本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。

タイポグラフィーの勝利

我々を取巻く環境のゆったりとした変化は捉え難いものだが、氷山の一角のように時々現れるニュースを手がかりに10年単位で振り返って考えると、日常の情報氾濫の中では見えないゆるぎない事柄が見えてくるものである。日本語ワープロの開発停止というのもそのようなニュースであった。

かつて日本では永らくの間、漢字入力を国民ができるようになるのか、教育はどうするのかという議論があったのだが、日本語ワードプロセッサの登場でこのような議論は吹っ飛んでしまった。1980年代は日本語ワープロ栄光の時代であったかもしれない。10年前はまだ日本語ワープロ専用機の開発を頑張ろうとしていた人がいたのだが、2000年を境に新たな開発は止まってしまい、いつどのように幕引きがなされるのかが注目される今日である。

思えば日本語ワープロは日本の文字文化史上において特異な足跡を残したものである。それ以前は活字の流れにある和文タイプライタがオフィスや学校にあったのだが、日本語ワープロが和文タイプから受け継ぐ点はそう多くなく、文字のサイズに関しても日本語ワープロは全角を基準に、半角、縦倍角、横倍角、さらにはN倍角という独自のものを編み出した。

これはコンピュータのパワーが足りないところで、なんとか簡便な処理で文字の大小のやりくりをしようとした方便でしかなかった。利用者にはこのようなものを使う慣行がなかったにも関わらず、全国的にこういうテクニックで文書を作ることを強引に広めてしまった。一時は電算写植の文字指定に「倍角」が使われるようになって驚いたこともあったが、結局日本語ワープロもアウトラインの多書体化の時代を迎え、倍角や半角指定は下火になった。

その後すっかりオフィスも学校もWordなどのパソコンワープロの時代になり、欧米のワープロが電算写植の下位クラスの機能を狙っていたのに準じて、日本のパソコンワープロも簡易DTPくらいのものとなった。結局日本の一般的な文書作成はポイント制と活字・写植以来のフォントに落ちついたのである。

今でもパソコンで半角カナを見うけることはあるが、通信利用では悪人扱いされることもあってか、強く存続を主張する人はいないようだ。ではなぜ一見合理的とも思われる半角倍角などの整数方式には収斂しなかったのであろうか。印刷関係の人には今更説明する必要の無いことではあるが、人間の目で見て大小変化のバランスや行間などの空間のバランスは、リニアなものは連続的に見えず、あるカーブを描くような大小変化の方が自然に見えるからである。

あるカーブとは何かというのは永きにわたるテーマで、対数、黄金分割、フィボナッチ級数、螺旋、など自然界の原理を探りながら、あれがいいか、これがいいかと思案してきたのがデザインの世界である。非リニアな「ある」関係が自然に思えるのは、あらゆる人間の感覚についていえることであり、文字についてそのヒューマンインタフェースの改善を試みるのがタイポグラフィであるともいえる。

つまり文字デザインの世界は、ハードウェアの制約に翻弄されていた20世紀とは違って、もっと自由に発想して自由に使える時代になりつつある。この場合の自由の解釈はいくつもあり、今までにないようなフォントを作ろうという人もいれば、失われた文字表現を復活させたい人もいる。写植の文字に改良を加えたい人もいる。

利用者もちょっと前までは自分の持っているハードウェアの制約の中でしかフォントを選べなかったのが、自由な発想でフォントの使い方を工夫できるようになった。しかしそのような工夫をするには、フォントを見る目や過去のフォントに関する造詣が求めらる。昨年のtechセミナー「書体の世界」では、フォントを使う側の高い要求がないと、フォントを作る側も困ると言う両者の関係が語られた。どうもDTPという文脈では、現場の知識としてフォントフォーマットやフォントのエンコーディングは話題になっても、書体そのものを凝視することには欠けていたように思える。

日本語ワープロの紆余曲折と、結局は「古い」タイポグラフィが生き残ったことからも、ヒューマンインタフェースとしての文字を突き詰めることは印刷という仕事の本質である。また今日ではWEBのデザインなども結局は紙の上のグラフィックアーツを継承するようになったように、この「本質」は将来とも重要なものとして残って行くのであろう。

関連情報: 書体を知る

2001/07/17 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会