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テープ式自動モノタイプの登場−印刷100年の変革

1951年頃日本タイプライタがMTH型自動モノタイプを開発し、朝日新聞社が採用した。その前年の1950年に中川機械が長距離操作用受信装置のSC-R型邦文モノタイプを開発し、大阪毎日新聞社に納入している。

その後、東京機械、池貝鉄工、小池製作所などが開発し、中央紙や地方紙などの新聞社が積極的に導入し文選作業の機械化を図った。

テープ式自動モノタイプ・システムは、文字入力用漢字キーボード(テープ鑽孔機)とキャスタ(鋳植機)で構成されている。漢字キーボードは、2千数百の漢字キーを盤面に配列してある。

オペレータは原稿を読みながら、漢字キーを押すことで文字や記号類がコード化され、紙テープに鑽孔される仕組みである。これが印刷分野における日本語の文字コード化の始まりといえる。

この紙テープをキャスタのテープ読取装置に読み込ませると、文字コードが所定の母型の位置を選別する仕組みである。特殊形状の母型が収納されている母型庫シリンダが、油圧式で自動的に左右移動と回転し、所定の母型が鋳型にセットされ活字が1本ずつ鋳造される。

この特殊形状の母型は、従来の製作方法とは異なる「パンチ母型」の技法が用いられた。パンチ母型とは、母型の量産化を図る方法として開発された「父型彫刻法」である。父型をマテ材に直接打ち込み、母型を製作する方法である。

この方法は、古くから活字研究家の島霞谷(1870年末没)などにより研究されているが、三代目木村嘉平(1823〜85)が軟鋼の角棒の一端に、鏨(たがね)で欧文文字を凸刻し、焼入れしてパンチ用父型を造る方法が行なわれている。これを銅のコマ(マテ材)に打ち込み母型を造る方法であるが、打ち込み時の破損があり成功しなかった。

パンチ方式は、同一の母型を量産できるという利点がある。前述したベントン彫刻機は父型彫刻用に開発されたものであるが、軟鋼に画数が多い漢字を彫刻することや、パンチ技術の難しさから日本では実用化されなかった。

しかし1954年頃に、日本マトリックス社長の細谷敏治がベントン彫刻機で父型を彫り、特殊技術(焼結法)による父型とパンチマシンに成功し、後に「パンチ母型」と呼ばれた。このパンチ母型により母型の量産化が一層進むとともに、自動モノタイプのキャスタ用母型製作に貢献した。

紙テープに改行コードが鑽孔されていると、所定の字詰めで自動改行し行間インテルが挿入される。行間インテルは所定の字詰めで用意し、インテル装置にセットしておく。この一連の操作で棒組みができるわけである。これを植字工程に渡して植字(組版)を行なう。

このように自動モノタイプ・システムは植字作業の機械化、自動化というよりは、棒組みの機械化である。しかし新聞社や印刷企業における文選の生産能力アップに大いに役立った。ところが大きな落とし穴があった(つづく)。

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2001/04/21 00:00:00


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