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「失われた10年」は元に戻ることはない

塚田益男 プロフィール

2001/4/17

Print Ecology(印刷業の生態学) 6章までの掲載分のindex
7.カオスからの脱出
メタモルフォーシス(metamorphosis:変態)と環境
パラダイムシフトの特長

2) 不可逆な変化

不可逆とは元に戻らないということだ。水は「ゆらぎ」の後は形質が変化し、水蒸気となって空中に飛散してしまう。水のあった場所から考えると不可逆に変化したことになる。しかし、閉じた空間の中では、水は温度が100度前後になれば蒸気になるが、時間が経って冷えてくれば水に戻る、すなわち可逆的な変化なのである。最近の経済社会の変化はパラダイム変化が基調にあるので殆どが不可逆なものである。まして中小企業の経営者は変化への対応力、弾力性、洞察力が小さいから社会変化、技術変化に驚くばかりで、すべてが不可逆に思えるだろう。

バブルがはじけて10年が経った。まさか10年前を懐かしがったり、昔よ、もう一度と思っている経営者はいないと思う。しかし、この10年、一生懸命努力したにもかかわらず、前進したとか、少しでも報われたという感じがしない。「失われた10年」というが全くその通りだと思う。報われるどころか、中小印刷界ではリストラにつぐリストラ、売上は減少し、会社の規模は小さくなってしまった。この10年間中小印刷界は何をしていたんだろう。DTPに努力したといっても僅か5年強でブームは去ってしまい、努力と資金を注ぎこんだ割には報われない努力だった。経営者にとっては「失われた10年」というより「呪われた10年」というべきだろう。

それでも次のパラダイムの姿が見えていれば、昔のことは忘れて次の時代のために気をとり直して努力することができる。しかし、現状ではCTPのこと位しか分らないし、誰も次の時代を予言してくれない。自分が経営者として知っているサクセスストーリーの経営手法はバブル前のものだ。新しいパラダイムの経営手法が見えない。次のパラダイムは非連続な変化だというが、どちらにしろ人間社会の話ではないか、人間がそんなに変らない以上、経営手法だってそんなに大きく変るわけはないではないかと思いたくなる。そこで私はそうした迷いを断ち切る意味で、現在はパラダイムシフトというカオスの中に迷いこんでいるが、このシフトは回転しているわけではないし非連続の変化だから、もう2度と元に戻ることがない不可逆な変化だということを、いくつかの例を上げて理解してもらおう。

a) 少子高齢化と潜在成長率

日本の高度成長期は石油ショックすなわちローマクラブが「有限の地球 」「惑星地球号」などを言い出した1975年前後に終った。それ以降はいわゆる減速経済に入るのだが、それでも3〜5%の経済成長を維持することができた。それは日本の潜在的経済力がそれだけあったことを意味する。潜在的経済成長力は人口増減率×生産性上昇率である。

私の学生時代に教授は、人口は、国力の源泉だから、1人当りGDPと同じく人口を大切にしなければならないと説いていた。事実、現在の日本は失われた10年を経過し、国力がすっかり落ちたと思っていても、人口が1億3千万人近くもいるので、今もって世界第2位の経済大国である。悲観することはない、もっと自信を持つべきだろう。勿論、失われた10年の間の成長率は1%台だし、最近の3年間をとるならマイナス成長だろう。そして現在の公債発行残高は660兆円に達し、GDPの1.3倍になっているし、今後も増加することを考えると国力の減衰はひどいものだ。何らかの対策を考えなくてはならない。

さて、将来のことを考えよう。2000〜2010という10年間のことだ。総需要が仮りに人口に比例し、総生産が生産人口に比例するとすれば、この10年間に表で見るように総需要は2%増加するが、総供給は6%も減少することになる。成長力を0%としても1人当り生産性は総供給力の不足分6%を埋めなくてはならない。2025年までのことを考えると総人口も減り、生産人口も減るのだから、日本の国力は縮小する一方で恐ろしくなる。しかも生産人口は高齢化する一方だから、一人当たり生産性を上げろということはできない。もし2010年まで潜在成長力を年率2%位は維持したいというのなら、私たちのライフスタイルを一新するような技術革新と社会的需要や供給システムが誕生しなくてはならない。少子高齢化のため生産人口が減る中で、潜在的経済成長力年率2%を維持するには、一人当たり生産性を10年で25%以上も上昇させなくてはならないからだ。

今後、予想されるインノベイションとしてIT関連、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、超伝導などの新物質開発などが考えられている。これらの技術や製品を生産段階や家庭内でユビキタス(遍く)に使おうとするなら、日本人の知識レベルや教育水準は一段と高いものにならなくてはならない。個性を失い、日教組に毒された教育しか受けていない若年層の生産人口、そして文部行政と政治家怠慢の中で作られた教育システム、こんな日本で、1980年代のような日本の栄光を望むことは不可能だし、不可逆な社会変化である。

うまく行けばあと5年位は年率1%位の成長を期待できるだろうが、土台、潜在成長力が毎年落ちる一方だから、2%の成長を維持することは困難だろう。7〜10%の実質成長をした高度成長期、3〜5% の減速成長期、そして0〜1%の21世紀前期ということになる。経済成長だけを考えても、今日の沈滞した経済は元に戻ることはない。日本の成長力は不可逆な変化の中で下降を続けている。

・日本の総人口と生産人口(推計) 1,000人単位

総人口

15〜64歳

構成比

1975

111,940

100.0

75.84

67.75

100.0

1990

123,205

110.0

85.86

69.69

113.2

2000

127,385

100.0

86.35

67.78

100.0

2010

130,397

102.1

81.30

62.35

94.1

2025

125,806

98.8

75.12

59.71

87.0

・日本の人口、国際比較 2000年、年央推計 (1億人以上の国)(単位:千人)

中国

1,284,597

インド

1,022,021

米国

275,119

インドネシア

212,731

ブラジル

174,825

パキスタン

161,827

ロシア

145,552

バングラディシュ

134,417

ナイジェリア

128,786

日本

126,472

メキシコ

102,410

b) 印刷産業のGDP弾性値

(米国)

1992

1993

1994

1995

1996

1997

1998

1999

2000

印刷出荷

5.3

5.9

7.7

7.6

4.5

5.0

5.9

3.4

5.7

GDP

5.6

5.1

6.2

4.9

5.6

6.5

5.7

5.8

7.3

(日本)

1992

1993

1994

1995

1996

1997

1998

印刷

△1.5

△3.1

△3.7

3.5

2.4

△0.5

△4.5

GDP

2.8

0.9

0.8

0.8

3.5

1.5

△2.5

印刷売上高のGDP弾性値とは、GDPの増減変化1単位に対する、印刷売上の変化率をいう。すなわち簡単に言えば印刷出荷額はGDPより早く成長するのか、遅いのかということ。日本でも米国でも印刷出荷額の上昇率はGDPの上昇率より大きいのが常識だった。日本では1980年代の弾性値は1.3前後で印刷界の成長速度はかなり早かった。どこの会社も売上げを伸ばすことができて幸な印刷産業と思えたものだ。従って印刷人であることに誇りもあった。所がバブルがはじけ1990年代に入ると事情は一変し、印刷産業は、GDPの伸び率を下回り、GDP 1%程度の伸びなら印刷はマイナス成長になるという状態だ。印刷は成熟産業、不況産業の代名詞をつけられることになった。

アメリカの印刷界はこのところかなり強気の予測を立てている。理由は、GDPの伸び率が常に5%を越えていて、ベースが高いので、少々の弾性値の変化など問題にする必要がないと思っているのだろう。しかし、良く時系列の変化を見ていると、1996年頃から明らかに弾性値は1を下回っている。変化が始ったのは事実だが、まだまだ大騒ぎする必要はない。しかし、日本はもうマイナス成長が定着しそうだし、平成大不況で体力もすっかり落ちているので、急いで次の手を打つ必要がある。

私は収穫逓減則と収穫逓増則の二つについて前述した。現在の印刷界が成熟したということは、現在の技術水準や需要性向の中では完全に収穫逓減則が働いてしまい、1単位の限界資本投下量による限界生産量は前の1単位の限界生産量より小さくなってしまう。すなわち、いくら資本投下をしても効率は悪くなる一方だということだ。この収穫逓減則は受注競争のことや携帯電話の普及で出版物が売れなくなるという需要性向の環境変化まで計算に入れていない。これらの外的要因を考慮に入れると逓減則はもっとはげしく効いてしまう。それが、現在の日本だろう。

印刷界の現在の環境は何度も言うようにカオスに入っている。逓減則は限界利益が黒字の場合の法則で、赤字になってしまえば限界資本投下はゼロになるはずである。すなわち赤字になることが分っているのに資本投下をする経営者はいないはずである。所が、マーケットシェアーを守りたいため、既存の得意先を守りたいため、激しい競争に生き残りたいため、赤字でも資本投下を続けるという、経営学も経済学も通用しない状態になっている。このように、倒産覚悟の経営をすることをカオスの状態といっている。このカオスの中だからこそ新しい技術と経営モデルを開発し、新しいマーケットを創ることが有効になる。旧いモデルやシステムは機能しなくなったのだから、新しい戦略の効力は何倍も働くことになる。このことは新しい収穫逓増のマーケットと経営モデルを創らなくてはいけないということを意味する。資本投下が生産量の増収効果を高める新しい位相の環境を作る必要があるということだ。

日本の印刷界はまだ収穫逓減則を競争により破局まで追い込むことばかりしており、私の観測では今年中には間違いなくカオスの極限状態に突入すると思っている。そして日本の印刷界には新しい業界モデルを創る具体的なビジョンがないので、収穫逓増の位相、新しい印刷世界を創ることができない。写真植字業界や写真製版業界、さらには現在の大不況の経済社会と同じような運命をたどっては大変だと思っている。

私が見るところ、どうもアメリカの方で具体的なビジョンが生れそうな気がする。業界の調査活動が盛んで、その調査を企画、実行、分析する委員会構成も当を得ているようだ。現在1.0を下回っているGDP弾性値を10年前のように1.0を上回る活性化された印刷界にするためには、収穫逓増を可能にするような業界モデルを創らなければならない。そのモデルは印刷メディア、放送メディア、通信メディアの合体の中で作られるだろうから、印刷メディアの形質は従来とは全く異質なものになるだろう。そして収穫の内容自体も変態し、それを計測するスケールも従来のものとは異なるだろう。その意味でもGDP弾性値の変化は21世紀には不可逆に変化するというより、全くスケールの異る弾性値計算になるだろう。

2001/04/17 00:00:00


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