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21世紀に、印刷を問う

印刷の定義とは、印刷の4つの要素、すなわち「印刷の仕掛けとしての印刷機、および印刷インキ、版、紙などの被印刷物」を使って版のイメージを複製する、というのが古典的な解釈である。このような定義は、グーテンベルグの近代印刷術は何を意味するのかの検討の中から生まれてきたのであろう。

 歴史的な背景をいえば、もともと、グーテンベルクの印刷術は、ヨーロッパでは宗教改革へつながっていったものであるし、またのちには市民革命や民主主義の成立において、大量複製によって情報を大量に伝播する能力をもつ印刷というテクノロジーが非常に有効に機能したのは事実である。

 以上のような文脈で、印刷とは「大量複製を非常に精密に安く行う手段」という概念が強調され、そこから逆算して印刷の4つの要素も決められたと思われる。これらは、数量で計れるところのマテリアルとしての印刷に重心をおいた捉え方で、日本の『印刷事典』などにもこの古典的概念が説明されている。

 しかし、本当にそうなのだろうか。たとえば、印刷された出版物がもつ情報としての権威など、「活字」「書物」という言葉に隠された価値というのも印刷の意味に入るべきで、古典概念と別の側面から印刷が語られる必要もあるのではないだろうか。

 これは人間が目や体に触れるヒューマンインタフェースとしての印刷物であり、たとえば日本においては、戦国時代に宣教師が持ち込んできた印刷機を使い、なんらかの活字を作って印刷した時にも、また豊臣秀吉が朝鮮から奪ってきた印刷装置や工人たちによって印刷物を作った時にも、いわゆる大量配布あるいは情報伝播には使っていなかったとされる。むしろ非常に立派なものを作って天皇に献上するなど、どちらかというと美術工芸的な意味合いが強かった。

 歴史において、印刷はたしかに大量複製の役割は大きかったけれども、テクノロジーの発展は、今日、いろいろな電子メディアの登場を促し、情報を多くの人に非常に安価に短時間に提供できる手段は印刷の他にいくらでも出てきてしまっている。そうすると印刷は、第一義として「大量複製を非常に精密に安く行う手段」である云々を振りかざすことが、将来ともに有効な定義かどうか分からない。

 印刷を肌身で感じて仕事をしてきた人は、おそらく将来も印刷はなくならないだろうとみるのは、これは印刷物の「ヒューマンインターフェース」としての要素が他に置き換わらないという解釈なのだろう。この印刷の、もっときれいなものを作る、緻密なものを作るという点では、将来も残っていく分野が必ずある。

 むしろ大量に情報を伝播させるという役割は、印刷物がマテリアルとしての資源やエネルギーを大量に消費しつづけることから考えても、減る可能性の方が高い。大量複製の傾向がスローダウンする中で、今後の印刷の定義は変えていかざるを得ないのではないか。

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2001/07/08 00:00:00


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