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企業=家族という甘い労務管理は吹き飛ぶ

塚田益男 プロフィール

2000/10/19

第1回 Print Ecology(印刷業の生態学)序論

第2回 印刷における個体企業の生態学 ニッチ戦略

第3回 環境の激変 パラダイム・シフト

第4回 企業中心社会、工業化社会から情報化、グローバル化社会へ

第5回 市場経済化について

第6回 技術のパラダイムシフト

第7回 経営思想のパラダイムシフト

c)コーポレートガバナンス(Corporate Governance)と印刷業の群集

コーポレートガバナンス(企業統括)についての経営者の思想は、企業中心社会、工業化社会の時代には、それこそ個体企業中心(企業一家)であり、その中で終身雇用、年功序列型賃金、系列販売などが行われた。企業エゴも随所に見られた。バブルが破れ、パラダイムシフトが行われる中で、コーポレートガバナンスの思想は一気に変ってきた。今日的課題は何であろうか?

share holder か stake holder か、(株主重視か、利害関係者重視か)・・・・・このことがよく問題になる。企業の真の統治者は誰か? 株式会社なら株主が統治者であるから、会社の役員や部課長という管理者は株主から事業運営を附託されていることになる。株主のために働くのは当然で、その努力の結果についてはストックオプションのような報償があるということになる。株主重視の経営で必要な指標は何かといえばROE(Return of Equity)(株主資本利益率)、TSR(Total Sharehloder Return)(株主還元率)ということになる。TSRはその会社の株価上昇率と一株当りの配当金を加えて算出される。しかし、いくら会社は株主のものだといっても、不安定で気まぐれな株価とキャピタルゲインばかりを追っていて、会社の事業活動には余り興味を示さない株主の方が多いのだから、経営陣が株主の方ばかり気にしていては、事業会社としての社会的任務を果たせない。

今の社会は、透明性(transparency) 、公正さ(fairness)、正義(jutice)が大切なのだから、経営者は stake holder の方も忘れてはならないということになる。それは従業員、顧客、資材のサプライヤー、業界の競争仲間、周辺の住民などである。すなわち、経営陣は share holder と stake holder と 両者のバランスをとることが必要になる。話は長くなったが、私はこうした意味からも印刷業のecologyを論ずるには関連業界も周辺自治体も各種マーケットも、群集の仲間として強く認識すべきだと考えてきた。

d)印刷界の労務思想

現在は労務管理の上でもパラダイムシフトが起きている。10年前までは従業員といえば正社員のことだった。会社と従業員は一体と言う企業一家の思想だった。それだから終身雇用、年功序列型賃金という不文律な管理システムも存在しえたし、会社への忠誠心や金太郎アメ型の同質な社員像も一般的な姿だった。会社は社員に対しては社員寮を建て、海や山の家を用意し、社員旅行も計画し、高金利の社内預金を奨励し、交通費や昼夜食、服装の補助も行っていた。社員が大きなミスをすれば先づ会社が責任を負う習慣であった。こうした労務のパラダイムは崩壊し、新しい思想に変ることになった。

高度成長の経済どころか低成長さえ出来なくなった日本経済、1998、1999そして 2000年と3年間は実質的にはデフレ経済であり、民間の各企業は実需より価格低下による売上高下落に苦しんだ。勿論、最近では日本経済は「段違い平行棒」といわれるように、高い方の棒はIT(情報技術)を中心とする成長率の高い産業群であり、設備投資も高い。このIT産業にはiモードの移動体通信が加わったから、経済の活動力が一気に高くなった。その一方、文庫本やマンガと言う出版物に対する支出は携帯電話の方へ移転してしまったし、一時大流行のカラオケ支出さえ吸収してしまった。

段違い平行棒の低い方の棒、すなわちITやE-ビジネス以外のリアルビジネス(実体経済)に属する90%近い経済の方は、出版だけでなく、土木、建設業、金融業、小売業など殆どの産業で不況から脱出できず苦しんでいる。650兆円と言う財政の大赤字のため公共投資は縮まる一方、万一、円高になって輸出産業も力を失ったら、段違いの格差がどんどん大きくなってしまう。そうなれば失業問題も解決しない。

このような経済環境、社会環境になれば、企業一家のような甘い労務管理は吹きとんでしまう。過剰雇用で人減らしが必要、会社の利益水準は落ちる一方、労働生産性も下降、物価水準もデフレ気味・・・・こうした企業環境の中では給与のベースアップなどできないのが常識だし、定期昇給だけでも守るのが精一杯。その上、残業が減れば給与所得は前年比割れとなる。
50年以上前に有名なケインズ博士は著書の一般理論の中で、給与所得だけはどんな経済になっても下方硬直で下らないものだ、といったのがウソのように思える。その上、リストラで人員減になるから企業の人件費負担は下がってくる。そしてその分だけ企業の利益が回復したことになる。経済企画庁も企業利益が回復基調になったし、設備投資もでてきたから、日本経済の不況はそこを脱しつつあるという。人件費負担減とIT産業中心の設備投資だけを頼りにした景気回復とはなんとも情けない。ところが2000年秋から米国のITバブルが崩壊し、米国経済も不況になった。日本のIT産業も不況になり、輸出産業も悪くなった。またまた日本のデフレ不況が新しい局面に入った。

こうした企業環境では終身雇用制とか年功序列型賃金などが存続するわけがない。その上、若い人たちはフリーターのような自由な雇用契約を求めていて定職を好まない。企業も人件費節約のため正社員よりパートタイマーや派遣社員のような契約社員を増やすようになる。社員の愛社精神などどんどん小さくなる。社宅も社内預金制度も、慰安旅行も、みんな話題にもならなくなった。労務管理の環境は様変わりである。企業中心の古いパラダイムから新しいパラダイムに変るのであるが、新しい思想はどういうものになるのだろう。

私はいままでにハイブラウ、ローブラウの話、知識集約化の話など、新しい労務思想について断片的ではあるがいろいろと語ってきた。その結果はどうも50年前のアメリカのHR運動すなわちヒューマンリレーションに帰ってしまうような気がする。人間関係を大事にする、すなわち個人個人の人間としての尊厳をお互いに大切にすること、そのことを総ゆる社会システムの底辺に根づかせること、このことさえ新しい思想として確認できれば、今後発生するであろう各種の社会現象は無理なく吸収できるだろう。
これからの新しい社会は情報化とグローバル化だと何度も唱えてきた。情報化とはIT産業を中心とする、ネットワーク、インターネット、双方向通信、エレクトロニクス、公正、公平などという言葉をキーワードとする社会だし、グローバル化とは市場経済化、競争、自由化、規制緩和などをキーワードとする社会だ。こうした社会はうまい話ばかりではない。環境問題、失業問題、デジタルディバイド(情報格差)などマイナスの局面も持っている。

いづれにしろ、こういう社会はポテンシャル(位相)レベルの高い社会であるから、ヒューマンリレーションという個人個人の人間関係もレベルの高い関係が要求される。ハイブラウとローブラウ(ひたいの広い人と狭い人。知識集約度の高い人と低い人)とかディジタルディバイド(コンピュータやITに強い人と弱い人)、こういう格差はますます大きくなる。そしてハイグレード(知的上位)の人たちは個人の尊厳と自由度を強く求めるようになるし、近代的雇用契約も徐々に広がるだろう。
古いパラダイムの企業一家、企業中心、画一的人間像という思想は消え、個人中心、個性的、創造的人間像という全く反対の思想が求められる。こうした新しい社会が最終的にどのような人間社会を作るのか、まだ見えてこない。情報化もグローバル化もまだこれから始る所で、ようやく玄関が見えたようなものだ。
弱者救済の方法もディジタルデバイドの対策も、また個性的、創造的人間の活動の場を作る社会的合意形成も、みんなこれからの課題だ。しかし、労務思想のパラダイムシフトは着実に進行している。いまこそ企業も個人も目ざめる時だ。

2000/10/19 00:00:00


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