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混迷する印刷企業経営からの脱却

塚田益男 プロフィール

2000/10/17

第1回 Print Ecology(印刷業の生態学)序論

第2回 印刷における個体企業の生態学 ニッチ戦略

第3回 環境の激変 パラダイム・シフト

第4回 企業中心社会、工業化社会から情報化、グローバル化社会へ

第5回 市場経済化について

第6回 技術のパラダイムシフト

4.経営思想のパラダイムシフト

いま日本の経済社会はまさにカオスの真只中にいる。カオスが生じた原因はバブルの崩壊だから、欧米にはない現象だし、バブルの強度は日本の中でも異なるから東京や大阪に比し、地方都市ではカオスの強さも余り大きくない。バブル崩壊後10年経っても日本経済はカオスの状態から脱出できない。まるでブラックホールに落ちてしまったようだ。カオスとは古いパラダイムが壊れ、新しいパラダイムにシフトするのだが、新しいパラダイムがまだ明確な形を作れず、混乱した移行期のことをいう。
しかし新しいパラダイムといっても化物がでてくるわけではない。パラダイムの形質の一部が変るだけだ。それでも企業経営は大変な混乱をすることになる。私は、この問題について何冊かの著書にも書いたし、いろいろ話もしてきたから、ここでは一番大きな問題だけについて議論を進めることにしよう。

a)直接金融 − 売上から利益志向へ

金融機関の中小企業向貸出残高はここ数年、毎年前年比5%前後も減少している。中小企業は設備投資用長期資金は勿論いくら苦しくても短期運転資金の借入さえできないということを意味している。その上、全体として5%強の返済加速を求められているのである。銀行の貸出資金が不足しているからだろうか、そんなことはない。日銀はゼロ金利または超低金利で銀行にジャブジャブ資金供給をしている。その資金は日本や米国の国債その他に使われ、収益増に役立てているのであって、今後とも中小企業への貸出増に使われることはない。
私が何度も、いろいろな所で述べているように、金融のパラダイムが変ったのである。企業が土地を担保にして事業資金を銀行から借入するという間接金融システムの時代は終った。理由は簡単なことだ。右肩上がりの日本経済は終った。従って、土地の価格も右肩上がりで上昇する時代は終り、むしろ毎年のように下がっている。土地神話が終った以上、土地は担保にならなくなった。

これからは事業資金の調達は銀行員に相談するのではなく、原則として自分自身で行わなくてはならない。すなわち直接金融の時代になるということだ。自己資本を増資したり、利益留保をしたり、社債を発行したりすることである。社債を発行すると言っても買ってくれる人がいなくてはならない。余程、会社の利益水準が高く、マーケットでも名前の通っている会社なら、どこかの金融機関が社債発行の窓口になってくれるだろうが、普通の中小印刷会社ではだれも相手にしてくれない。そこで、政府系金融機関や自治体が窓口になったり、信用保証をしようとしているが、基本はその企業の収益力であることに変りはない。

非上場の中小印刷会社が増資をしようと発表してもだれが応募してくれるだろうか。社長が自分の個人預金通帳を空にして、会社の資金を増やすことしか出来ないだろう。そんなことでは事業資金の拡大にはならない。矢張り利益を少しづつでも留保する以外に道はない。昔から中小印刷業者はそれを地味に続けてきたのだ。配当もせず、給料も低くして、ひたすら利益を出し、留保してきた。だから私は日本の中小企業経営者は仏さまかキリストかと言ってきた。個人を企業経営の中に埋没させなければ、中小企業の成長などあり得ない。

直接金融システムとは売上志向の経営ではなく、利益志向の経営のことをいうのである。現実の印刷界は全く売上志向である。競争受注に明け暮れて、その結果は赤字受注、印刷料金の歯止めのない下落になっている。増収減益ならまだ良い方だ。このままだと増収倒産になってしまうだろう。

b)企業倫理

現代は情報化社会だから、すべての不正行為はディスクローズ(発覚、暴露)され、報道される。反面、社会的に守られるべき行為は特許として知的所有権を認められている。私たちの企業としての行為も殆どがディスクローズされる。情報化社会の典型的な例が天安門事件と中東湾岸戦争だった。世界中の人がテレビスクリーンの前で事件と戦争の一部始終を見ていた。不正を隠すことができない、公正、公平な社会を作るのが情報化社会というものだろう。そうした中で、最近の日本社会では次から次へと企業倫理がないのではないかと思うような事件が相次いで発生している。困ったことだ。

一番最近の例として雪印乳業の食中毒事件だろう。私たち工業関係の会社には国際標準化機構(ISO)というのがあって、製品の品質保証についての企業内の管理業務を認証している。食品衛生の品質保証にはHACCP(危害分析重要管理点)という大変に難しい認証制度がある。雪印乳業はこの認証もパスした優秀工場であるはずなのに、何故こんな事件を起したのだろう。日本の大学生は入学試験までは勉強するが入ってしまえば勉強しないと言われている。それと同じことだ。ISOでもHACCPでも認証にパスすることは入口であって出口ではない。出口はあくまで得意先、ユーザー、業界仲間、社会全体に信頼され、信任されていることであって、終わりのない努力である。

茨城県のJOC核燃料処分工場での連鎖反応臨界事故も全く考えられない事故だ。沢山の大病院で手術患者の誤認事故や投薬事故が相次いで発生している。社会秩序維持の中心であるべき警察内部で、同僚警察官の不正行為隠蔽工作を組織グルミで行っている。浜の真砂のように増収賄事件は絶えないが、その大将が政治家だというのでは選挙は何のために行うのかということになる。
最近では「そごう百貨店」をはじめ、1000万円以上の倒産事故が年2万件近くになろうとしている。その一件一件の倒産の裏には関係者が青ざめるような陰湿なドラマが隠されている。談合事件も後を絶たない。産業人は頭が悪いのか、忘れっぽいのか、欲張りなのか知らないが、捕っても捕っても談合を繰り返している。ゼネコンだけではない。印刷界もすねに傷を持つ身だ。談合は私たちの税金の盗みどりだから許せない・・・・・。

関係した人たちは一人ひとりはみんな良い人たちなのにどうしたことだろう。 言い訳は大体同じことだ。仲間のため、組織のためにやったことだ。業界のため、仲間の会社のためにやった談合だ。あの人も、前任者もやっていたことだ。あの会社もやっている・・・・・。すべて他人に責任をなすりつける。企業の犯罪、企業の不道徳行為、これらは個人の犯罪とは異なり、集団の犯罪だから大きくなる。今こそ企業倫理が声高に叫ばれなくてはならない。

2000/10/17 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会