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書体の世界〜書体を知るということ

何を今さらと思われるかも知れないのだが、長い歴史のある書体についての考察を、去る2000年5月26日にtechセミナー「書体の世界」に行った。そこで再発見したことは、伝統的な書にもフォント制作にも通じる話は多く、書体の奥は非常に深いことや、まだ未踏のフロンティアもあることである。即物的に、どんな時にどんな書体を使えばよいか、と考えるだけでなく、さまざまな書体が作られてきた歴史に触れることで、書体の理解は深まるのだろう。

ここでは上記セミナーの最後に行なわれたディスカッションから抄録する。
発言は,
山本太郎(アドビシステムズ 日本語タイポグラフィマネジャー)
橋本和夫(イワタエンジニアリング 顧問 書体デザイナー)
有澤逸男(デザインラボAW 書家 書体デザイナー)
の各氏と日本印刷技術協会 小笠原治である。

なお抄録にあたっては,発言をそのままではなく,内容を損なわない程度に言い回しなどに手を加え,適宜引用する形にした。
(原文はテキスト&グラフィックス研究会報T&G No.138に掲載)

書体の変化

中国の古い書体は歴史を経て受け継がれているが,日本の風土や好みもあってか,ポピュラーになったものとそれほどポピュラーでなくなったものとがある。たとえば清朝体や魏碑体のようにぎくしゃくした感じの書体は,現在はあまり受け入れられていない。モトヤの書体などOA機器で広く使われているものは大きな曲線を旨としているし,写研の書体も大きくて優雅な曲線をベースにしている。ヒラギノも大きくてぎくしゃくしたところが見えない。そういう書体が日本では受けるような印象がある。

このことについて山本氏は,ディスプレイ書体は別として,
「本文用の書体は活字の書体をベースにしたものが写植に受け入れられ,写植の技術的な制約をカバーする形で洗練されて,さらにデジタルに移って改良が行われている。だからそれほど急激な変化はなかったと思う。写植以降の本文用書体はむしろ安定している。」という。

関連して有澤氏は,「金属で鋳造したもの,亀の甲に彫ったもの,木簡に書いたもの,紙に書いたものと,それぞれ字のデザインはまったく異なる。そういう意味では紙からWeb上へという変化において書体が変わるということはあるかもしれない。」
また,「私は最近老眼気味で明朝体が見にくい。拡大すれば見えるというわけでもなく,懐が広いとみな同じ字に見えてしまうのである。今後,老齢化社会になるとすればそういう意味での新しい書体も必要かもしれない」と述べた。

書体を作る側と使う側

書体にはかならず使う人がいるから,書体の変化については,使う側の評価が影響する。作る側と使う側の関連について,橋本氏は,
「書体を作る人は自分の主張を盛り込んで書体を作り,いわば素材を提供する。使う人はそれを取捨選択して使うのだが,そのとき,使う人の感覚がどれだけ作る人に伝わるかということがある。たとえば『漢字は何千字もあって作るのが大変だから明朝でよい,かなだけは柔らかいものにしよう』などということで,作る側の保守性が現れてしまう」のである。
しかし,それにしても作る側はまがりなりにも勉強するが,使う人はよく知らないで使っているということがある。
「たとえば隷書の『公』の『ム』の部分が三角になっているのを誤字だという人がいたりするが,書体の構成・字体・書きぶりを知って使ってほしい。」

一方,DTP環境については書体を作る側と使う側に共通の問題もある。DTPになって日本語の組版は悪くなったといわれるが,それは日本語組版に限ったことではない。しかし,山本氏によれば,
「もともと完成形のDTPがあるわけではなく,たとえ当初は前衛的であっても,個人の工夫を絶え間なく続けて洗練されるという建設的な方向があればDTPにも可能性がある。問題があるとすれば,DTPを固定的にとらえて現状の機能に満足してしまい,本当に品質の高いものを要求する市場が育たないかもしれないことである。高い要求がなくなれば作っても売れない。」

ここでセミナーに参加していたふたりのフォントデザイナーの方に,書体を作る側と使う側のコミュニケーションの現状をうかがったが,いずれも身近な知り合いに聞く以外にあまり直接的な接点はないということであった。また,たとえ聞いても「よくわからない」ということが多く,とくにその書体を制作した意図についてユーザはあまり知らないのが現状である。啓蒙が必要だろうが,書体を作っている人がすべて個人でそうした活動を行なうわけにもいかないから書体デザインの教科書的なものが必要かもしれない。

書体のありかた

それでは,今後,書体はどういうものになるだろうか,あるいはどういうものであるべきなのだろうか。
山本氏は,「書は漢字も真四角ではない。グリッドはあるかもしれないが,その中にいろいろな大きさ・長さ・高さでデザインされているのが本来の書である。」という。
ところが,「活字も写植もデジタルフォントも漢字は真四角にデザインされているし,組版のメカニズムも和文は全角を基本に動いている。・・・もちろん漢字の正方性という特徴をなくしてしまうと作るほうも使うほうも効率が悪くなるが,実用性は措いて書という立場からすれば,漢字の外形のバリエーションはタイプフェースより多様だと思う。それは楷書でもそうだろうし,行書や草書となると全体で一文字ととらえられるものもある。」
有澤氏は,「融通がきかないのが活字の欠点だったが,今ではいろいろなことができるようになった。特に筆書系は大きい字や小さい字があって,さらにプロポーショナルをつけることができる。アプリケーションの対応は必要だが,これは大変ありがたいことだ。」という。
書と印刷書体の関係については橋本氏からも次の発言があった。
「私は活字の書体と書道は切り離せないと感じている。書道は芸術,活字は工業ということで,まったく違う分野のようだが実際はそうではない。」
橋本氏自身は漢字は四角とは意識していない。「ただその四角の中に書けというだけのことであり,あくまで文字の固有の形を大事にしたい。」と。このことはかなに顕著で,かなの「あ」と「り」は同じ幅ではなく,「り」はどうしても縦長になる。それが固有の形である。橋本氏が書体を作るときは「下書きは楷書で書き,それを四角の中の枠のなかでどう広げるのか,狭めるのかを考える。」という。

なお,プロポーショナルの日本語書体について山本氏は次のようにいう。
「漢字は数が多く,すべてをプロポーショナルにするのは現時点では非現実的である。しかし,かなはプロポーショナルが可能かもしれないし,かながプロポーショナルになれば合字も可能になるかもしれない。ただ,実際の組版ソフトウェアは全角ベースで動いているから,単純に書体をプロポーショナルにしただけではいろいろな問題が出てくるだろう。また,日本語は語間がないので,ジャスティファイを微妙に調整できないとプロポーショナルの文字の詰まりすぎや広がりすぎが目立ってしまう。」
つまり,組版とも関連するのでなかなか難しいが,将来的な可能性はあるだろう。

書体を知るということ

書体の良し悪しについて,よく「優美」だとか「シャープ」だということばが使われる。これはあくまでも感覚的なものなのだろうか? あるいは本文がゴシック体で組まれている書籍は,最初は読みにくいと思ってもそのうち慣れてしまったりする。書体を選び・使う場合に,歴史やデザインについての基本的な勉強は必要だろうが,一方で感覚的な要素も無視できない。使う側としてそのあたりはどのように考えればよいのだろうか。

橋本氏は,「書体は見ているだけでは勉強はできない。一度自分でその通りに写してみるとよい」という。たとえばJAGATのロゴのGの丸みはどういう丸か,実際に書いてみて知ることが必要だ。自分はそのとおりできるかどうか。完全に正確には写せないだろうからまったく同じ雰囲気にはならないだろう。どこが違うのか。そうやって試行錯誤しているうちに「なるほどこれはこういう丸なのか」と理解できれば,それが書体の良し悪しがわかる第一歩になる。
また,山本氏は,「書体を実際に作っているデザイナーにはそれぞれ思い入れがあり,独自の経験に基づいてデザインしていると思う。印刷用の書体はどう使うかが重要なので,すばらしい書体でも下手に使われればもったいない。印刷物や書籍を見るときには,書体だけでなく,全体の組版とかレイアウトも含めて評価するようにしなければ書体デザイナーにとってもよくないし,出版あるいは印刷の質を上げるという意味でもよくないだろう。」
「書画同源」ということばがあるが,全体をみて鑑賞し,どういうものがいいのか見る目を養わなければならない,と。

2001年7月19日(木)のtechセミナー「書体を知る」は,ここでとりあげた2000年5月の「書体の世界」のいわば続編である。もっとも,同じ参加者を対象としているわけではないから内容的に重なる部分もあるが,書体の歴史や書体デザインの考え方を知ることによって,書体の使い方を考えるきっかけにしていただければありがたい。

2001/07/11 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会