企業内労働組合、標準化、画一的教育、金太郎アメ型社員、企業ロイアルティ(愛社心)、企業福祉制度・・・・・・。こうしたパラダイムは右肩上がりの経済と会社の寿命は不滅という前提があってのことだ。この前提条件がなくなれば、すべてのつながりは非連続に切れてしまう。昨今の大企業のM&Aや企業統合を見れば理解できるだろう。効率と生残りをかけて世界的規模で行われているし、三井、住友などという、かつては敵同志の会社でさえ合併している。もう会社の名前などどうでも良い。事業の継続の中で、株主と従業員をどれだけ守れるかという生残りの問題であって企業中心の思想などは「かけら」もない。それでは新しい社会の労務思想はどうなるのかということだが、それは新しい社会のパラダイムが少しも形を見せない中では何とも言えない。私なりの意見については後述することにしよう。

b)財務思想
私が何度も述べているように、企業経営の財務思想は間接金融から直接金融へという変化である。銀行貸出しによる長期資金調達から、増資、社債発行、利益留保という企業自身による直接的な資金調達に変わるということである。この変化は中小印刷業界の経営者にとっては全く予想もしなかった非連続な変化である。

勿論、銀行は貸出し業務によって業務益を生むのであるから、従来のような投機的な経営から真面目な経営に変るだろう。そうなれば銀行の数は多過ぎるということになるし、中小企業への貸渋りも改善されるだろう。しかし、その貸出し業務は優良手形の割引業務など短期資金が中心であること、利益管理ができている優良企業が対象であることの2点に絞られ、建物の取得資金や生産設備の購入資金など、長期資金については余程、返済計画が明瞭なものでなければ貸出しに応じないだろう。そして、資金調達の基本は、収益性のある事業計画を持っている事、日常的に利益管理の経営システムを運営していること、効率的な事業運営を行っており、社会的信用度が高いことである。その基本があってはじめて、増資計画や社債発行も可能になるのだが、現実の中小企業にとっては全く高根の花であり、手の届かない経営行為ということになる。

それでは中小印刷界はどうすべきかということになる。間接金融と直接金融のギャップを埋めるために、政府系の金融機関が貸出し条件を緩和したり、経営意志があるなら事業計画が少々甘くてもベンチャー企業として育成資金を出したりするだろう。しかし、そうした助成措置も所詮時間稼ぎの支援措置に過ぎず、経済社会の流れはあくまでも直接金融のできる企業経営ということになる。

そうした企業経営は「経営の構造改革」というものであり、現在の経済界では市場に公開している大企業でさえ問題だらけなのだから、中小印刷会社が容易に対応できないことは経営者自身が一番よく知っている。しかし、この非連続で革命的な経営思想の変化に対応できなければ、自社の社会的なニッチ、すなわち存在理由(レーゾンデートル)がなくなるのだから万難を排して努力しなくてはならない。これに対処するためには、企業内が資本と労働という対局の中でしか経営を考えられないような古い社会思想を捨てなければならない。新しい経営計画をオープン、クリエイティビティ(創造性)、スペシャリティ(専門性)という環境の中で創らなければならない。財務思想の非連続性は正に経営の構造改革を求めている。あと何年経ったら新しい印刷経営のパラダイムができるのだろうか。

C)技術思想
私が日本の中小印刷界に電子化を呼びかけたのは1993年のことだ。まだ8年前のことで、その頃にDTPという技術、CTP、DIという技術も世界中で発表になった。しかし、それらは全く普及されておらず、むしろ2000年までに消えてしまうのではという疑心暗鬼の中でしか見ていなかった。それが僅か8年後にはDTP(Desk Top Publishing)のDesk Top というコンピュータ思想が陳腐化し、Online またはNetwork Publishing に変ってしまった。一方、CTPとDIはComputer to Imaging という中で同義語になってしまったし、CTPは日本でも猛烈な勢いで普及をはじめた。まさにフィルムレスの技術思想が定着し、印刷技術の新しいパラダイムを形成しつつあるといって良いだろう。この思想は今後データプロセシングの技術となって、印刷技術が通信技術、情報技術(IT:Information Technology)と合体して行くことになる。

アナログ技術として長い間成長し、成熟化してきた印刷技術が、いよいよ非連続に変態し、まさにデジタルの技術が誕生しようとしている。最近、社会ではIT関連の中で放送と通信の合体が問題になっているが、印刷技術も通信やITと合体して行くことになる。どのような技術体系ができるのか、印刷マーケットがどう変わるのか、印刷経営がどうなるのか、全く全体像が見えてこない。

現在のCTPを中心としたデータ処理のOnline 技術思想さえマスターできない中小印刷業界が、その先のことまで考えられないのは当り前である。非連続な技術思想の変態を理解し、利用できるようになるまでに、まだ5年はかかるだろう。一方、新しい技術思想そのものも全体像を見せるのは、ブロードバンドのインフラが定着し、IT機器がユビキタス(遍く) に普及をはじめる頃だから同じく5年はかかるだろう。しかし印刷界がそれを待っていたら全く出遅れてしまい、印刷産業そのものの存在理由が危ぶまれる。印刷界がどのように変ったら良いのか、今からどのように努力したら良いのか知りたいところだが、米国のVision 21というレポートを読んでも、日印産連が作成したフロンティア21というレポートを読んでも、全く暗中模索で何も書いていない。

2001/03/26 00:00:00


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