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努力と結果のすれ違い : 従来の予測が成り立たなくなった

塚田益男 プロフィール

2000/11/29

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1.印刷経営のシステムは複雑系

私は最近の印刷経営を見ていると、全く混乱状態にあると思っている。勿論、昔から経営とは何が起るか分らないものだ。何も印刷だけではなく、どんな業界だって経営者ならいろんな事件が起ることを覚悟しているものだ。私は若くして社長になったから、もう50年も印刷界に籍をおいている。沢山の事件を処理してきたが、中には短期に解決できるもの、設備投資や人材投入を必要とする3年から5年という中期的時間配分がなければ解決できないものなどいろいろある。

労働組合対策、得意先対策、技術対策、資金対策など次から次へと問題点が出てくるので全く休む暇はない。私の若いときの口ぐせは、「南無阿弥陀仏」であった。しかし肉体的、精神的にどんなに辛いことであっても、解決への努力をしていれば、時間の経過の中で何とか解決への道が見えたものだ。従って問題点を一つひとつ解決していく中で、経営を安定路線にのせることが可能だった。そうはいっても問題は適度の間隔をおいて発生するから、絶対安定な経営などあり得ないのだが、それでも安定への努力はそれなりの経営価値を持ちうるものだった。

別のいい方をするなら、問題が適度の間隔をおいて発生し、その大きさや深さが適度であるなら、問題の解決策も予測できるし、発生プロセスも予測できる。すなわち、一つひとつの問題解決に大変な努力を必要とし、苦労が山積したとしても、解決の予測ができるなら、たとえ時間がかかるとしても我慢ができるものだ。そして経営の安定を求めて努力すること、それ自体に価値があるし、その結果は多くの場合報われるものだった。

・リニアプログラミング(linear programming)

これは線型予測の推計法である。ひとつのある事象が発生し、時間の経過と共に発展し、次の事象に移るのであるが、その移り方が過去の線型の発展経路の延長線上にあると予測する推計法である。

国内総生産額(GDP)を例にとって考えよう。仮に過去10年間のGDPの推移は個人消費額と設備投資額を変数とする2次曲線によって表現される函数であるとしよう。この仮説が正しいとすれば5年後のGDPもこの曲線上にプロットすることができる。同じく私共の印刷経営の成長に決定的に影響を与える変数があって、その整数変化の線型函数が印刷経営だとすれば、その変数の将来予測をし、その予測に合うような経営行動を行えば、時代の流れに遅れることなく会社の成長を期待することができる。その変数は会社によって因子が異なるかも知れない。ある会社では得意先の成長と信頼関係だということもあるだろう。また別の会社では技術力と設備投資力であったり、社員の資質向上であったり、企画・提案力であったり、いろいろな因子が中期的に見れば決定的変数として考えられる。それらの因子の将来の展開が予測可能であるならば、経営の成長もリニアー(線型)に予測できるというものだ。

工業化社会や企業中心社会も一種の線型系の社会であった。変数である各種の社会要素(技術変化、投資資金、研究投資、住宅投資、公共投資、教育投資、労働力、所得水準など)の中期的展開は予測可能であったし、それらの要素は独立変数というより、互いに従属変数でもあった。各経営者は努力(入力)をすれば、その結果(出力)も予測できるものだった。勿論、工業化社会の時は変数の変化がダイナミックだったから、経営者の努力も死にもの狂いであったが、努力の大小に応じてそれなりの結果も期待することができた。すなわち虹色の夢も期待できたし、夢破れた悲運も自分なりに納得できるものであった。このように価値観を共有できる社会の枠組み(フレームワーク)をパラダイムということができる。

線型社会のパラダイムから新しいパラダイムへのシフト時代

工業化、企業中心という線型系社会のパラダイムは、何度もいうように過去のものとなった。情報化、グローバル化という新しいパラダイムに向けてシフトをはじめたのだ。新しいパラダイムはまだまだ価値観として定着していないので何が起るか分らない。現在は古いパラダイムが崩壊し、新しいパラダイムに移行(シフト)する渦中にあるといえるだろう。古いパラダイムの残渣が沢山残っていて、シフトの邪魔をしている。一般経済社会でも、バブル時代の後始末ができていない証拠に、沢山の不良債権が残渣として残っており、デパート、生保、銀行などの大企業がいまだに倒産を続けている。どこの会社も自分の経営だけは何とか安定させたいと懸命に努力(入力)を続けている。しかし、その結果(出力)は全く予測できない事態が相次いで発生するために、期待とは全く異なる方向へ行ってしまう。

印刷の作業量は減るだろうと予測はできた。これに対応するためには、合理化設備に投資し、社員数を減らし、生産性を上げなくては利益確保はできないという予測もできたので、リストラ計画を作成した。しかし、現実には長期資金の調達をしようとすれば、銀行は間接金融の時代は終ったから、印刷会社の要求には応じられないといい、自分で調達する直接金融の道を歩めという。すなわち金融のパラダイムは変ったのだという。

作業量の減り方はGDPでゼロパーセントだが、印刷の弾性値が1より小さくなっているので、3〜4%の減少を覚悟していたが、実際には主力得意先が倒産したり、急速に経営内容が悪化したりして、10%近くも作業量が減ってしまった会社も多い。それでもこうした影響は2〜3年で終るだろうと歯をくいしばって我慢していたのに、予想に反し21世紀入っても受注量は下げ止らないだろう。全く不透明になり、予測の限界を越えてしまった。

さらに悪いことに、とんでもない過当競争が発生しようとは思ってもいなかった。大中小、入り乱れての大競争、いやサバイバルのための大闘争がはじまった。印刷関連の料金は20%、30%と下って行くし、それも見積りのたびに下って行くので下限がない。サバイバルは生残りだが、現実は倒産覚悟のその日暮しの競争である。

それでいて技術変化はどんどん進行する。DTPになったといっては企画デザイン料が猛烈に下り、多くの場合はデザイン会社に仕事そのものを横取りされる。CTPがはじまればフィルム出力が不用になったからといってプリプレスの料金そのものを無くしてしまったりして、見積り項目を無くしてしまう会社もでてくる。こうなったら競争でもなんでもない。結論は競争見積りで勝つ唯一の方法は、見積り間違いをすることだというマンガみたいな印刷界になっている。

それもこれも日本の印刷界にはコミッションセールスの制度がなく、ハウスセールスマンばかれだ、従ってコミッションを計算するエスティメイション・セクション(コスト見積り計算課)がないし、コスト・テーブルがないというところに原因があるのだろう。コストテーブルが無ければ、日本のハウスセールスマンは上司から求められる売上ノルマだけを達成すれば良い。利益を出すのは作業課や工場側で、営業は知らん顔。作業課は大企業の地位利用で下請中小企業に赤字を押しつけ、すべての帳尻りが合うということになる。

いまさら愚痴をいってもはじまらないが、印刷経営に次から次と予想もしなかった事態が発生し、先行き不透明、世の中が少し落ち着くまで、どんな経営戦略を立てても意味がないという状態になってしまった。価格破壊は価値の破壊になり、その結果は印刷産業そのものの存在価値の破壊になろうとしている。

2000/11/29 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会