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環境の激変に対応が追いつかない印刷業

塚田益男 プロフィール

2000/10/08

第1回 Print Ecology(印刷業の生態学)序論

第2回 印刷における個体企業の生態学 ニッチ戦略

3-2 環境の激変 パラダイム・シフト

ニッチ戦略とは環境変化適応戦略だと述べた。印刷業者がニッチ戦略へ向わない理由は何故なのだろう。一つには印刷界の環境変化について理解が足らないのではないかということ。日本の経済社会は私の著書「印刷界のビッグバン」で述べているように、社会構造が不可逆的なパラダイム・シフトを起しているのであって、現在の経済不況が終って再び好況の時代がくれば、少々の技術変化が定着するだけで、経営問題はすべて元通り円満解決するというものではない。現在の印刷業者は今日の経営困難を日本の政治家が悪い、銀行が悪い、経済社会が悪いと他人の責任にするばかりで良いのだろうか。先づ経済社会構造は不可逆な変化をしているということを認識すべきだろう。

もう一つは環境変化については理解しているが、適応策が間違っている場合か対応力がない場合である。先づ戦略の間違いから始めよう。最近A3版やA2版の枚葉4色機が売れるようになったという。印刷界の現状は極端に小ロット、短納期、高品質その上低料金を求めている。小型枚葉4色機だけでなくオフ輪印刷業者も最近のAPC(刷版自動装着)付きのオフ輪を導入している。サバイバル時代に生残るための最低線の選択かも知れない。しかし、その投資戦略は資金負担からいって経営の足を引っ張ることになるだろう。現在の印刷料金は、100%操業しても赤字になるという、破壊的な競争価格だから、余程、会社のニッチが明確で、料金水準を維持できている場合なら良いが、普通の印刷会社ではその投資が逆に足を引っ張ることになる。

対応力がない場合も多くなってきた。売上規模がどんどん小さくなっていくのだから、会社の経営規模もそれに応じて小さくしなくてはならない。しかし、世にいうリストラクチャほど難しいものはない。現在の印刷界では売上高が減少しているが、印刷用紙や平版インキの出荷量はむしろ少しでも増加しているのだ。勿論、増加しているのはチラシとマニュアルだけで、中小企業の場合は受注量も減少しているだろう。

それにしても受注価格の下落の方が生産量の落ちこみよりもはるかに大きいから経営規模の縮小といっても人減らしは容易ではない。土台、中小企業でははじめから余剰人員が多いわけではないから、経営規模の縮小はいつも対策としては遅れ放しだ。また人減らしをしても生産量を落したくないとなれば、印刷設備の大幅なスクラップ&ビルドを行ない、生産性の悪い設備を3〜4台も廃棄し、その代わりに合理化機を導入するとういうことになる。実際にはそうした資金手当ても出来ないし、勇気も出ないものだ。
人減らしを意図的に行おうとすれば、割増し退職金の手当てもしなくてはならないが、銀行がそうした後向きの資金を出してくれるわけもない。

a)パラダイムシフト(paradigm shift)

パラダイムという言葉も最近よく使われるのだが、意味を正確にとらえ切れないものだ。辞書には模範(example)とか典型(pattern)と書いてあるが全く意味をなさない。ここでは次のように定義することにしよう。「ある事象が起す運動の展開について、その事象に関係する多くの人びとが認めているシステム」。このことは次のように換言することもできる。「ある時代の社会において、その社会の多くの人々が認めている、その社会の法則、規律、社会思想、技術思想など」。

よく「歴史は繰り返す」といわれる。たしかに人間の本能に関する事象は繰り返して発生する。個体群(種族)間の争い、群集(国家)間の争い、また種族や国家の栄枯盛衰は繰り返し行われてきた。生態学の上でも可逆的現象と考えて良いものだ。

しかし、社会のパラダイムというものは可逆的ではない。その社会に属する人たちが努力を重ねて作った技術レベルであり、社会維持のシステムである。換言すれば、大きな意味で、その社会の文化と言うことができる。従って、江戸時代のパラダイム、明治時代のパラダイムは文化遺産であって、将来、同じパラダイムが発生することはない。「猿の惑星」の話は人間の歴史とは異次元のものである。その意味でもパラダイムは不可逆である。

このパラダイムは時間の経過の中で成熟する。富の蓄積過程で共産主義も崩壊し、ファンドマネーも発生し、少子化社会も生れてくる。成熟したパラダイムは、新しい社会変化、例えばグローバル化、少子化、高齢化というようなもの、また新しい技術変化、例えば情報技術(IT)革命のようなもの、そうしたものに遭遇すると古いパラダイムは音をたてて崩壊する。そして新しいパラダイム作りが始まるのである。このことをパラダイムシフトと称する。

現状はこのシフトが行われている真最中で、新しいパラダイムができたわけではない。米国が一歩先に出ているようだが、まだ不安定だし、日本のような少子・高齢化に悩むわけでもない。印刷界でもパラダイムシフトが進行中であり、新しいパラダイムが見えていない。先が見えない不透明の中にいるから努力の方向が混乱をしている。古いパラダイムが崩壊し、新しい方向が見えない状態を私は印刷界のビッグバンと称した。または印刷界のカオスといっても良いだろう。

2000/10/08 00:00:00


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