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なぜ印刷経営はカオスから抜けられないのか

塚田益男 プロフィール

2000/12/15

Print Ecology(印刷業の生態学) 5章までの掲載分のindex
6章第1回 印刷経営のシステムは複雑系
6章第2回 複雑系のシステムとは !
6章第3回 予測不能な印刷経営

3)経営管理もできない

a)原価管理、利益管理ができない。

印刷組合では昔から原価計算の普及に努力してきた。大正時代の業界紙を見ても印刷界の料金競争が問題になっているから、安値競争で業界が苦しむのは今にはじまったことではない。この足の引っ張り合いは意味のない行為だから、これを正常にするためには、印刷業者一人ひとりが原価計算を行い、原価に目ざめた経営をすれば良いということになる。そこで印刷組合は原価計算指導を行ってきた。

加工原価=部門別時間単価×工数時間積算
  積算時間は工程によりマシーンアワーおよびマンアワー

私はこの方式は印刷人の原価教育には有用だが、経営数字としては労多くして無益な数字だと言ってきた。その意味では私は30年以上も前から原価計算反対論者だった。印刷物の生産工程は前述した通り、全く予測不能な恣意的要素を沢山含んでいる。営業はある仕事をオフ輪A全4/4色で見積りをした。工場はオフ輪が多忙で入らないから納期に間に合わせようと枚葉4色機で印刷をした。紙折り工程まで含めるとコストが3倍近くも違ってしまった。誰が責任をとるのだろう。

 また、こんなことだってある。工場は作業伝票通り進行計画を作った。ところが用紙が予定通り入荷しないので半日印刷機を止めてしまった。さあ、用紙が入ったので印刷にかかったら、用紙品質が不良で一日中機械調整に苦労したが結局一枚も印刷できなかった。いまの印刷界ではこの場合、用紙を返品することはできても、一日不稼働のコストはすべて印刷側で負担することになる。

得意先持込みデータ不良、フィルム下版待ち、用紙搬入待ち、設備不調、作業量不足・・・こんな事態は日常茶飯事のことだ。まして最近は多種少量受注である。標準的な作業環境がない以上、時間積算も原価計算自体も意味がないと思っている。

原価管理ができなければ利益管理もできないので、印刷経営は滅茶苦茶になってしまうのだが、私はそうは思っていない。時間積算の一点別原価計算が間違っているだけで別の方法がある。

経営コンサルタントが常に主張するものは原価管理方式による管理である。すなわち価格=コスト+利益≠ニいう恒等式を信じている。利益を大きくしようと思ったら価格を上げるか、コストを下げるか、どちらかの努力をすべきだという。現実の印刷界はそうはならない。コストを下げたら営業マンは競争に勝つために値段を下げてしまうから利益は減っても大きくはならない。合理化貧乏は印刷界の体質である。印刷会社の営業行為と生産行為は動機が異なっているのに、コンサルタントは一緒にしてしまい、両者の価格とコストを単純に恒等式でつなげてしまう所に間違いがある。両者は別々に管理されるべきである。

印刷経営は前述のように、ただでさえ不透明で先が見えない。そんな時に自分の会社の経営内容ぐらいは明確に分っていなくてはならないし、その数字を作るためには営業と生産を別々に管理する必要がある。そして何より大切なことは、経営をしようという意志、営業活動をしようという意志、生産活動をしようという意志、この意志を管理するのである。

その意志はingで表現される。営業は顧客にあらゆるサービスを集中して顧客満足(CS=Customer Satisfactionまたは顧客のwants)を得る努力をし、その結果をpriceを少しでも上げるという形で表現する、それがpricingである。一方、生産行為とは営業を通して伝達される顧客の要求(needs=品質、納期、価格)を少しでも安いコストで対応できるよう努力することである。それがcostingである。

このpricingとcostingを一つの仕事の中で表現をするのであるから、両者を結ぶものとして、二つの機能を持ったパラメータ(媒介変数)が必要になる。営業から見れば仕入れコストであり、工場から見れば売上になるものである。すなわちコストテーブル(cost table)が各社ごとに作られている必要がある。このcost table(社内料金表)を中心にしてpricingが行われ、営業部門の利益が計算され、一方、costingの結果は工場部門の利益として計算される。

この管理方式は私が20数年前にPMP(Profit Management for Printers)と名づけたものだが、具体的手法についてはJAGATの諸君に聞いて欲しい。これができないと、いま世界中の印刷産業で作ろうとしている互換性のある管理フォーマット(PJTF=Portable Job Ticket Format)も利用できないので、世界からとり残されることになる。しかし、これが日本では普及できないだろうと思われる一番の問題は前述のような環境の不透明性にあるのではなく、各社別に作られるべきコストテーブルがないことに問題がある。

b)労務管理ができない

前述したように、プリプレス部門も、印刷、加工部門も全く予定表が作れないほど納期が短く、営業部門でさえ得意先のデザイン部門の作業進行に左右されるので、全く勤務時間が不安定になる。昔のように定時間プラス残業がタイムカードで管理できる固定的な時代が懐かしい。工場では部分的にしろシフト制をとらざるを得ないが、作業量そのものが不安定なので、弾力的に運用せざるをえない。プリプレスやデザイン、営業などではフレックス制の採用になるが、あくまで作業量に応じたフレックス制であって自分の都合に合わせたフレックスではないことを教育しなければならない。

私はいつも作業量の自主管理を口にするのだが、余程、管理者がしっかりしていないと全体がすぐ作業時間の自己勝手管理になってしまう。意欲のない社員にはフレックス勤務は意味がないから、マニュアルによる作業指示を受ける固定作業時間制の方が良いだろう。そして、こうしたマニュアル型作業者は社員である必要はなく、パートタイマで良いだろう。そのため、印刷界だけでなく、産業界全体でもパートタイマ、アルバイト、雇員、嘱託、派遣社員、外国人作業者など正社員以外の身分の作業者が増えているし、その人たちの管理も大きな負担になってくる。

いづれにしろ不安定な作業環境で働くとなると、社員一人ひとりが知識集約的で、専門的能力を持ち、自分の作業量に対し自主管理ができなくてはならない。しかし実際には作業の不安定性や恣意性は予想以上で、自主管理の枠を越えてしまうし、会社の方も常識的な限度を越えるような作業に対し、奨励や褒賞金の出しようもない。しかし顧客がそれを要求するとなれば作業をせざるを得ないし、社内の管理体制に摩擦が起るし、作業者個人個人としても不平不満が蓄積する。現状は得意先が要求する短納期は限度を越えていると言わざるを得ない。

c)常に資金圧迫

印刷界の技術進歩は予想以上に早い。私がDTPの導入を業界に指導したのは僅か8年前だった。今やDTPは印刷界の技術としては成熟し、デザイナーや顧客の技術として一般化してしまった。CTPはレーザーセッターや使用版材の技術が定着していないのに、印刷業者はどんどん使用を開始した。CTPの普及はこれからだというのに、On-Press CTPすなわちDI(Digital Imaging)セッターを標準装備したカラー枚葉印刷機が印刷界に出廻ろうとしている。

文字書体のデジタル構造は従来の文字はOCFフォントであったが、広く使えるような互換性をとるため、CIDフォントを売り出した。まだ普及していないうちから顧客からの要請があるからCIDフォントを買わざるを得ない。

一方、印刷界の料金競争が予想以上にはげしい。現在のままでは赤字になるのは避けられない。そこで生産構造を変えざるをえない。4色枚葉機を中心にした生産構造は両面8色機にし、24時間稼働にすれば従来の4色機は3台スクラップにできるし、作業者の数も減らせるだろうと考える。オフ輪も従来の時間3〜4万枚という機械を10万枚のものに更新すれば価格競争力が強化され、赤字から脱出できると考える。

競争とイノベイションに追いたてられての投資だが、これでは料金をさらに安くし、深みにはまるだけで赤字からの脱出はできない。シュンペーター博士が説くイノベーションとは新製品開発のことであり、安値競争の手段のことではない。メーカーにとっては開発した機械はイノベーションの結果でも、利用する印刷界にとってはイノベーションでも何でもない。しかし印刷業者は投資に追いたてられている。デジタル環境はまだまだ深化するし、社会技術になるのでデジタル投資は避けて通れない。また、コスト競争に敗けたら生存が危い。まるで綱渡りをしているようで見ていられない。投資ができなければ印刷界を去るより道がないと考えているようだ。

それなのに印刷会社の投資の裏づけになる資金調達力が全く弱い。直接金融の時代になったのだから銀行は貸さないのは本筋だ。無理をすれば担保をねこそぎ持っていかれる。サプライヤーは売りたくても、リース会社に保証までつけられない。安い機械なら何とかなると思って無理して買うことができても利益は全く期待できない。土台、合理化貧乏は印刷界の経営体質なのだ。投資の間違いは命とりになるし、何とかなっても運転資金圧迫で苦しめられる。

2000/12/15 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会