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国産化が進んだ第3世代機−印刷100年の変革

1977年に国産写植メーカーが、第3世代機のデジタル式CRT写植機を発表した。写研の「サプトロン-G1」と「サプトロンAPS-5」である。

「サプトロンAPS-5」は、Autologic社(米)の「APS-5」を日本語用に開発したもので、 生産印字速度は6000字/分の高速印字を実現し、大量ページ物を高速処理する市場向けに受け入れられた。その後1981年に後継機種として、生産印字速度13000字/分と驚異的に飛躍させた「APS-5H」を開発した。

しかしこれらはシステム価格が高額であったため、一部の大・中規模印刷企業に導入さ れたに過ぎなかった。そこで経済性に優れ、性能的にAPS-5に劣らないCRT写植機として発表されたのが「APSμ5」である。生産印字速度が3000字/分の印字速度を維持し、ページ物に強みを発揮した。APS-5写植機と同時期に、周辺装置としてVDT校正ターミナル「サミス」が登場した。

そして1983年に入力/校正機一体型の「サザンナSW」が発表された。このVDT(Video Display Terminal)はブラウン管端末機である。現在のパソコンのCRTモニターである。

当時の電算写植の弱点は直し処理にあった。つまり入力結果が紙に出力するまで目に見 えないことである。現在のDTPのWYSIWYGであれば、モニター上で赤字校正の加筆・訂正 の確認が容易であるが、当時としてはこのVDTの出現が、電算処理の福音になった。

その後1985年に、端物組版用に多書体、大サイズ文字印字を可能にした「サプトロン- ジミイ」と、WYSIWYGでレイアウトができるコンセプトの「サイバート-H」が発表された。 これは現在のDTPのはしりといえる。

この写植機には、写研の独自フォーマットである「C(Contour=輪郭)フォント」と呼 ばれるベクタ方式のフォントが使われた。ベクタフォントは現在のアウトラインフォント の前身である。それまでのCRT写植機はドットフォントが使われていたが、初めてアウト ライン形式のフォントが使われるようになった。

さらに1985年に写研が発表した、文字・画像処理システムに「サプネッツ-TG」がある。 ここで初めて第4世代機のレーザ出力機「サプルス」を参考出品している。奇遇にも同 時期に米国でDTPが誕生しているのは、何かの因縁であろうか。

一方、1980年に発表された日本語デジタルCRT写植機に「Linotron 202E」がある。 Mergenthaler Linotype社(米)の欧文用CRT写植機を、モリサワが日本語用に開発した ものである。このシステムの特徴は、写植機に編集用コンピュータ内蔵のStand Alone型 で、フォントに高密度圧縮ベクタ方式を採用したことである。

組版編集ソフトウェアはモリサワ独自の「CORA」を搭載し、豊富な組版機能と文字サイ ズは4.5ポイントから72ポイントまで、書体はオプションとしてディスクに20書体を収 容可能にしている。この他にオフコンのMELCOM70をホストコンピュータとした、Slave型も開発し情報処理も可能にしている。

周辺機器としては、入力機の漢字キーボード「MK-10」がある。1つのキーに15文字収 容し、15個のシフトキーにより文字を選択する方式である。

また1980年に印刷機械貿易が発表した「CG8600J」がある。「CG-NIC漢字情報処理システ ム」の出力機として、コンピュグラフィック社(米)の欧文用CG8000を日本語用に開発したCRT写植機である。

この他に1981年モトヤ/極東貿易が発表した「ビデオジャム」がある。III(トリプル アイ)社(米)が、Videocomp570をもとに日本語用に開発したCRT写植機である。

以上が日本における代表的な第3世代CRT写植機の概要である。これらは1976年から 1985年頃まで第2世代機に代わり実用化され、さらにモデルチェンジを重ねてきたが、その後電算写植の出力機は文字・画像の統合処理を実現したDTPの登場とともに、第4世代機と呼ばれるレーザ写植機の「イメージセッタ」へと発展していった(つづく)。

他連載記事参照

2001/08/25 00:00:00


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